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こころ♡思いのままに

毎日色々ありますよね~
どんな時も感謝の思いを根付かせどんな自分も
大~好きと歩み進みたい♡

不安の心配

2016年01月18日 | 日記

                       
身近な人  大切な人から 

自分が恐れていることを言われたり 

その現実を見せられると 不安になり

今 私に届けられた事に向き合えず 蓋をしてしまう心 

不安を後回しにしたい気持ち・・・・・

 

チョッだけ^w^素直な気持ちになって

それが届けられた意味に  向き合える勇気を

少しだけ 持つことが出来ました

・・・と  この当たり前にやってくる1日が 当たり前でなく 

今 私にやって来たこのありふれた1日に

感謝する気持ちが見えてきました


 

 

心から信じて

立ちて

受けて

行ける嬉しさがあるのです

承る心があるのです

嬉しきことも  良からぬ事が起こっても

その心あれば 受けとる心が出来るのです


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8 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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老いの道標~山と文化 (yama-tanaka)
2016-01-18 14:27:22
登山で困難なルートに立ち向かう不安な心は、不安が不安の累乗作用を呼び起こし、より不安をかきたてます。
何かの言い訳をさがし、登らずに帰りたい気持ちが大きくなります。

言い訳も見つからず、いざ登り始めてみると不安は去り、目の前の困難を切り開く勇気がわき出します。

そんなことを繰り返し、ヒマラヤの岩壁にも挑戦して50年が過ぎました。

平地では気にもならない空気の存在が、ヒマラヤの高所では一番大切な気になる生存要素です。

失ってから気づく人の愚かさとともに、山岳の非日常体験は、無意識な日常の平凡さへの気づきとして立ち還ってきます。

そんな登山の心に似た、あなたの美しいポエムでした。
返信する
そうなのですね・・ (fuku)
2016-01-18 16:30:50
登山のことはよくわかりませんでしたが
コメントを読ませて頂いているうちに
強く頼もしく暖かいyamaさんの心に触れられたようで
心が熱くなりました

頂きを目指し yamaさんは登山で ある人は宗教で ある人はスポーツ等で又ある人は平凡な営みで・・・
その心を見つめ 磨き登っている
私も この道から目をそらさずに歩みます
ありがとうございます(*^_^*)


 
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目をそらさず (ろこ)
2016-01-19 16:19:02
こんにちは。
 深い命題をいただいたような気持になりました。
 最も恐れていることに立ち向かう前は、弱弱しい一本の細い糸のようです。それが、いったん肝を据えると、一本の糸もはがねになるような気がします。
 困難に立ち向かおうとする心の糸は強靭です。
 くも膜下出血から息を吹き返した時、どう生きていこうか不安と恐怖がありました。昨日まで通っていたスーパーへ行く道がわからなくなったとき、車の中で泣きました。
 でも今は後遺症も消え、生きています。
 不意を突かれると、誰でも簡単に転んでしまいますが、「よし、来い」と「待ち」「構える」と、受けて立てます。
 人生には思いがけないことが多いですが、器がこぼれるほどになると、器はさらに大きくなるものだと信じています。
 
 
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ろこさん♡ありがとう (fuku)
2016-01-20 09:20:52
ろこさんが今まで経験された 大変なこともをしっかり受け取られた心だからこそ
ろこさんのブログに書かれる 太くそして深い教えとなる色々なお話が 私始め読者の方々の心に届くのだと感じています
私も負けないで『よしこい!』と丹田に力を入れて
ここを踏みしめます



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老いの道標~山と文化 (yama-tanaka)
2016-01-20 10:54:05
先のコメントは少し抽象的に記しました。

1978年9月、私たちはヒマラヤで氷河崩落雪崩を受けて3隊員が死亡しました。登山隊長だった私も崩落の爆風で吹き飛ばされましたが、全くの無傷で生きていました。テントの外にいた4隊員のうち、唯一人私だけの生存でした。

(ろこ) さんのコメントにもあるように、「構え」ていれば受けて立て、その経験は器を大きくしてくれます。
ヒマラヤ登山はまさに、命をかけた事前準備の覚悟と実践~~~そして最悪の結果でした。

そんな経験があったからこそ、自然の必然と偶然を受け入れられるようになりました。
後に三男坊が障害をもって生まれた時も素直に受け入れられ、愛情を注いで育て、そして5歳半で亡くなってしまった大きな悲しみを、後悔なく素直に受容することができました。
それらのことを書いた私小説が『頂きのかなたに』(2003年、日本文学館:出版、ISBN4-7765-0055-8 C0095)です。
「登山」のブログでは読むことができませんが、以下のHPにはアップ・ロードしています。
http://home. catv-yokohama. ne. jp/55/f_tanaka

