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藤巻和宏研究室

近畿大学文芸学部文学科日本文学専攻

近代学問の起源と編成

2015-10-10 | 研究活動
井田太郎・藤巻和宏編『近代学問の起源と編成』(勉誠出版、2014.11)

創られた「知」の枠組みを可視化する
明治日本における西洋の教育・学問制度の導入は、それまでの知のあり方との融合・折衷・対立・拮抗を経つつ、現在につながる学問環境を作り出してきた。
しかし、科学的・客観的とされるいまのわれわれの学問の枠組みは、果たしてニュートラルな存在としてあるものなのか―。
近代学問の歴史的変遷を起源・基底から捉えなおすことによって、「近代」以降という時間の中で形成された学問のフィルター/バイアスを顕在化させ、われわれをめぐる「知」の環境を明らかにする。
 
 

 
藤巻和宏・井田太郎編『近代学問の起源と編成(仮題)』趣旨文 (2012.08)
 
 本書は2010年3月13・14日に開催した早稲田大学高等研究所シンポジウム「近代学問の起源と編成」を基盤として、企画・構想したものです。
 
  自明のものであると思われていた〈学問〉を根底から支えている諸々の枠組みが、盛んに問い直されるようになってきたのは、つい最近のことのように感じます。とはいえ、例えば日本美術史においてこうした動向を顕在化させた東京国立文化財研究所のシンポジウム「語る現在、語られる過去」(1997年)から15年、そのベースとなった北沢憲昭『眼の神殿』(1989年)から数えるならば、はや23年が経過しています。
  東文研のシンポジウムは、明治以来、日本においてどのように〈美術〉という概念が創出され、その〈起源〉がいかに語られ、〈歴史〉がいかに紡ぎ出されてきたのか、それらの〈語り〉を問い直そうとした真摯な試みでありました。こうした試みは、ほぼ時を同じくして、文学・語学・史学といった前近代を対象化することが求められる他領域でもおこなわれ、1990年代以降の注目すべき動向のひとつとなっていった観があります。
  しかし、個別の領域に目をやると、今なお「近代を問い直す」という問題意識は十分に共有されていないと思われます。特に古い時代を扱う研究者が、あたかも自己の研究を否定されたかのような嫌悪感を示したり、あるいは、前近代研究にとって近代を問題とすることに何の意味があるのかと疑問視されることもあります。
  こうした状況を打開するため、他分野との対話の中で、研究する我々自身の〈眼〉の解明を進めるべく、一度カメラを大きく引いて近代学問の全体像を捉え、同時に我々の足の下の地層を分析するという観点から構想したのが、当初の高等研シンポジウムでした。
  その成果として、前近代の学問環境、西洋学問の受容の仕方の多様性、編成という側面から近代学問全体を捉える視点、現在の学問の置かれた状況……という、非常に有意義な課題を得ることができましたが、同時にまた、こうした問題を扱う研究者の間でも、そのスタンスは一様ではないということも明らかとなりました。即ち、近代の再評価を目指すのか、近代批判という方向へ展開してゆくのか。
  これを、ひとつの方向へと絞り込み、強いテーマ性を全面に打ち出すことにより、大きな成果に結びつけてゆくというのが理想的であるとも考えます。しかし、そうしたインパクトを受けとめる土壌は、まだ研究者の間で整っていないというのが現状です。
  そこで本書では、様々な領域間での「近代」と「学問」をめぐる諸問題を検証し、そこから浮上する多様な論点を提示して整理することが先決であると考え、そこから、今後の学問を考えるためのいくつかの提言ができればと思っております。
 
  高等研シンポジウムの一年後、東日本を大きな地震津波が襲い、未曾有の原発事故が起きました。あまりの惨状に言葉さえでない状況下、我々はこれから、学問の意味や社会的責任というものに対峙することとなるでしょう。より真剣に過去をみつめ、それらを批判・継承・発見するという、力のいる地道な作業が必要となってきていると感じております。そういった思いも汲み取っていただき、現状への積極的な提言としてご執筆いただければうれしく存じます。この暗い時代にこそ、様々な視点から未来のヴィジョンを描き出してゆく明るさが必要なのだと考えております。
 
