来年への思いのひとつに、「寛容なものさし」。
そう言えば 大好きな「相田 みつをさん」の詩集にもこんな詩がありました。
「そんかとくか
人間のものさし
うそかまことか
仏さまのものさし」
この“ものさし”がちっちゃいなぁ~って思うばかりの私。
父の病院に行く度に学ばせていただくのですが、いろんな方々が病院にいます。
病と闘う小さな子供さんから高齢者の方。
こうして健康である幸せを当たり前だと思う傲慢さ。それに加え煩悩の多いこと。
そして気づく 自分の“ものさし”のちっぽけさ・・・
でも、気づいたら直せばいいのだと思っています。
先日の「オーラの泉」のビデオをみて・・・
“心の栄養失調”と言う言葉がありました。その中に日本文化・叙情・奥ゆかしさ・お行儀の良さ・・・などが語られていました。物質的に生きると価値観にも変化が出てそこに差別が出来る。
親の背中を見て育つ我が子・・・
今、必要なのは大人の反省だともありました。
「人はなぜ生まれてくるのか?」
”あの世にもって行けるのは、経験と感動”だけ・・・それが一番の財産であって「一番は心」
“あの世も想念”・・・想念次第。
波長の法則、レベルの同じもの同士が集まるとも・・・
嫌な人に出会ったら、自分の未熟な部分を教えてくれると思い、ステキな人に出会えることは自分の中で磨かれているからこそそんな人に教えを請うことができると。
私が葬送の思いで悩んでたことは、今思えば葬送に対して磨きをかける準備期間であって、それが「久世 栄三郎さま」の教えを請うことにもなれたのですね。
そして、その思いが通じる方々と今こうして出会えたのです・・・
私は未熟な自分を見るのが嫌で随分逃げていたのかも知れません。
自分のものさしがちっぽけだから!
生まれてきた価値について考えたことあったかな?と自問しながら、もっとたくさんの経験を積むためにも もっと興味を持ち知らない世界にも学びの心を持たなければと・・・でないと“あの世”できっと後悔と寂しい思いをするのでしょうから。
最後に行ってた 江原さんのお言葉に「お葬式ではみんなが泣いているけれど“あの世”では反対に「よく頑張ったね。修行が終わったんだね。」って喜んで迎えてくれる」(のような言葉?でした。)
ご葬儀で“拍手”・・・久世塾長のお話が思い浮かんできた言葉でした。
私は、母であり妻。そして嫁であり娘でもあるわけで・・・全部ひっくるめて「わたし」の成長は未熟もの。
拍手して送られる人生目指して頑張らなくては生きてる価値は語れない。
そんな今朝。
「鏡の法則」での記載事項に目が止まったのでした。
出会えた方々の思いを一人一人浮かべ感謝の思いをを告げる事・・・などなど。
ここにご訪問して下さる方・・・感謝の念が届くのでしょうか?