登山ブログを経由していますので、登山の面から書きましたが、最近は「登山と山岳スポーツ」の区分を試みています。
「登山は単に山を登ることですが、死の危険を除き得ない。山岳スポーツは山をフィールドにしていますが、死の危険を取り除くルールの下での競技」、と。
さらに「死と向き合う体験のうち、登山は垂直指向、修験道は水平指向」と分けられるのでは思います。
「死の試練と向き合い、死に対する構えを備えるのに、登山は良きフィールド」と思い、今も丹沢を歩いています。

『登山の総合人間学』は理屈表現ですが、ポエムの感性と心に重なり合う(シンクロナイズ)のでは・・・・と思っているところです。
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Unknown (fuku)
2016-01-20 15:25:14
・・・そうだったのですね
抽象的でも重く響いてくるように
捉え 感じられたのですね

自ら向かわれる
その強さはとても凄いと思います
皆さんそれぞれのフィールドでそれぞれの思いで
立ち向かわれていること 心に留め置きます
返信する
老いの道標~山と文化 (yama-tanaka)
2016-01-21 01:34:41
 少し長くなりますが、前記に関連したもう一つ具体的な次男坊からの、嬉しいコメントを追加させて下さい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 (2016年) 1月19日22時40分、3356gの元気な男の子が産まれました。 
・・・・・略・・・・・

 名前は 「景」 にしようと思います。
3年前に一人で剣を登っている時に考えました。
いつか子どもができたら、この字にしようと。
父さんや母さんほどではないけど、日本の山にいくつか登って、歩いている時はいろんなことを考えます。

 今は、山ガールの様なカッコイイ衣装や、キレイで豪華な食事が出てくる山小屋が流行ってるみたいだけど、やっぱり父さん母さんに教えてもらった、テントでゴツゴツした所に寝て、ブヨブヨに伸びたラーメンをすすって、自分の水は自分で持って行って、その一滴を大切に飲んで、キツイ思いをして登っていく山登りの方が好きです。
父さんや母さんの登山に比べたら、ハイキング程度なもんだと思うけど、一人でテントを持って、限られた食糧の中、やっと登った山からの景色は、心が洗われるようだったし、人間なんかちっぽけな存在なんだな~と思ったら、「日常の悩みなんか大したことないか!」 なんて、大らかな気持ちにもさせてもらいました。
あとは、
限られた食糧などで、自分を厳しい環境に置くと、日常の当たり前のことがいかに恵まれて、幸せなことかが少しだけでも感じることができて、当たり前に 「有る」 ことの大切さに、ちょっとだけ近づけるような気がします。

 そんなことを感じさせてくれる、雄大な山の景色のように、人を大きく包み、当たり前のことを一つひとつ大切にしてくれるような子に育ってほしい。
そんな想いを込めて、「景」 にしようと思います。

 父さんみたいに哲学の本はたくさん読まないけど、自分なりに 「有」 の由来を噛み締めながら、父さんと母さんに教えてもらった山登りから学んだことを、次の世代に引き継いでいきたいと思います。

 という話を○○ちゃん(次男の妻)にしたら、私も有さんが山に登ってることをイメージしたら、「景」 の字が出てきて、男の子だったらその字が良いかな~って考えてたんだ。
と言われて、決定!
打ち合わせしてたわけでもないのに、二人で同じ価値観を持って、同じ字を考えていたので、今の気持ちを大切に、子育て頑張っていきたいと思います。
これからもよろしく!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 次男坊の名前 「有」 は、この世に存在(ある)ことに気づき、受容し、感謝をあらわす意味を込め、ドイツの哲学者、エーリッヒ・フロムの主張した 「持つことではなく、在ること」 の大切さを説く哲学を、登山体験から納得、同調して名付けたものです。
 結婚式の折、親族代表挨拶を短く切り上げ、代わりに 「お礼の詞」 とした文書にその哲学を易しく盛り込み、ご列席の方々へ手渡しました。

 若き頃は 「子どもなんていらない!」 と思っていましたが、愛することの意味が子に伝わり、子から孫へと伝わったら素晴らしい・・・・・と、今はそう思えます。それが人生であり、家族であり、人間の素晴らしさであると。
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Unknown (fuku)
2016-01-21 09:26:04
わぁ~~おめでとうございます!おじいちゃま♡
そして素敵なお話ありがとうございます
ちょっと涙ぐんでいます
素敵なご家族です

身体はそこになくとも
心はちゃんと受け継がれます (いえいつも側にいてくれている) 私も感じています
親から自分へ そしてここでのことを通して その心は気づき喜び幸せを受けとめて う~んと膨らませて
又その子供へ 
親とは勿論同じではないその心 
でもその流れはきちんと含んでいて 
自分色で輝きますね
そしてそれらの感動 喜びは
ここを必ず光輝かせます☆(その光は自然に
親子だけではなく 繋がる人々の心に自然に光をさしますね)
ありがとうございました(*^_^*)
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