各章のコンセプト
 
◆第一章 近代学問の起源と展開
 前近代からの伝統的学問の土壌の上に、西洋の学問を新たに受容することにより、これまでにない形で分化・発展し、編成されていった日本の近代学問の様相を探る章である。まずは前近代の学問環境を確認し、次いで、近代学問の編成をある面から牽引していった国学・外国語・図書館という問題に触れた上で、前近代の在り方とは装いを異にした、あるいは前近代には存在していなかった新たな学問領域の成立と展開の様相を概観する。
 
◆第二章 近代学問の基底と枠組み
近代学問に、その基底から影響を及ぼし方向付ける枠組みや発想を検証し、「学問」とは何か、「近代」とは何かという問題に迫る章である。領域を越えて共有すべき大きな問題を抽出し、検討を加える。領域が細分化してしまった現在では見えにくくなっているが、どういった発想や枠組みのもとに学問が成立し、展開してきたか。個々の領域の過去と現在に光を当てるにとどまらず、学問の「近代」がなにを目指したかという大きな統合像の逆照射を目指す。
 
◆第三章 学問の現況と諸問題
 学問の置かれた状況と、そこに起因する諸問題について考える章である。真理の追求を目指す公正で客観的な営為であるべきとされる学問は、現実には無色透明なものではなく、そこに干渉する種々の要因によって大きく左右される。大学・学界・学会・学術行政という制度、あるいは学説という政治的な言説の分析を通し、それらが学問の性質や方向性にいかなる影響を及ぼしているのかという視点で現況を概観するとともに、今後の学問の在り方についても考察する。
 

 
早稲田大学高等研究所シンポジウム「近代学問の起源と編成」
  主催:早稲田大学高等研究所/企画:藤巻和宏・井田太郎
 
2010年3月13日(土)13:00~
文学研究の近代―学問としての成立と展開―
 
・藤巻和宏(早稲田大学高等研究所助教)
 「文学研究の範囲と対象―寺院資料から近代学問を捉え返す―」
・田中貴子(甲南大学教授)
  「〈中世〉の発見―近代知識人を中心として―」
・笹沼俊暁(台湾・東海大学助理教授)
 「外地の国文学と「風土」―犬養孝の万葉風土論と台湾―」
・平藤喜久子(國學院大學准教授)
  「神話学の「発生」をめぐって―学説史という神話―」
・倉方健作(日本学術振興会特別研究員)
 「フランス近代詩と学問―「ボードレール研究」の確立を例に―」
・討議
 
2010年3月14日(日)
近代諸学の成立と編成―前近代の継承と断絶―
 
午前の部 10:00~
・北條勝貴(上智大学専任講師)
 「歴史と歴史学の存在意義―グラウンド・ゼロから考える―」
・井田太郎(国文学研究資料館助教)
 「実証という方法―近世文学研究は江戸時代になにを夢見たか―」
・玉蟲敏子(武蔵野美術大学教授)
 「江戸後期の古画趣味と日本の美術史学」
・藤田大誠(國學院大學准教授)
 「近代国学と人文諸学の形成」
 
 午後の部 13:30~
・飯田 健(早稲田大学高等研究所助教)
 「国家からの視点、市民からの視点―近代日本に輸入された政治学の二つの系統―」
・齋藤隆志(早稲田大学高等研究所助教)
 「近代経済学とマルクス経済学―その受容と対立の歴史―」
・森田邦久(早稲田大学高等研究所助教)
 「西洋哲学と近代科学の成立」
・青谷秀紀(清泉女子大学専任講師)
 「H・ピレンヌと近代ベルギー史学の形成」
・討議
 
