生まれた時からずーっと



頑張ってる道端の草花に勇気をもらい

頑張ってる大谷選手にエネルギーをもらう。
「頑張らなきゃ」って思いながら
生きて来た気がする。
日本人は結果ではなく、過程を評価する
民族なんだ、と聞きました。
「試合には負けちゃったけど、
頑張って走ったよね!」
「受験には失敗しちゃったけど、
頑張って勉強したことは、きっと
この先も役に立つよ!」
結果で失敗しても過程が評価できれば
悪くはない、という感じ。
日本という国は、過程を重視する国なので
様々な○○道が発展したそうです。
柔道、剣道、合気道、茶道、書道‥‥
考えてみれば、これらの「道」は
結果ではなく、
手順、過程を重要視するものである、と。
海外では、過程を重要視するものは
あまりなくて、全てが結果、だそうです。
過程において全力で「頑張って」いれば、
たとえ結果が伴わなくても救われる感じ。
自分としても、日々の仕事では
「全力で頑張ってる自分」
を認めて欲しい気持ち満載なのですが、
我が社は実績あってナンボの会社なので
「全力で頑張るのは当たり前」の上に
「結果」もついてこなければなりません。
最近ちょっと、この、
「頑張ることは当たり前」なことに、
疲れて来てる自分がいます。
仕事でもプライベートでも。
もう60年以上、
そういう社会で生きて来ているのに。
「頑張らなくても良いじゃん」と
いう世の中にならないかな。



頑張ってる道端の草花に勇気をもらい

頑張ってる大谷選手にエネルギーをもらう。
(ちなみにこの写真はスタンドに
飛んでいってしまった練習玉に対して深々と頭を下げてお客さんに謝ってる様子だそうです。
なんて礼儀正しい!と話題になってる。)
気がつくとテレビのコマーシャルだって
「頑張った自分にご褒美ビール🍺!」
とか、
「シワ改善、もう頑張らなくてもこのクリームひとつでOK🙆♀️」とか
「頑張る」ワードがたくさん出てくる。
それにも違和感なく聞き流してたなぁ。
日本に暮らしている限り、
きっと頑張って生きていかなきゃいけないんだろうなぁ。
頑張らない自分には価値がない、みたいな
己の価値観もすっかり出来上がっちゃってるし。
少なくとも誰かに
「頑張って!」とエールを送るのは
やめにしようかな、と思い始めてる
この頃なのです。
脱力大事。
脱力感は駄目
頑張る、頑張れ、の代わりになる言葉があるといいなと思ったりします。
登さんは、「何もないよ。思い付いただけ」なんて無責任なことを言っています。
私が思うに、
脱力はプラスのイメージ。
クラリネットのレッスンで、いつも脱力と言われてます。
脱力感は、ちょっと虚無感に近い? 悲しいイメージ?
レッスンではよく脱力せよと言われます。
脱力は難しい。
脱力できると右手に持つ弓の重さと腕の重さが弦が受けることになり、
良い音が出るという。
永遠の課題です。
そのように日々の生活も心がけます。
頑張るとは言い換えれば集中することだと思います。
脱力して集中する。
永遠の課題です。
今の自分は燃費が悪く、無駄なエネルギーをたくさん使わないと「頑張り」の成果が出ないのでしょう。
ほんとは0の状態でゆるりと過ごしたい。
でもそういうわけにいかないので、やるとなったら、100になってしまう。
ほどほどがうまくできないんですよねー