
この肖像画のやさしい顔の男性こそが、
スペイン人によるペルー侵略の首謀者です。
Francisco Pizarro
フランシスコ・ピサロ (1471年 とも 1476年 とも ー 1541年 )
ピサロが率いた軍勢は、わずか200人とも500人ともいわれ、
圧倒的少数の人員でインカ帝国を滅ぼした手腕から、
まれに見る知将であるとも評価される人物です。

ペルーの首都 リマ ・・

その中心的なアルマス広場に建つ大聖堂 ・・

荘厳な礼拝堂 ・・

そのかたわらに、

ピサロの棺が安置されています。

(フランシスコ・ピサロの紋章 )

モザイク タイルの紋章 ・・

重厚な棺 ・・

棺の上に置かれた箱の中には、

ピサロの故郷 スペイン 『Trujillo トルヒーリョ 』 の
土が入っているそうです。

棺安置場の壁には、
『El Dorado エル ドラド (黄金郷 ) 』 が描かれています。

リマのアルマス広場の片隅には、ピサロの銅像が立っています。
しかし、観光客以外誰も見向きもしません。

ピサロの故郷 トルヒーリョに立つ銅像 ・・
スペインでは英雄です。

ユーロが導入される以前のスペイン紙幣 (1000ペセタ ) には、
ピサロの肖像が印刷されていました。

ペルーに上陸してから10年 ・・
(ペルー上陸は1531年、クスコ侵略は1533年 )
1541年、ピサロはリマで暗殺されます。
略奪した金品財宝をめぐる仲間割れが原因です。
黄金郷を夢見、黄金を手にしたピサロの結末です。
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