◆シンポジウム開催趣旨
 
 学問という営為は、さまざまな形態で進展してきた。ただし、時代時代の文脈や受容のされ方によって特定の意図や政治性が介入してきた事例も少なからずあり、「研究」という一見公正に見える言説も無色透明なものではない。
  前近代の日本における学問は、例えば紀伝道、歌学、訓詁学、有職故実、清朝考証学、国学、本草学……等々、様々な名称で表される。ランダムに並べたが、それぞれの領域が他を排除するというものではなく、これらは必ずしも同一位相で競合関係にあるわけではない。いささか乱暴なまとめかたをすれば、これらが矛盾なく併存していたのが前近代の学問状況であるともいえよう。そして、こうした偉大な遺産を継承しつつも、その土壌の上に西洋の制度と学問を受容したことにより、日本の近代学問はその相貌を大きく変えてゆくことになる。そして、それが目指すところは、前近代の学問が目指していたものとは根本的に異なるのである。
  日本古典文学研究について考えてみるならば、そもそも「文学」の意味の問い直しから始めなければならない。前近代の日本に「文学」という語=認識は存在していたが、それが指し示す対象は現在のものとは大きく異なり、例えば和歌や物語が「文学」という語によって表現されたことはなかった。しかし、西洋から「literature」という概念を受容するに際し、この「文学」という語が選ばれたという“偶然”により、日本語の「文学」が指し示す対象は大きく変容してゆくこととなる。また、近代的学校制度下で「文学」を学問の対象と位置付けたことと、「国文学」研究がナショナル・アイデンティティの闡明を目標と掲げたこととが相俟って、文学「史」という形での歴史認識がなされ、各時代を代表する(と彼らが考える)作家・作品を選び出して羅列するという操作が行われた。我々が「日本を代表する古典作品」と認識しているものは、部分的には前近代の認識に基づきつつも、この時に新たに創り直されたものと言ってよい。
  こうした視座は、他の学問領域においても同様の問題を浮上させることになる。歴史研究における、事件・人物を中心とした時系列的な歴史叙述の偏りは、アナール学派以来、諸方面で指摘されている。また、日本美術史においては、独語「Kunstgewerbe」を新たな造語「美術」によって訳し、その概念の受容過程のなかで前近代の造形物の特定の分野に適用し、日本の美術史学が確立していったという経緯が明らかにされた。各学問領域が「史」という“前後関係”を構築する際に生じた近代の偏差や混乱は、こうした動向を背景として認知され、考察の俎上にのぼることとなったのである。
  その一方で、互いに隣接しあう学問領域の、それぞれの範囲と関係性という問題もある。西洋の学問が移入され、それを実行する受け皿として学校制度が整備された。そのような研究教育システムの中に学問が置かれることになった近代には、すべての学問は同じ位相において個々に区分されたものと認識されるようになる。その最たるものが、文部科学省の定める分科細目表であるといえばイメージしやすいであろうか。それによると、例えば文学は、工学との親近性は低く、歴史学や哲学とは比較的近い位置にあるということになるが、それぞれはあくまで別個の学問であり、区分を跨ぐ研究は学際的であると目されることになる。換言すれば、各領域の範囲が劃定され、囲い込みがなされたのだ。
  そうした状況が前近代の学問の在り方と根本的に異なることを認識せず、あたかも各領域がアプリオリなものとして存在し、単線的に発展してきたという前提のもとにおこなわれる研究は、その対象をあらかじめ限定することになり、あるいは見誤ることにも繋がる。
  
 こうした問題意識から、本シンポジウムでは諸学を同じテーブルに並べ、近代以降も陸続と蓄積されてきた研究をどう生かすか、前近代の研究に立ち返ることでどのような新たな視点が導入できるのか、ということを考察してみたい。それは学問の枠組みの破壊/再編ということではなく、前近代を対象とする研究=「古典」研究に対する新たな意義を模索することである。また、古代以来の教育制度やジャンル認識の実態と変遷を把握することにより、前近代日本の知的体系をより大きな枠組みのもとに概観し、その土壌が受け止めたウェスタンインパクトと、そこから展開していった近代学問の様相を検討する。前近代の継承と断絶、読み換えと誤読という視点から、学問の変遷や編成の意味を考察することになろう。これは各分野の考察の深化のみならず、混迷をきわめる現代の諸学問にとっても新たな指針を提供することになるであろうと考えている。
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