比較芸術文化論

http://www.facebook.com/yuhji.mutoh
twitter:@forimalist

現代アートが社会に果たす役割について

2013-07-15 09:19:21 | アート・文化
130716_002◆アートの効用は、今や人々に単に“芸術的な感興”を与えることではない。現代社会におけるアートの最大の効用はアートによってその地域の人々の絆を強化すること、さらには、地域アイデンティティを醸成し「地域の誇り=シビック・プライド」を取り戻すことだ。そのためには、モダンアートではなく現代アートの方がより良くその役割を担い得る。なぜなら、モダンアートは個性や自己表現を得意とするが、現代アートは作者の自己表現よりも人と人とを結びつけるコミュニケーション機能を重視するからだ。
 現代アート作品は、それを鑑賞したり触ったり参加したりすることによって人々の“心に動きを喚起”する。そして、その心の動きが人々に共有・共感されることによって初めてアート作品として完成される。そういう意味では、現代アートは人々を結びつける媒体=メディアなのだ。そして、そのメディアを流通する内容=コンテンツは、作者の個性や感情・想念ではなく“鑑賞者たちの心の動き”だといえよう。
◆ところで、名古屋には(おそらく)他の地域にない「喫茶店文化」がある。名古屋の早い朝は喫茶店から始まる。全国チェーン系のいわゆるカフェではない。地元に古くからある多くは個人経営の喫茶店。ご近所のおばちゃん、おじちゃん、おばあちゃん、おじいちゃんが喫茶店に集まる。そこでひとしきり天気や景気、自分の体調などの世間話をしてから仕事に出かけ、家事に戻る。したがって、なじみの人が来ないと心配し合う。この喫茶店コミュニティが元気な限りその地域に孤独死はないし、死んだ親の年金をもらい続ける輩や振り込め詐欺も起こらないだろう。
 こうした喫茶店文化を典型とする都市コミュニティに対して活力を与えることが都市型アートプロジェクトならではの、即ち愛知県においてはあいちトリエンナーレの最大の役割なのだ。(あいちトリエンナーレ・ガイドツアーボランティア応募レポートを若干改変)


場所、記憶、芸術(アート)

2013-07-11 21:31:23 | アート・文化
◆あいちトリエンナーレ2013のテーマは、「Awakening 揺れる大地・われわれはどこに立っているのか:場所、記憶、そして復活」である。そこの“土地や場所”にまつわる“記憶”をアートによって際立たせ、“呼び覚まし”(=Awakening)、そして、その“記憶”を人々に“再び刻み付ける”。そうしたことが、名古屋を中心に行われる。世界中のどこの場所にでも置けるようなものを想定したモダンアートではなく、サイトスペシフィックなアート、つまりその場所でしか成り立たないアート作品が仮設、あるいは上演される。いってみれば、そういう作品においては、作者の個性や自己表現といったモダンアートの必須要件さえも不要なのかも知れない。
◆東日本大震災のあの被害も、千年前の記憶がしっかり残っていれば、もう少し被害は少なかったのかも知れない。1年前の2010年2月のチリ地震による津波が1mほどだった最新の記憶が鮮明すぎて油断を呼んだのかも知れない。悔しいことだ。岩手県三陸地方では「此処より下に家を建てるな」という石碑が残されていて助かった集落がある。また、「津波てんでんこ」という教訓が生かされて助かった小学校がある。津波の記憶を原爆ドームのような震災遺構として残そうとする保存運動もあると聞く。東日本大震災の映像アーカイブとして、国立国会図書館は「ひなぎく」、グーグルは「未来へのキオク」を立ち上げた。
◆アートキュレーター長谷川祐子氏はあるテレビ番組で「美術館は記憶の保存箱である」と言った。震災後、古地図が売れているとも聞く。日本は、もともと自然災害が極めて多い国である。地震や津波、そして大火や戦災により、街がまるごと一面焼け野原、廃墟と化す歴史を何度も経験してきた。名古屋も戦災や大洪水によって一面の廃墟を経験してきた。住居が木や紙で出来ていたことも関連すると思われるし、石の文化の西欧との大きな違いなのかも知れない。しかし一方で、日本人は畳や神社の社に限らず何でも真新しい、新調したものが好きである。モダニズム建築の鉄筋コンクリートの建物は高々100年が寿命という。それを日本の建築界の常識として助長し、日本の街は、壊して作るということがあまりにも安易に繰り返されているように思えてならない。最近はリノベーションという発想で古い建物を生かすことも行われているが、こうした考え方がもっと必要なのではないか。
お年寄りがそれまで住み慣れた土地を引っ越したり、住居を改築によって変えたりすると、認知症が急速に進行することがあるということを聞く。日本人を、日本を認知症にしてはならいない。その役割をアートが担えるのだと思う。P1010074
Photo

≪Field work notes:①NHK教育「ユーミンのSUPER WOMAN」2012年8月10日、17日、②金城学院高等学校榮光館「歴史まちづくり講演会」などにおけるあいちトリエンナーレに関する五十嵐太郎氏の講演≫