「イルカにのった少年」は城みちるさんの1973年に発売されたデビュー曲です。城さんは1972年の中学三年の時に「スター誕生!」の予選で本選出場に残り、1973年「スター誕生!」第7回のチャンピオンとなりました。芸能事務所社長の自宅に1年間下宿。同年『イルカにのった少年』で東芝EMIより歌手デビューしました。
「イカダにのった少年」は中日ドラゴンズの主砲ダヤン・ビシエド選手です。ドミニカ共和国出身ですが、実際はキューバ共和国出身です。ビシエド選手は19歳になった2008年にイカダにのって海を渡り、キューバから亡命して来ました。その後、米国マイアミの(怪しい)シンジケートを使ってドミニカの永住権を取得し、その年の暮れにMLBシカゴ・ホワイトソックスと4年、1000万ドル(約11億6000万円)で契約を結びました。
キューバでは同世代リーグで圧倒的な成績(打率.405、ホームラン5本、18打点、14盗塁)を記録し、2004-2005シーズンに15歳で国内リーグのセリエ・ナシオナル・デ・ベイスボルにデビューしました。2007-2008シーズンまではナランハス・デ・ビジャ・クララに所属していました。
AA世代(15歳前後)の国際大会出場の頃から注目を浴び始め、キューバの至宝と言われた元中日ドラゴンズのオマール・リナレスさんと比較されるようになります。ジュニアナショナルチームの中では主にショートを守っていましたが、サードとレフトも掛け持ちで守っていました。
2006年の第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のキューバ代表一次候補にも挙がるなど順調でしたが、2006-2007シーズンになると不振になり、90試合、打率.252、ホームラン8本でした。
2010年にMLBデビューし、2012年にはレギュラーとして147試合、打率.255、ホームラン25本、78打点の成績を残しました。ちなみに、この時に外野のポジションを争っていたのが、阪神タイガースの福留孝介選手です。
ただ、MLB5年間で出塁率が.298と低く、三振率は21.6%。早打ち傾向が強く、レフト、ライトの守備にも不安があるため、若手の長距離バッターとして魅力があったにもかからわず敬遠されていました。
ドラゴンズ入団前とオープン戦の状態では不安だらけでしたが、前後の大きな体重移動がなく上下動も少なく、目線がそれほど大きく動かないですね。また、守備も悪くはなく、ファーストは開幕当時にショートを守っていた遠藤選手のショートバウンドの送球を難なくさばいていましたし、外野守備もナニータ選手よりも上手いです。
ドラゴンズは失敗した場合のリスクを考え、安価のギャランディーで未知なるプレーヤーを発掘してくるのが新外国人選手の獲得に関するポリシーですが、ビシエド選手に関しては、推定1億7000万円の条件で契約したくらいですから、期待の大きさはよく判りますし、現在、ここまではその対価に充分なまでの活躍をしています。
そして、過去に読売ジャイアンツや阪神タイガースがビシエド選手の獲得を見送っていた理由の素行や日本生活への適応については、ドラゴンズには森ヘッドコーチという怖そうなオジサンとドミニカンが多いため馴染んでいます。実際、今のところ、真面目の評判であり、日本のカレーライスが気に入って、好物になったそうです。
そんな中、私が一つだけ気になっていることがあります。それはネクストで打順を待っている時、サークル付近ではなく、限りなくホームベースよりに近づいていることです。テレビで見ているとより顕著で、普通ならば映らないはずが、必ず画面に映り込んでいます。
誰も知らない南の海から
イカダにのった少年がやって来た
さみしい時はドームにきて
野球をみてごらん
空と海とのすきまから
イカダにのった少年は
勝利の花束胸に抱き
遠い国からやってきた
ドラに君に僕に会うためやってきた
ホームランで吹く風も
やさしく頬をなでるだろ