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Forget-me-not

忘れな草(私=中年男)の仕事やプライベートの楽しいこと・嬉しかったこと・悲しいこと・辛いこと・おバカのことの日記。

二つの保育士資格

2019年05月09日 15時56分04秒 | なぜ保育士に?
私は保育士資格と、もう一つ国家戦略特別区域限定保育士資格を持っています。
国家戦略特別区域限定保育士資格は三年間、受験した特区でのみ保育士として通用する資格で、それ以降は通常の保育士と同じ資格として全国で働けるようになります。

まだ私が10代の頃は保育士と呼ばず、保母と呼んでいました。法律改正で、名称独占になって保育士と変わったのが30の頃。そして、諦めていた保育士資格が高卒の私でも受験資格ができたことで直ぐに準備を始めた矢先…、ひとり親になって一歳前と二歳前の娘を育てることになり、その時 夢は諦めました。

娘もだいぶ手がかからなくなったことで諦めきれなかった想いが込み上げて、10年以上経った頃から漸く受験をすることにしました。
娘が大きくなったとはいえ、なかなか勉強をする時間もなく5年かかって資格を取得しました。でも、その時は資格だけを取るって目的に変わっていました。何故なら心臓の手術など、多数の病気と闘うことになったし働く体力も無くなったから。
それで、なかなか合格できず、新たに法律改正で国家戦略特別区域限定保育士というのが秋に行われることになって、縋るように受験し、合格しました。


きっかけ

2019年05月09日 15時44分11秒 | なぜ保育士に?
幼い頃、孤児院のことを知りました。
今では、乳児院・児童養護施設といいます。

昔、「憧れの子」がいました。
元気で、優しい笑顔。

その子の夢は幼稚園の先生になること。
公園では子供達にせがまれて楽器を演奏したり。
よく見かけるその子は、当時心の傷を負った私の生きがいでした。

でも、その子は居なくなりました。

私は、私の道があって決められたレールの上を
進まなければならなかった当時。
でも、その人の夢を私が受け継ぎたいと
いつも心の中で温め続けていました。

大学も出ていない私は、特例制度も使えなかったし
幼稚園教諭の道は完全に閉ざされました。

数年経ち、いろんな事情が変わって
通信でも大学に行ける可能性もあったけど
経済的なことや子育てもあるし
保育士として夢を叶えようと決意。
後にそれが最善だとわかりました。

あの子は、幼稚園教諭になると言ったわけじゃなくて
子どもたちのために生涯を捧げたかったんだと解りました。

そして、別れから約30年かかって
保育士としてある施設で働くことができる夢と
あの子の意志を継ぐことができました。

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自宅で家庭養護を目指していたんですけど
たくさんいろんなことがありました。
この最終目標は潰えました。

でも、こうやって働けるようになったのも不思議な感じです。

それから、前職の同僚にも感謝です。
雰囲気があの人そのまんまで
ずっとしまっていた感情が溢れてきちゃいました。
その元同僚は、ずっと健康で笑顔でいてほしいですね。
私よりはるかに若いし、きっと大丈夫!