皆さん、こんにちわ。引き続き、今度は過去写真をピックアップということにしましょう。なにせ他に新しい写真が一向にない状態なので・・・。
今回のテーマは阪和線における南海/泉北車輌の甲種回送、ただし国鉄時代といきます。なぜ国鉄時代かというと単純な話でJR化後、1枚も撮っていないだけのことです。
以下、写真を撮り始めたころから国鉄時代最後までの阪和線で撮影した、甲種回送写真をご覧ください。

9990レ 変A82 EF15174+ヨ+大阪府都市開発100系6連(冷改送込)+ワフ S60.1.22 紀伊ー山中渓
[天61]これが私が甲種回送を撮影した最初の列車です。当時国鉄私鉄を問わずサービス向上のため、非冷房車の冷房改造が盛んでした。
大阪府都市開発(以下泉北)でも100系の冷房改造を進めていたのですが、自社や南海委託ということはせず、製造メーカーの東急車輌に遠路はるばる送っていました。
そのため例年以上に阪和線では甲種回送が設定されたのです。
今と違い日中に設定され、上り(送込)は朝のラッシュ後、下り(返却・新製)は午後に走っていました。
当時の阪和線、木製の架線柱もまだまだ残っており、この山中渓では4線時代の名残の側線が残っています。

9999レ A431 EF1558+ヨ+南海8200系6連(8705F)+南海6200系2連(6231・32)+ヨ S60.8.8 新家ー和泉砂川
[東南330]運用離脱前に甲種牽引で引退に花道を添えてもらったEF1558。
8200系第3編成に6200系増結車2連の新製車8輌が甲種回送されました。この8705F、製造が始まったばかりの9000系似のスタイルに変わっています。

9999レ A431 EF15181+ヨ+南海10000系2連×4(10001F~04F)+ヨ S60.10.1 杉本町ー浅香
[東南331]いよいよ1000系置換のために製造が始まった10000系を牽引するEF15181。旧塗装の10000系、とてもフレッシュで眩しいですね!
EF15181、この3日後のA421運用で臨貨を牽引して運用離脱となりました。


9990レ A270 EF15158+ヨ+大阪府都市開発100系8連(冷改送込)+ヨ S61.1.17 上:紀伊ー山中渓 下:竜華(信)[久宝寺]
[天81]EF15牽引最後の甲種回送となったS61.1.17の9990レ。同じ列車を2枚アップしていますが、電車で追っかけしました。
和歌山操8:45発 紀伊9:00通過 山中渓9:11通過 杉本町9:56着10:15発、そして竜華(信)10:32着 というダイヤだった9990レ。一方雄ノ山で撮影後、ヒッチハイクで山中渓へ、そこから追いかけるとなんと追いついたのです。
EF15158はS61.11改正の貨物廃止まで生き延びましたが、このあと甲種回送を牽引することはありませんでした。

9990レ A271 EF6092+ヨ+大阪府都市開発100系8連(冷改送込)+ヨ S61.6.27 新家ー長滝
[天3]遅い田植え直後の旧上之郷付近を行く、EF6092牽引の泉北100系冷改送込甲種回送。EF60牽引の南海/泉北甲種回送は計5回設定されましたが、上りはコレ一回きりでした。

9963レ EF60507+ヨ+大阪府都市開発100系8連(冷改返却)+ヨ S61.10.14 竜華(信)-杉本町
[本甲98]6月27日に東急車輌に冷改のため送り込まれた泉北100系が帰って来ました。送込まれてから返却されるまでおよそ3ヶ月余り。
EF60500番台が甲種回送牽引したのは、この時1回のみ。貨物廃止まであと2週間ほど、となった時のことでした。


上:9867レ EF6574+ヨ+9000系6連+10000系2連+ヨ 石山ー膳所
下:9963レ EF6092+ヨ+10000系2連+9000系6連+ヨ 長滝ー新家 (※9007~10、9507・08、10005F) いずれも S61.10.21
[本甲100]S61.11改正を控え、この時だけは東海道本線まで南海甲種を撮影に出かけました。完全に逆光でしたが構わず1枚。駅撮りじゃないのなら他にどこか場所もあろうに・・・、なぜここで撮影したんですかね?
そのあと吹田・竜華と機関車交換のために停車している間に長滝に先回り。稲刈りが終わり、サトイモの葉だけが揺れている旧上之郷/三軒家界隈でさらにもう1枚。竜華で向きが変わり今度は10000系が前位となってます。
ダイヤ改正・定期貨物廃止まであと10日。これがEF60、そして長らく続いた竜華区ELによる最後の甲種回送となりました。

9999レ DD511043+ヨ+10000系2連×2(10006F・07F)+ヨ S62.3.10 長滝ー新家
S61.11ダイヤ改正後も南海/泉北の甲種回送は存続。牽引は亀山区のDD51に変わりました。
これは国鉄時代最後の甲種回送となった10000系増備車の甲種回送。後ピンなのと画像ムラ(自家現像失敗!)はご容赦を。
こののちJRとなった後も当初はJR西日本機、その後JR貨物機が牽引。一時の中断と吹田のJR貨物DD51の廃止を経て、再びJR西日本機が和歌山市までを牽引担当して現在に至ります。
以上、いかがでしたか?
阪和貨物の廃止、さらにおおさか東線工事と百済駅改良工事による甲種回送中止、その後の経由変更による復活と、南海/泉北甲種回送は紆余曲折を経ながらも今も年に数回ではありますが走り続けています。
ただその走行時間はまったくの深夜から未明にかけてで、なかなか姿を見かけることがありません。
それでも今も続いているこの甲種回送、次の機会こそなんとかお目にかかってみようと企んでおります。
その際にはまたご報告をいたしますので。
ではまた。
今回のテーマは阪和線における南海/泉北車輌の甲種回送、ただし国鉄時代といきます。なぜ国鉄時代かというと単純な話でJR化後、1枚も撮っていないだけのことです。
以下、写真を撮り始めたころから国鉄時代最後までの阪和線で撮影した、甲種回送写真をご覧ください。

