太郎が友達から頂いてきました。
その名も「野球が上手くなる飴」。
本人は嬉しそうに、人に薦めていました。
ただ、頂いた友達には申し訳ありませんが、いわゆる普通の飴です。
まあ、普通という定義はなんだか判りませんけど。
それもそのはず。
このパッケージの下には
「このキャンディーをなめると
野球が上手くなるかも
野球が上手くなるかも
しれません」
との但し書きがあります。
さらに
「キャンディーです」
とのダメ押しの一言も。
「鰯の頭も信心から」ではありませんが、飴でも舐めて、しっかりと自主練習に勤しむことです。
「自分は上手くなる」と信じながら練習に取り組まなければ、ダメでしょうね。
目的もなく、ただ練習時間を過ごしているだけでは。
「鰯の頭も信心から」
【読み】いわしのあたまもしんじんから
【意味】鰯の頭も信心からとは、どんなものでも、信仰の対象となれば有り難いと思われるようになるというたとえ。