てっちゃんの部屋(模型で見る鉄道車両)

小学校近くに一軒のプラモデル店があった。陳列ケースの高価な鉄道模型。子供のころの夢。大人になって集めた鉄道模型の紹介。

Nゲージ 大阪市営地下鉄 60系

2016年07月31日 | 鉄道模型

 昭和44年、大阪万国博覧会を翌年に控え、大阪市営地下鉄堺筋線の開業および阪急京都線・千里線との相互直通運転が始まるのに合わせて、川崎重工業・日本車輌製造・汽車製造・日立製作所の4社で5両編成18本90両が一度に製造され昭和44年に登場したのが60系である。車体はアルミ合金製で、基本構造・電装機器類は30系アルミ車と共通するものが多く、屋根はモニター屋根であった。天井近くまで高さのある窓ガラスとその内側に行先表示器や尾灯を納めた、当時としては非常に斬新な前面デザインであった。側面の扉および窓の配置は、相互直通先である阪急の標準とは異なっている。昭和45年鉄道友の会のローレル賞を受賞。当初5両編成だったが昭和54年に6両編成、平成5年には8両編成に組替えられた。このため一部先頭車は運転台を簡易撤去して中間車化されたほか、6両編成への組替え時に連結された付随車は大半が電動車から電装解除された車両である。当初製造された全90両の後、追加生産はされなかった。平成15年11月の運用を持って終了し6014号の保存車以外はすべて廃車された。 

 


 模型はマイクロエース社製で、8両編成組み替え時の編成である。

 

 6002

 

 6102

 

 6202

 

 6302

 

 6602

 

 6702

 

 6402

 

 6502

 

 大阪地下鉄堺筋線は大阪地下鉄としては唯一架線終電方式を採用している。これは阪急との相互直通乗り入れを行うためである。この線は他線と集電方式が違うことが独自の車両デザインに結び付いたと考えられる。その車両デザインは阪急のそれとも良くマッチしている。60系のバトンを受け継いだ66系も、また他線と趣の異なる良いデザインの車両である。

 

 2016.07.31 N-0106


Nゲージ 大阪市営地下鉄 20系

2016年07月30日 | 鉄道模型

大阪地下鉄では長らく50系・30系が活躍してきたが、老朽化や陳腐化が目立ち始めてきたため新車を投入し、抵抗制御車の淘汰を進め、合わせて保守の合理化、冷房化率の向上による乗客サービスの改善をめざす目的で開発・量産された車両が20系である。3相誘導電動機をインバータ制御器で制御・駆動する当時最新のVVVF制御システムを搭載しており、大阪市交通局の第3軌条集電方式を用いる高速電気軌道全線で使用可能である。
2006年3月近畿日本鉄道けいはんな線生駒駅 - 学研奈良登美ヶ丘駅間開業時に同線における最高時速を70km/hから95km/hに引き上げることに伴い日立製IGBT素子に交換された。

 


写真は、TOMYTEC製 鉄道コレクション 

 

 2600形(Tec)

 

2100形(Mb)

 

2800形(T)

 

2300形(Mb)

 

2200形(Ma)

 

2900形(Tec)

 

 

2016.07.30 N-0105 

 


Nゲージ 京阪350型

2016年07月29日 | 鉄道模型

交野線で使用されていた800型の機器を流用して、石山坂本線専用車として、1966年から1967年にかけて新製されたのが350型である。車体は当時製造されていた260型2次車・3次車や300型と同形だが、京津線の急行(後に準急)運用に入らないことから、塗色は前記両形式の赤と黄色の京阪線特急色でなく、緑の濃淡の京阪線一般色となった。
平坦な石山坂本線専用であるため、発電ブレーキなどの京津線の勾配対策装備が省略されている。600形の増備により晩年は主にラッシュ時用となり、1997年10月の大津線昇圧時に全車廃車され形式消滅した。

  

 


模型はTOMYTEC製 

 

 

351

 

2016.07.29 N-0104


Nゲージ 京阪700系

2016年07月28日 | 鉄道模型

 京阪京津線、石山阪本線でそれまで使用された350形や500形の車体を流用して製造し、平成4年から運用が始まったのが京阪700形(3代目)電車である。当時は、京都三条駅から浜大津までの京津線の準急にも使用されていたのは600系と同じで、京都地下鉄と相互乗り入れを実施してからは石山阪本線の運用のみとなった。先に大津線に投入されていた600形を基本としながらも、大津線系統の1500V昇圧に当初から対応する車両として製造された。前面が600系の様に傾斜していないので見分けは容易である。

 

 


 模型はTOMYTEC製の鉄道コレクション。

 

 709-710 (鉄道むすめラッピング車)

 

 701-702 (きかんしゃトーマス号2015ラッピング車)

 

2016.07.28 N-0103

 

 


