
第 2次世界大戦中の1941年 6月、
ナチスドイツは 『独ソ不可侵条約』 を破り、ソ連に侵攻します。
レニングラード (現在のサンクトペテルブルグ) を包囲し、
当然 近郊の 「エカテリーナ宮殿」 も標的となりました。
(10月 3日のブログ参照 )

Adolf Hitler
アドルフ・ヒトラー (1889年ー1945年)
ヒトラーは、進駐に際し鑑定団を随行させ、
略奪すべく芸術品の価値を吟味させていたと伝えられています。

「琥珀の間」 は解体され、丁寧に梱包され
ケーニヒスブルグ (現在のカリーニングラード) に運ばれました。
ウィルヘルム1世からピョートル大帝に贈られた 『琥珀』 が、
200年以上も前にたどった道を逆行するように ・・
(10月22.23日のブログ参照 )
現在、カリーニングラードの博物館には、
200個に分包された 『琥珀』 を受け取ったという
記録が残っています。
*ケーニヒスブルグ = カリーニングラードは、
当時はドイツ領、現在はロシアの飛地領です。

『琥珀』 は、ケーニヒスブルグ城の一室に組み立てられ、
展示されていました。
1942年、当時のケーニヒスブルグ城の責任者は、
『琥珀の部屋は故郷に戻ってきた』 と記しています。
*写真は19世紀のケーニヒスブルグ城です。
残念ながら、第2次世界大戦末期に爆撃により壊滅。
1944年、戦況の悪化に伴い、ナチスドイツは 『琥珀の部屋』 を
再び解体、梱包し、どこかへ持ち去ります。
記録はここで途絶えます。
その後、あらゆる調査が試みられたにもかかわらず、
『琥珀』 の行方は杳として知れません。
『琥珀の物語』 の舞台は、カリーニングラードへ移ります。
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