米大リーグ機構(MLB)は3月12日(日本時間3月13日)に新型コロナウイルスの感染拡大のため、3月26日(日本時間3月27日)から予定されていたシーズン開幕を、最低2週間延期することを発表しました。また、オープン戦も米国東部時間3月12日午後4時以降開始の試合をすべて中止にしたと発表しました。
米国内でも新型コロナウイルス感染者が次々に確認されており、各州では緊急事態宣言が出ており、選手に感染者が出たNBA(米プロバスケットボール)が前日にシーズンの中断を発表、NHL(米プロアイスホッケー)、NCAA大学バスケットボールもこの日、試合を中断させることを発表しています。
日本ではすでに日本野球機構(NPB)が3月20日からのシーズン開幕を延期することも決定したものの、オープン戦はすべて無観客試合で行なわれています。また、開幕延期の期間は公式戦で予定されていた試合を練習試合として無観客で行う計画のようです。
オープン戦でも無観客試合となれば球団経営への影響はあるでしょうけど、公式戦で無観客試合を実施することはさらに影響が大きいということもあるでしょう。ただし、今後、開幕延期をさらに行うのか、最悪の判断として無観客試合を行うのか、予想すらつきません。
サッカーでの公式戦無観客試合というものをTVで観たことがありますが、プロ野球の公式戦での無観客試合は観たことがありません。そもそも過去に例がないからです。
いまでこそ、大賑わいですが、昭和の時代のパシフィック・リーグ(パ・リーグ)の試合で閑古鳥が鳴いていた場面はよくTVで観たものです。
ちなみに、1954年~1956年までパ・リーグにあった高橋ユニオンズ(1955年はトンボ・ユニオンズ)は史上最弱球団と言われ、観客動員数も1956年は77試合で13万5850人という記録が残っています。
3年間しか存在しなかった球団の歴史の中で、1955年10月6日の川崎球場の近鉄パールズ(元;大阪近鉄バファローズ = 現在はオリックスバファローズに吸収合併)戦の入場券実売枚数が29枚だったそうです。
これが日本のプロ野球における最少観客数と言われています。なお、この日の球団発表は350人でした。
なお、この試合にはビクトル・スタルヒンさんが代打で出場しており、元;広島東洋カープの黒田博樹さんのお父さんの黒田一博さんが出場していたという記録が残っています。
長い歴史のあるMLBにおいては、さらに上を行く試合があります。1882年9月28日にナショナル・リーグのトロイ・トロージャンズ vs. ウースター・ルビーレッグスという、今は存在していないチーム同士の試合では観客が6人という記録が残っています。
また、1966年9月22日のニューヨーク・ヤンキース vs. シカゴ・ホワイトソックスは、約6万5000人収容球場に、わずか413人だったそうです。
2015年4月12日にメリーランド州ボルチモアで警察に拘束された黒人男性が亡くなった事件が発端で、抗議デモ隊の一部が暴徒化し、警察車両の破壊、店舗の略奪、放火などが発生。メリーランド州は非常事態宣言を出し、州兵を動員して鎮圧に乗り出しました。
そのため、ボルチモアに本拠を置くボルチモア・オリオールズは観客の安全を優先し、4月27日に本拠地で予定されていたシカゴ・ホワイトソックス戦を、安全上の理由から試合開始約40分前に、「ファン、選手、審判員ら試合に関わるすべての人の安全を最大限確保するための決断」と理由で中止を決定しました。
さらに混乱が続く場合を考え、ボルチモアから近い距離にある首都ワシントンのナショナルズパークにで試合を行なう考えも示していましたが、その後、2日連続で中止が決定しました。ただ、MLBは過密日程であるため、シーズン中の試合が消化できなくなる可能性があるため、 4月29日の試合は無観客試合で行なわれたことがありました。
ちなみにこの試合でオリオールズの四番を打ったのは、今年オリックスバファローズに入団したアダム・ジョーンズ選手でした。
無観客試合は選手がプレーしている音が直積越えて新鮮な感じではあるものの、やっぱり、この状況が長く続いてしまいますと、「クリープを入れないコーヒーなんて」「星のない夜空のようなもの…」という感じです。