9990レ 変A82 EF15174+ヨ+大阪府都市開発100系6連(冷改送込)+ワフ S60.1.22 紀伊ー山中渓
[天61]これが私が甲種回送を撮影した最初の列車です。当時国鉄私鉄を問わずサービス向上のため、非冷房車の冷房改造が盛んでした。
大阪府都市開発(以下泉北)でも100系の冷房改造を進めていたのですが、自社や南海委託ということはせず、製造メーカーの東急車輌に遠路はるばる送っていました。
そのため例年以上に阪和線では甲種回送が設定されたのです。
今と違い日中に設定され、上り(送込)は朝のラッシュ後、下り(返却・新製)は午後に走っていました。
当時の阪和線、木製の架線柱もまだまだ残っており、この山中渓では4線時代の名残の側線が残っています。

9999レ A431 EF1558+ヨ+南海8200系6連(8705F)+南海6200系2連(6231・32)+ヨ S60.8.8 新家ー和泉砂川
[東南330]運用離脱前に甲種牽引で引退に花道を添えてもらったEF1558。
8200系第3編成に6200系増結車2連の新製車8輌が甲種回送されました。この8705F、製造が始まったばかりの9000系似のスタイルに変わっています。

9999レ A431 EF15181+ヨ+南海10000系2連×4(10001F~04F)+ヨ S60.10.1 杉本町ー浅香
[東南331]いよいよ1000系置換のために製造が始まった10000系を牽引するEF15181。旧塗装の10000系、とてもフレッシュで眩しいですね!
EF15181、この3日後のA421運用で臨貨を牽引して運用離脱となりました。


9990レ A270 EF15158+ヨ+大阪府都市開発100系8連(冷改送込)+ヨ S61.1.17 上:紀伊ー山中渓 下:竜華(信)[久宝寺]
[天81]EF15牽引最後の甲種回送となったS61.1.17の9990レ。同じ列車を2枚アップしていますが、電車で追っかけしました。
和歌山操8:45発 紀伊9:00通過 山中渓9:11通過 杉本町9:56着10:15発、そして竜華(信)10:32着 というダイヤだった9990レ。一方雄ノ山で撮影後、ヒッチハイクで山中渓へ、そこから追いかけるとなんと追いついたのです。
EF15158はS61.11改正の貨物廃止まで生き延びましたが、このあと甲種回送を牽引することはありませんでした。

9990レ A271 EF6092+ヨ+大阪府都市開発100系8連(冷改送込)+ヨ S61.6.27 新家ー長滝
[天3]遅い田植え直後の旧上之郷付近を行く、EF6092牽引の泉北100系冷改送込甲種回送。EF60牽引の南海/泉北甲種回送は計5回設定されましたが、上りはコレ一回きりでした。

9963レ EF60507+ヨ+大阪府都市開発100系8連(冷改返却)+ヨ S61.10.14 竜華(信)-杉本町
[本甲98]6月27日に東急車輌に冷改のため送り込まれた泉北100系が帰って来ました。送込まれてから返却されるまでおよそ3ヶ月余り。
EF60500番台が甲種回送牽引したのは、この時1回のみ。貨物廃止まであと2週間ほど、となった時のことでした。


上:9867レ EF6574+ヨ+9000系6連+10000系2連+ヨ 石山ー膳所
下:9963レ EF6092+ヨ+10000系2連+9000系6連+ヨ 長滝ー新家 (※9007~10、9507・08、10005F) いずれも S61.10.21
[本甲100]S61.11改正を控え、この時だけは東海道本線まで南海甲種を撮影に出かけました。完全に逆光でしたが構わず1枚。駅撮りじゃないのなら他にどこか場所もあろうに・・・、なぜここで撮影したんですかね?
そのあと吹田・竜華と機関車交換のために停車している間に長滝に先回り。稲刈りが終わり、サトイモの葉だけが揺れている旧上之郷/三軒家界隈でさらにもう1枚。竜華で向きが変わり今度は10000系が前位となってます。
ダイヤ改正・定期貨物廃止まであと10日。これがEF60、そして長らく続いた竜華区ELによる最後の甲種回送となりました。

9999レ DD511043+ヨ+10000系2連×2(10006F・07F)+ヨ S62.3.10 長滝ー新家
S61.11ダイヤ改正後も南海/泉北の甲種回送は存続。牽引は亀山区のDD51に変わりました。
これは国鉄時代最後の甲種回送となった10000系増備車の甲種回送。後ピンなのと画像ムラ(自家現像失敗!)はご容赦を。
こののちJRとなった後も当初はJR西日本機、その後JR貨物機が牽引。一時の中断と吹田のJR貨物DD51の廃止を経て、再びJR西日本機が和歌山市までを牽引担当して現在に至ります。
以上、いかがでしたか?
阪和貨物の廃止、さらにおおさか東線工事と百済駅改良工事による甲種回送中止、その後の経由変更による復活と、南海/泉北甲種回送は紆余曲折を経ながらも今も年に数回ではありますが走り続けています。
ただその走行時間はまったくの深夜から未明にかけてで、なかなか姿を見かけることがありません。
それでも今も続いているこの甲種回送、次の機会こそなんとかお目にかかってみようと企んでおります。
その際にはまたご報告をいたしますので。
ではまた。
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