Nゲージ 京阪600系

2016年07月27日 | 鉄道模型

 京阪京津線、石山阪本線でそれまで使用された300形や260形の車体を流用して製造し、昭和59年から運用が始まったのが京阪600形(3代目)電車である。当時は、京都三条駅から浜大津までの京津線の準急にも使用されていたが、京都地下鉄と相互乗り入れを実施してからは特別列車を除き石山阪本線の運用のみとなった。1次車から4次車まである。

 


 模型はTOMYTEC製鉄道コレクション

 

 609-610 (2次車)

 

 603-604 (1次車 特急色)

 

 617-618 (4次車)

 

 613-614 (3次車 けいおんラッピング車)

 

 619-620 (4次車 鉄道むすめラッピング車)

 

2016.07.27  N-0102

 


Nゲージ 智頭急行 スーパーはくと H0T7000系

2016年07月26日 | 鉄道模型

 1994年12月に智頭急行智頭線の開業により、新大阪から鳥取・倉吉間の運転用に登場したのが、HOT7000である。京阪神から鳥取へは、それまで山陰線や福知山線経由の特急列車を利用するのが一般的であったが、それに比べて1時間も短縮した。京都から鳥取の場合智頭急行を経由した場合の方が約20kmも長いにもかかわらず運転時間は短いといった現象が生じている。しかし、山陰線はカーブが多く、単線区間も存在するなど高速運転には不向きであるが、東海道本線、智頭急行線は連続して高速運転が可能であるためである。加えてHOT7000系は高速運転が可能な気動車として、1両に2基の355PSエンジンを搭載し、かつ振り子機構を備えてカーブの通過速度をアップさせたことによる。HOT7000で運転される特急列車は「スーパーはくと」との名称がつけられたが、これは日本神話の「因幡の白兎」(いなばのしろうさぎ)に由来し、「白兎」の音読みとなっている。形式称号のHOTとは、智頭線の沿線である兵庫県の「H」、岡山県の「O」、鳥取県の「T」を組合せ7000系は機関出力が約700PSであることに由来する。東海道線内、智頭急行線内では130km/hの高速運転を行っている。智頭急行線にあるトンネルの前後での高速運転は圧巻である。上りこう配でもゆうに100km/hを超え力行しトンネル通過後の下りこう配では130km/hの惰性・制動運転が続く。2度のリニューアル工事が実施され現在は、京都-鳥取・倉吉間で活躍中である。

 


 模型は、マイクロエース製

 

 非貫通先頭車(大阪向き) HOT7000形 7002

 

 中間車 HOT7040形 7042

 

 中間車 HOT7030形 7033

 

 貫通型先頭車 HOT7020形 7022

 

 中間車 HOT7030形 7034

 

 非貫通型先頭車(鳥取向き) HOT7010形 7012

 

 先頭に出ることもある貫通型の HOT7020


 

智頭急行が運営する智頭線は、もともと山陰-山陽連絡路線の1つである国鉄智頭線として、鉄道公団により建設が進められていたが、国鉄の経営悪化を受けて、国鉄再建法によって建設が凍結されることになった。この時点で智頭線は、用地の95%、路盤の30%、軌道の10%まで工事が完成していた。昭和58年、当時の鳥取県知事よって智頭線について第三セクターによる運営引き受けの検討を行い、国鉄との特急列車の直通を行えば黒字化が可能との調査結果を得た。こうして誕生したのが智頭急行鉄道智頭線である。多くの第三セクターが誕生したがそのほとんどは赤字にあえいである中で、現在智頭急行は収益トップの座にある。


2016.07.26 N-0101


Nゲージ 小田急20000系 ロマンスカー (祝 Nゲージ100回掲載)

2016年07月25日 | 鉄道模型

小田急では、1955年から御殿場線へ直通する列車をキハ5000形気動車により運行を開始し、御殿場線電化後はSE車を5両連接に短縮したSSE車を使用して急行「あさぎり」として運行していた。SE車は耐用年数を10年として製造された車両であり、1968年の時点で既に10年を超えていたが、当時の国鉄の反対に度々合いSSE車の更新によってかろうじてしのいでいた。
しかし、御殿場線沿線では1964年ごろから小田急の直通列車を沼津まで乗り入れるように要望が出おり、国鉄分割民営化後には御殿場線の利用者が増加したことに対応して富士岡と岩波に列車交換設備が新設されたことが契機となり、小田急とJRの間で相互直通運転に関する協議が進められ、特急に格上げした上で運行区間も新宿 - 沼津間に延長し、あわせて2社がそれぞれ新形車両を導入し相互直通運転を開始するにあたり登場したのが7000系RSE車である。

