MLBで9年プレー後、2015年に日本球界復帰し、3年総額12億円(推定)プラス出来高の大型契約で入団し、3年契約の3年目の福岡ソフトバンクホークスの松坂大輔選手が退団するとのことです。ニュースサイトによっては戦力外構想、または自由契約を希望したと異なりますが、ホークス退団が発表されました。
日本球界に復帰した2015年には先発の一角と期待されましたが、右肩の不調を訴え、8月に手術を受け、2016年はリハビリが続き、移籍後初登板はシーズン最終戦の10月2日東北楽天ゴールデンイーグルス戦で、1回5失点でした。そのオフにプエルトリコ・ウインターリーグに参加するなどして復活を目指しました。今年は3月25日の広島東洋カープとのオープン戦で、7回無安打無失点に抑えるなど復活間近を印象づけていました。
開幕ローテーションには漏れたましたが、4月15日のオリックスバファローズ戦で日本球界復帰後初先発の予定も立ちましたが、再び右肩の不調を訴えて白紙となり、以降は関東地方の病院を中心にリハビリを続けましたが、実戦登板はありませんでした。
ホークスには2010年に3度の右肩手術を受けた斉藤和巳さんが2011年から3年間、支配下登録を外れリハビリ担当コーチを務めながら復帰を目指した例があり、今回も同様のポストを打診したとのことですが、松坂選手は9月末に「続けるつもりがなければ最初からリハビリもしていない。もう一度マウンドに立ちたい。たとえ契約してもらえなくても、諦めずリハビリはやっていきます」と現役続行を希望し、断っていたようです。
治療に目途がついた9月待つにはファーム施設に戻り、10月には本格的な投球練習も再開できるまでに回復しており、力を入れた状態でも違和感はなくなっているとのことです。10月30日には捕手を座らせ39球を投じてもいるようです。
既にファーム施設のロッカーは整理されていて、今後は国内球団を中心に移籍先を探すとの予測です。日米通算164勝ですが、日本復帰3年間で未勝利。現役続行なら来季で20年目となりますが、道のりは険しいものになりそうです。
松坂選手が横浜高のエースとしてかながわ・ゆめ国体や阪神甲子園球場で開催された第70回選抜高等学校野球大会、第80回全国高等学校野球選手権大会で活躍した1998年は優れた高校球児を多く輩出したことで知られ、高校野球のみならず大学野球、社会人野球経由の選手を含め、一時は94人もの選手がプロ入りし、活躍しました。このことから、1980年4月2日~1981年4月1日生まれに対し、マスコミが松坂選手の名を冠し「松坂世代」と呼びました。
このオフに読売ジャイアンツを自由契約となった村田修一選手ら、今年は松坂世代で戦力外や現役引退を表明する選手が増えています。
木村昇吾(埼玉西武ライオンズ)1980年4月16日生
久保裕也(東北楽天ゴールデンイーグルス)1980年5月23日生
久保康友(横浜DeNAベイスターズ)1980年8月6日生
江草仁貴(広島東洋カープ)1980年9月3日生
松坂大輔(福岡ソフトバンクホークス)1980年9月13日生
渡辺直人(埼玉西武ライオンズ)1980年10月15日生
梵英心(広島東洋カープ)1980年10月11日生
上本達之(埼玉西武ライオンズ)1980年11月8日生
村田修一(読売ジャイアンツ)1980年12月28日生
實松一成(読売ジャイアンツ)1981年1月18日生
松坂世代の現役選手は9人になりました。
G.後藤武敏(横浜DeNAベイスターズ)1980年6月5日生
藤川球児(阪神タイガース)1980年7月21日生
矢野謙次(北海道日本ハムファイターズ)1980年9月21日生
小谷野栄一(オリックスバファローズ)1980年10月10日生
杉内俊哉(読売ジャイアンツ)1980年10月30日生
永川勝浩(広島東洋カープ)1980年12月14日生
和田毅(福岡ソフトバンクホークス)1981年2月21日生
館山昌平(東京ヤクルトスワローズ)1981年3月17日生
工藤隆人(中日ドラゴンズ)1981年3月30日生
松坂世代も来年は38歳になります。今年、松坂世代で規定投球回数に達したピッチャーはいませんでした。バッターで規定打席をクリアしたのもバファローズの小谷野選手だけでした。
これも時代の流れで仕方がないのでしょうか。
猛暑の夏だった1998年の甲子園の再現とまでは行きませんが、あの夏のようにもう一度、熱くさせてくれる活躍を期待します。