イタリアの泉

今は日本にいますが、在イタリア10年の経験を生かして、イタリア美術を中心に更新中。

無原罪の御宿リの勘違い

2016年12月16日 23時03分27秒 | イタリア・文化

先日Milanoで見た、Piero della FrancescaのMadonna di misericoldia(慈悲の聖母)について書こうと思って聖母崇拝崇敬※について調べていたところ、すごい勘違いをしていたことに気が付いた。
※「崇拝できるのは神(三位一体)のみ」とご指摘頂きました。
12月8日、こちらはImmacolata Concezione(無原罪の御宿リ) で祝日なのですが、
この「無原罪の御宿リ」って?

実は私今日までマリアがキリストを身ごもった日、と勘違いしていたんです。
ただ、言い訳ではないですが、この勘違い私が間抜けなというだけではなくて、キリスト教徒の人たちでも結構勘違いしている人が多いというのです。(やっぱり言い訳か)
ず~と、なんで12月8日に身ごもったのに、生まれたのが12月25日なのか、不思議だったんですよね。
ただ、よ~く考えてみれば、これがマリアの身ごもった日ではないって知っていたんですよ。
だって、よく考えたらキリストを身ごもった日、というのは一般的にAnunnciazione(受胎告知)と言うではないですか。
受胎告知の日は3月25日だよ。
だからキリストが生まれたのが12月25日でも計算が合うわけ。
ちなみにマリアが生まれたのは9月8日。この日は祝日ではありません。

では誰が”無原罪”で妊娠したのか?
それはキリストの祖母にあたる聖アンナでした。

この絵を見ただけでは、アンナかマリアか分からないじゃん、と突っ込みたくなるのですが、これはアンナ。
跪くアンナと壁を通り抜けて半身を出す大天使ガブリエル。
聖書においてガブリエルは「神のことばを伝える天使」とされ、ガブリエルという名前は「神の人」という意味なんだそうです。
この絵はGiottoがPadovaのスクロヴェーニ礼拝堂に描いたアンナの物語から。
この礼拝堂は受胎告知と聖母マリアの慈愛に捧げられており、聖母マリアの生涯とキリストの生涯がフレスコ画で描かれている。
ということで受胎告知の方は、というと

こちらです。

ルカの福音書より。
天使はマリアの家に入って来て、神の子を宿したことを告げます。
大天使ガブリエルは神からNazaret(ナザレ)と呼ばれたGalilea(ガリラヤ)という街に、Giuseppe(ヨセフ)という名前のDavide(ダヴィデ)家の男性と婚約している処女のもとに遣わされた。
処女の名前はマリア。
彼女の家に入ると、大天使は「 Ave gratia plena dominus tecmu (おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられます)」と言った。
この言葉に驚きを隠せず、この挨拶は一体どういう意味なのか考えている様子のマリアに天使は「恐れることはないマリア。なぜならあなたには神の慈悲を賜った。
息子を宿したのだ。その子に光を与えキリストと名前をつけるだろう。」(中略)
マリアは大天使に問うた「どうしてそんなことができるというのですか?私は男性を知りません」
大天使はこう言いました。「聖霊があなたに降りて来て、いと高き方の力があなたを包む。生まれて来る人は神の子と呼ばれる。
そしてあなたの親戚であり、年老いたElisabettaも息子を身ごもった。みんなが不妊だろうと言っていた彼女は今既に妊娠6か月。
神に不可能はない」
これを聞いてマリアは「分かりました、私は神のはしためです。あなた様が申したようにな事が私の身におこることでしょう。」と答えた。 

聖アンナは聖母マリアの母ですが、正典福音書には言及がありません。
聖母が出生したいきさつや聖母の幼時の物語はヤコブ原福音書 に詳しく記されているそうです。
その福音書によると
アンナと夫ヨアキム (Gioacchino) は裕福で敬虔な夫妻でした。
ふたりは長い間子供が無いことをいつも嘆いていました。そんな時ふたりの所にそれぞれ主の使いが現れてアンナが懐妊することを告げ、ヨアキムは妻のもとに戻って喜び合いました。
やがて月が満ち、アンナに女の子が生まれます。二人は娘をマリアと名付け、マリアが3歳になると神殿に捧げました。
マリアは12歳になるまで神殿で養育され、天使の手から食物を受け取って育ったそうです。

しかし聖書には「聖母マリアが母アンナの胎内に宿った瞬間から原罪を免れていた」と明確な記述は有りません。
詳しいことを書くとものすごく大変なので、省きますが、無原罪の御宿リに関しては何百年にも渡って論争されてきた教義なのですが、 教皇ピオ9世は、1854年12月8日、これを正式に信仰箇条(キリスト者が信じるべき教え)として宣言。以来、この日は、カトリック教会の大切な祝日とされている。


古からある女神信仰が聖母崇拝崇敬へと自然に流れていく過程で、聖アンナは聖母の母として、すべて母性的なるものの根源であるという思想も広がって行きます。
先日紹介したMasaccioとMasolino da Panicaleの共作を思い出してくださいね。
イタリアではAnna Meterzaと呼ばれていた、キリストを抱く聖母と聖アンナの3人の構図の作品が作られるようになるのもこの思想があるからです。
特にドイツにおいて1480 - 1520年頃この3人が描かれた「アンナ・ゼルプドリット」 (Anna Selbdritt) と呼ばれる図像が流行しました。

