世間ではセ・リーグのクライマックスシリーズ(CS)ファーストステージ第2戦というものがあったらしく、読売ジャイアンツの菅野智之選手がポストシーズン初のノーヒットノーランの快投を見せ、東京ヤクルトスワローズに勝利しちゃいました。
10月17日からはリーグ優勝した広島東洋カープとの日本シリーズ進出をかけたファイナルステージが始まるらしいです。どちらが勝ってもいいのですが、せいぜい、頑張ってほしいものです。
菅野選手が試合後に「高橋監督と1日でも長く野球ができるよう最後までフル回転で頑張りたい」と語っていますが、仮にカープに勝ち、日本シリーズも勝ったとしても、高橋由伸監督は退任することが既に決まっています。よほどのことがない限り、来シーズンは原辰徳前監督が指揮を採ることになっています。
さて、「ジャイアンツの監督は生え抜きのスターでなければなれない」という不文律があるといわれています。
それに従えば自然と監督候補の人材は限られてしまいます。大体、私でも監督候補リストが作れるというわけです。
ファン待望の松井秀喜さんですが、MLB移籍についてどのように扱われているか、また、候補にしばしば名前が上がる江川卓さんも、プロ入り時、一度阪神に入団してトレードで巨人に入った形になっていて生え抜きとはいえないから、もしかして監督就任は実現していないのかもしれません。
ジャイアンツの監督へのこだわり方は立派なものです。絶対に土俵上に女性を登らせないという相撲協会、阪神甲子園球場のグラウンドには女性を入れさせないという日本高野連、梨は幸水しか食べないという私。
そこまでこだわっているのです。
さすが伝統のジャイアンツだと、喜ぶなかれ。
実は、過去のジャイアンツの監督は全員が生え抜きというわけではないのです。
球団創設時の初代監督、藤本定義さんは当然のことながら選手としてプレーしていないため、別扱いとしますが、第2代・第4代の監督を務めた中島治康さんは入団から15年間ジャイアンツでプレーしたものの、最後の2年間は大洋に在籍していたのです。第3代監督の藤本英雄さんも13年間のプロ生活の大半をジャイアンツで過ごしましたが、1シーズンだけ中日でプレーしました。
“生え抜き”という言葉には、いろいろな解釈がありますが、プロ野球の場合、プロ入りから引退まで同一球団でプレーした選手を指します。中島さん、藤本さんとも全盛期をジャイアンツで過ごしているため、ジャイアンツ色が強い人物というイメージですが、厳密には生え抜きとはいえないのです。
それは、まるで、時々「二十世紀梨は美味い」と言って、幸水以外の梨を食べている私のように。
ただ、第5代監督の三原修さんからは確かに生え抜きの選手ばかりが監督に就任しています。水原茂さん、川上哲治さん、長嶋茂雄さん、藤田元司さん、王貞治さん、原辰徳さん、堀内恒夫さん、高橋由伸監督です。それでも球団創設当時は除き、三原さん以来70年以上に渡って積み重ねた伝統から、「生え抜きのスターでなければ監督になれない」という不文律ができたのでしょう。
広島東洋カープ 6/15人 40%
東京ヤクルトスワローズ 6/18人 33%
読売ジャイアンツ 9/11人 82%
横浜DeNAベイスターズ 5/23人 22%
中日ドラゴンズ 5/22人 23%
阪神タイガース 11/21人 52%
埼玉西武ライオンズ 3/17人 18%
福岡ソフトバンクホークス 5/15人 33%
北海道日本ハムファイターズ 3/20人 15%
オリックスバファローズ 5/20人 25%
千葉ロッテマリーンズ 4/22人 18%
東北楽天ゴールデンイーグルス 1/7人 14%
これは12球団の監督生え抜き率です。
やっぱり、ジャイアンツは断トツに高い数字になっています。監督になった人の数が少ないのは、やっぱり強いからでしょうね。川上監督14年、長嶋監督計15年、原監督計12年と長期政権が続きます。次は阪神タイガースで52%と半数以上です。
パ・リーグは総じて生え抜き監督率は、どこもかしこも数字は低いです。ライオンズがいい例ですが、1980年代の黄金期を築いた広岡達朗さんや森祇晶さんは、選手時代はジャイアンツ。近年、安定した成績を成績のライオンズ・工藤公康監督やファイターズ・栗山英樹監督は生え抜きではありません。チームを強くできるなら生え抜きにはこだわらないということなのでしょう。
でも、そうはいっても今年の中日ドラゴンズの与田剛新監督のようにファンのなかには生え抜き監督を望む声はあるようです。正確には選手時代はドラゴンズだけの所属でしたが、コーチではイーグルスに所属していましたので、”生粋”というわけではありませんが、それでも選手時代にプレーしていた選手だったというだけでも、違うのだと思います。
また、与田監督本人の「23年ぶりにドラゴンズ、名古屋に帰ってくることができて非常に光栄。私をプロ野球選手にしてくれた球団だけに一生忘れることはない。何か強い縁というか運のいい男だなと思う。地域の皆さんと一緒に戦っていきたい」というコメントにもありますが、出身チームというのは、やぱっぱりいいものなのでしょう。
自分の応援するチームでプレーしている姿を観、ともに歩んできた選手が監督になるというのは、やはり嬉しいものですね。