2社の協議によって相互直通運転車両の規格化が実施され、編成の内容や定員・性能・保安機器などは極力合わせ、それ以外の部分については各社ごとの特色を活かす方針となった。このため、ロマンスカーとしては通常のボギー車となり前面展望席も設置されなていない。また、連接車と全長を合わせるため、編成長は全長140m程度の7両固定編成となった。共通仕様となったJRの車両は371系である。どちらも2階建て車両2両の連結や特別席(スーパーシート・グリーン席)を設置していることが特徴である。製造数は2編成14両のみで運用が特化されているので少ない。 RSE車とは"Resort Super Express"の略である。1992年に鉄道友の会よりブルーリボン賞を受賞。製造後約20年の早さで後継のMSE車にその役目を引き継ぎ運用を終えた。2014年から1編成が3両編成に短縮されて富士急行で8000系として運用している。

 


 模型は、MODEMO製

 

 デハ20301

 

 デハ20201

 

 サハ20251

 

 サハ20151

 

 デハ20101

 

 サハ20051

 

 デハ20001

 

2016.07.25 N-0100


Nゲージ 小田急10000系 RSEロマンスカー

2016年07月24日 | 鉄道模型

1987年に小田急開業60周年となることから、これを記念すべく新形特急車両を増備することになった。当時は、観光バスなどもハイデッカー車の導入が進んでおり、他の鉄道会社でも優等列車にはハイデッカー車が登場していた。また、この時期のレジャーの傾向は多様化が進んで、ゆとり以外に「一味違ったもの」が求められていた。これらの要求に対応するために、前面展望席や連接構造はNSE車・LSE車から踏襲する一方、展望席以外の乗客も車窓の眺望を楽しめるようにハイデッカーとした上で、車両内外ともにカラーリングを変更し、イメージの一新を図って1987年に登場したのが10000系HiSE車である。形式は10000形と、小田急では初めて5桁の形式番号・車両番号を有する車両となった。1988年には鉄道友の会よりブルーリボン賞を受賞。近年バリアフリー対策化を推進するうえで、ハイデッカーゆえの困難に遭遇し、VSE車に置き換えて7000系より早く引退する運命となり2012年に運用から退いた。一部の車両は編成を4両に短縮した上で長野電鉄に譲渡され余生を送っている。 

  


 模型は、TOMIX製

 

 

 デハ10001

 

 デハ10002

 

 サハ10003

 

 

 デハ10004

 

 デハ10005

 

 デハ10006

 

 デハ10007

 

 デハ10008

 

 サハ10009

 

 デハ10010

 

 デハ10011

 

2016.07.24 N-0099


Nゲージ 小田急7000系 LSEロマンスカー

2016年07月23日 | 鉄道模型

 小田急では、1957年にSE車、1963年には前面展望席を設けたNSE車を登場させていた。その後、1970年代に入ると設計当時に耐用年数を10年として設計した車両であったSE車は老朽化が進み、保守やサービスの面からも検討を要する時期となっていたため、SE車の後継車として新型特急車両の事前調査研究が開始され、検討を重ねたうえで1980年NSE車以来18年ぶりの新型特急車両として登場したのが7000系LSE車である。車体全般は3100系NSEを踏襲し、11両連接車となったいるが、前頭形状は3100系よりスマートになり進化がうかがえる。1982年国鉄に貸し出されて通常のボギー車と連接車の比較試験を実施し貴重なDATAを提供した。1981年に鉄道友の会よりブルーリボン賞を受賞。

 


 写真は、TOMIX製

 

 

 デハ7001

 

 デハ7101

 

 サハ7051

 

 デハ7201

 

 デハ7301

 

 デハ7401

 

 デハ7501

 

 デハ7601

 

 サハ7151

 

 デハ7701

 

 デハ7801

 

2016.07.23 N-0098


Nゲージ 小田急3100系 NSEロマンスカー

2016年07月22日 | 鉄道模型

1957年に箱根特急にSE車が登場して以来、特急ロマンスカーの利用者は増加を続け、週末にはSE車を全てフル稼働してもなお輸送力不足の状態となっていた。1959年以降は特急より安価な準特急を2300形・2320形によって運行していたが、1960年9月には箱根ロープウェイの全通によって「箱根ゴールデンコース」が形成され、さらに箱根への観光客は増加した。
1964年に東京オリンピックの開催を控えていることもあって、特急車のさらなる増備を求める声が上がるようになり、種々検討された結果、最終的には、「特急車両は企業の看板であり、斬新さと華やかさで乗客に夢を与えるものでないといけない」という考え方により、新形車両を製造することになり、1963年登場したのが小田急3100形電車である。
小田急の特急車両では初めて前面展望席を設けた車両で、 "New Super Express" (略して「NSE」)という愛称がつけられた。1964年には鉄道友の会よりブルーリボン賞を受賞している。編成は、11両連接車構造とし以後の新製される小田急ロマンスカーはこの編成を長らく踏襲した。2000年惜しまれつつ全編成が引退した。

 


 模型は、マイクロエース製 さようなら編成 

  

デハ3221

 

デハ3222

 

デハ3223

 

デハ3224

 

デハ3225

 

デハ3226

 

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デハ3230

 

デハ3231

  

2016.07.22 N-0097