原罪というのは、人類最初の女性であるイヴ(イタリア語ではEva)が神様からダメって言われていたのに、蛇の誘惑に負けてアダム(Adamo、神が最初に造った人間)と共に知識の実であるリンゴを食べたことで与えられた罪のこと。
全ての人間はこの二人の子孫と考えられ、だから私たち人間は生まれながらに原罪を背負わされている。
いや、体内で性を受けた時点で原罪者という解釈が正確でしょうね。
男性には労働の苦しみ、女性には子を産む苦しみを神は与えた…
って今は女性だって労働してるじゃん、と突っ込むところではないですかね?
ちょっとここで考えた、子を産む苦しみ?産むときマリアは辛くなかった、安産だったということ???
いやいや、そういうことを言ってるわけではないのよね。
そうじゃなければ「無原罪」は成り立たない。
でもじぁあ、私は子供産んでないから無原罪?
いやいや、違う違う、私はもう原罪者になるわけだ。
よし、ようやくわかったぞ。
まぁ、キリスト教徒ではないので、ちょっと不謹慎化もしれないけど、受胎告知を祝日にしてくれたらこんな勘違いしなかったのよねぇ、と思ったりして。 

そして更にもう1つ疑問が。
じゃあ今まで見てきた「無原罪の御宿リ」というタイトルの絵の主人公は聖アンナだったのか?
いやいや、それはなかったですね。
でも私と同じように混乱している人発見。
その人も「『無原罪によって生まれたマリア』ってタイトルにすれば分かりやすいのになぁ。」と書いていました。

ここで終わるもの何なので、いくつかこのテーマの作品を紹介しましょうね。
このテーマで一番有名なのは

このムリーリョではないですかね?
スペインのプラド美術館に所蔵されるセビーリャ派の画家ムリーリョの代表作。
本物見たけど、良いねぇ~
17世紀スペインにおいて最も一般的に描かれた主題のひとつであったらしい。
スペインは特にマリア崇拝崇敬が強かったみたい。
原罪のないマリアは年を取らないということで、大抵若い生娘(死語かな?)として描かれますが、それにしてもこれは透明感すら有りますね。
純真無垢な真っ白の衣裳はマリアの純潔を、青いマントは空の色。天国、神聖、ひいては包容力を意味するのである。
「無原罪の御宿り」では、合掌した(もしくは胸に手を当てた)少女が頭上に星の冠、三日月に足を乗せたり、蛇を踏んづけている様子で描かれることが多い。
下向きの三日月は「純潔」を表す古くからの象徴で、蛇を踏みつけるのは、「イブの罪」を人間から解き放つためなんだとか。
これは、「ヨハネの黙示録」の一節が大きく関わっているそうで、
「天に大きなしるしが現れた。一人の女が身に太陽をまとい、月を足の下にし、頭には十二の星の冠をかぶっていた」(黙示録12・1)。
という記述を元に、頭上の星については描かれない作品も見られるが、足元の月はどの作品にも描写されているようです。

で、他の作品も見たけど、月が見つからないぞ。

例えばこれ。同じくプラド美術館蔵のTiepoloの作品。
聖母が踏んでいるのは、地球だよね?
月は何処に?
こちらには聖霊による懐胎を象徴する白いハトが描かれているぞ。
1762年、王宮の装飾画制作のために当時のスペイン王、カルロス3世にマドリッドに招かれた際に、アランフェスのフランシスコ会サン・パスクアル聖堂の祭壇画の依頼も受け制作したのがこれ。
先にも書いた通り、この時代スペインではこのテーマが大流行だった。
ティエポロはその生涯の中で本主題を数多く手がけているが、この作品は晩年期における独特の様式的特徴が良く表れている作品として特に名高い。
例えば30年程前にティエポロによって手がけられた同主題の代表的な作品のひとつ『無原罪の御宿り(ヴィチェンツァ市立美術館所蔵)』と比較してみると

こちらは全体的に軽やかな感じの筆遣い。更にマリアが若い!
片やプラドの方は聖母の強さ、成熟した女性の美しさ、威厳さなど重厚な宗教的威厳と美しさに溢れている感じ。
Tiepoloの成長(?)が感じられる2点ですね。

そしてもう1点。これもスペインに有るんだけどEl Greco(エル・グレコ)の作品
 
上の二人とは全然違うドラマチックな作品です。
マニエリズムの影響を強く受けているので、体は伸びちゃってるし、色もどぎつい。
2013年に東京で開催された「エル・グレコ 展」にも出ていたらしいので、見たことがある人も多いのでは?

ということで、いつもの事ですが、いつまで経っても本題に入れない私をお許しください。 



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2 コメント

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感心しました。 (にっしゃん)
2020-11-28 20:10:03
 よく調べられましたね。カトリック教会は、聖母マリアを「崇拝」していると思われがちですが、崇拝ではなく崇敬です。崇拝できるのは神(三位一体)のみです。明日から、無原罪の御宿りの祭日を迎えるためのノヴェナ(9日間のつとめ)が始まります。
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ありがとうございます。 (fontana)
2020-11-29 14:15:46
にっしゃんさん
コメントありがとうございます。
たまたま「崇拝」と「崇敬」の違いを別の件で知りましたので、こちらの本文も訂正しようと思います。
私はキリスト教徒ではないので、細かい違いが分からず、昨日も辞書には「崇敬」になっていたので間違いが分かったというだけだったので、このように説明して頂くくと非常に勉強になります。
本当にありがとうございました。
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