この記事の中で女性は『誤って入ってしまった』と証言している様ですが、それはもう運転技術ではなく認知症の影響だと思えます。いくら夜で見通しが悪いとはいえ、都内且つ駅前の繁華街であれば相当な明るさです。それなのに間違えるなんて普通の意識だったとはいえません。況してや咄嗟の判断が正常であれば、たとえ間違いに気がついても線路にまで入ることはない筈です。もう認知症を発症していたと考えて良いのではないでしょうか。
野方駅は私が通っていた高校がある場所ですし、先月にも(同じ夜間帯ですが)久しぶりに訪れています。通学していた頃に比べたら劇的に変化していますが、それでも線路に入ってしまうとは思えません。
先日の池袋での死傷事故の運転者に対する国の対応に批判が続出していますが、他方で其れを【行き過ぎた行為】と捉える意見も出ています。どうしてそうした意見が出るのか不思議なんですが、そもそも論としてメディアが忖度した様な報道していることと、同時期に起きた神戸市でのバス運転手の死傷事故との扱い方の差が激しすぎることが根底にある訳です。
高齢者の運転による事故が問題視されて久しいです。本来であれば当時から真剣に高齢者の運転に対する在り方を見直す動きになっていなければならないのに、反対意見を出して有耶無耶にしてしまったことが事態を大きくしてしまった訳です。況してや今回の件は逮捕に至らない上に、証拠隠滅を図った形跡があるという“裏事情”もあります。
このままで終われば、そう遠くない時期に同じ様なことが起きます。否、もう連日の様に高齢者による運転ミスのニュースが出ています。もっと酷い事故になるのは避けられない段階にまで来ています。
衰えというのは生きている以上、着実にやってくるものです。これだけ連日報道されていても、それを受け入れられないのは衰えから来る認知の能力衰退でもあります(それが限界値になった時が認知症でしょう)。右から左に抜けている状態では、どれだけ口酸っぱく喧伝したところで糠に釘なんです。意味がないんです。
確かに地方では車がないと生活に支障が出る人もいますが、だからといって現実と向き合わなければ若い世代からの支援が受けられなくなります。もう待ったなしです。高齢者の側から譲歩を提案しなければならないのです。老いては子に従えなんです。