中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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歩いて巡る中山道六十九宿(第15回);第3日目(2);東海道と合流

2012年12月23日 05時07分46秒 | 中山道六十九宿

                                <中山道の終点で万歳>

歩いて巡る中山道六十九宿(第15回);第3日目(2);東海道と合流
           (五十三次洛遊会)
      2012年11月16日(金)~19日(月)

第3日目;2012年11月18日(日) (つづき)


<草津とその周辺の地図>


      草津宿拡大図



<草津宿へ>

■コンビニで一休み
 9時18分,コンビニに立ち寄り,トイレ休憩を兼ねて一休みする.
 9時30分,休憩を終えて,コンビニを出発する.

<コンビニで一休み>

八幡宮
 暫くの間,西南の方向に歩いて,9時37分,八幡神社に到着する.立派な鳥居が建っている. 神社は広々とした平らな所にある.境内を覗いただけで通過する.

<八幡宮>

■東海道本線の南側に渡る
 9時41分,葉山川に架かる「はやまかねはし」を渡る.続いて,9時43分,自動車道路と東海道本線の下を潜って,東海道本線の南側に出る.
 南側は住宅地になっている.地図を見ると,写真のスロープを登りきったところで,一旦スロープ沿いに東海道本線の所まで戻ってから,線路沿いの細い道を歩くようになっている.先頭を行くグループに,
 「一寸待って・・・」
と声を掛けるが,声が届かない.
 そのまま数十メートル粋すぎたところで右折している.
 “まあ,いいか・・・そこで曲がっても,どこかで線路沿いに戻ればどうということはないな・・”
と自分に言い聞かせながら,渋々と後を追う.
 それにしても,他の人達は何で地図を見ていないんだろう・・・地図作製者の私は少々不満である.

<ガードを潜る>

<伊砂砂神社>

■立派な社殿
 9時53分,伊砂砂神社に到着する.ビックリするほど荘厳で立派な神社である.まだ時間が早いためか,境内にはそれほど人は居ないが,七五三の祝に訪れる人が多いだろうと想像する.
 境内を一回りする.

<伊砂砂神社に到着>

■荘厳な本殿
 境内にある説明板によると,本殿は国指定の重要文化財である.
 古くは天大将軍社と言われていた.平安時代に疫病が流行したとき,村人達が疫病の沈静を願って,大将軍を祀ったのが,この神社の始まりだという.
 現在の社殿は室町中期に佐々木六角氏が武運長久を願って渋川神を勧請奉斉したものであり,応仁2年(1468年)建立の棟札が残っている.なお,佐々木六角氏は室町中期の近江守護職であった.
 祭神は石長比貴命,寒川比古命,寒川比女命,伊那那岐命,素戔嗚尊・・・と,案内板に書いてある祭神の名前を列挙したが,浅学の私に少しだけ分かるのは素戔嗚尊ぐらいである.

<荘厳な本殿>

菊花展とモッコクの大木
 境内で菊花展が開かれている.
 私は,植物のことも全く分からないが,白色,黄色,薄紫色の菊の花が沢山飾られている.さぞかし丹精を込めて育てたのだろうと想像しながら拝見する.
 さらに境内を一回りすると,モッコクの大木がある.傍らの案内板の説明によると,この大木の高さは14メートル,幹廻りは178センチメートル,樹齢は約150年ということである.
 
<菊花展>                                               <モッコクの大木>

<沢山の社寺が集まる街>

■佛乗寺
 10時01分,伊砂砂神社を出発する.そして直ぐ隣にある佛乗寺を訪問する.
 どうやら浄土真宗仏光寺派の寺のようだが,手許の資料でははっきりしたことは不明である. 


<佛乗寺>

■光明寺
 ひきつづき,10時03分,光明寺の前を通過する.
 資料5によれば「宗興正派大放山光明寺は1232年に設立され,780年以上の伝統を受け継いでいる.
もともと比叡山延暦寺の一道場として開基(設立)された.時代を経て,親鸞聖人が当寺にしばしば逗留されたことをきっかけで,浄土真宗に改宗された」と説明されているが,この説明が,この寺のことか正直なところ曖昧である.
 ”でも,まあ,間違っていてもいいか・・”
で先へ進む.

<光明寺>

■アーケードを抜ける
 地図を頼りに歩いていると,10時07分,いきなりアーケードに突き当たる.
 地図を何回も確かめるが,どう見ても,このアーケードを通過するしかない.
 “ええ~っ・・・こんな所通るの・・・!?”
 半信半疑でアーケード街を通り抜ける.

<アーケード街に突き当たる>

■覚蓮寺道標
 アーケードの周辺にもいくつかの社寺があるようだが,拝観しきれないので,そのまま通過する.そして,10時12分,覚蓮寺に到着する.山門の脇に「右東海道 左中仙道」という刻字のある立派な石塔が立っている.昔の東海道中仙道の合流点はこの辺りにあったようである.
 手許の資料では,覚蓮寺の由来は不明.

<覚蓮寺道標>

<中山道を完歩する>

■草津川隧道
 10時16分,草津川に到着する.草津川は天井川である.私達は,草津川の下のトンネルを潜って,川の反対側に出る.
 隧道の傍らにある説明文によると,草津川が天井川のため出水に悩まされ,通行も不便だった.そこで,従来の堤防を登り川越のルートから草津川に隧道を掘って,人馬通行の便を図ろうと計画し,明治17年(1884年)にこの隧道が完成した.
 その結果,中山道の川越えは廃止された.

<草津川隧道>

■東海道との合流点(追分)の常夜灯
 草津川隧道を抜けると,東海道と中山道の合流点がある.合流点には大きな常夜灯が発っている.
 “万歳!・・万歳!・・”
 2009年9月19日に,江戸日本橋から歩き出した私達は,実に3年余りの歳月を掛けて,無事,中山道を踏破した.万歳,万歳である.
 ここから先は,すでに東海道五十三次で歩いたところである.
 まずはとにかく目出度い.全員で記念の万歳をする(冒頭の写真).

<東海道との合流点にある常夜灯>

<草津川の眺望>

■天井川!?
 理屈では分かってはいるものの,頭の上を川が流れているとは・・・!
 何とも不思議である.先着の何人かが,遅れている方をまっているあいだに
 「ちょっと覗いてみましょう・・・」
と言って,階段を登り始める.
<草津川隧道>

■天井川は長閑
 結局,全員が階段を登って,天井川の堤防からの希有を風景を眺める.
 隧道の上に,眺めの良い川岸が存在している不思議な光景である.昔,昔,地学で扇状地の天井川のことを習っていたので,理屈では天井川があることは分かっていたが,実際に典型的な天井川を見るのは初めての経験である.
 川岸の紅葉が綺麗である.その先には何処までも平らな平野が広がっている.
 地図で確かめると,右手に見えている高い建物の方向にJR草津駅があるようだ.
 一同,暫くの間,堤防からの眺めを堪能する.

<隧道の上に川が流れている>

ここで私の地図の役目も終わりだ
 天井川の景色を堪能した私達は,10時20分,いよいよ東海道に入る.
 私が自発的に作って配布してきた中山道の地図もここで終わりである.後は以前東海道五十三次を歩いたときに,旅行会社から貰った地図が頼りである.私は何だかホッとした気分になる.

[参考資料]

資料1;岸本豊,2007,『新版中山道69次を歩く』信濃毎日新聞社
資料2;ウエスト・パブリッシング(編),2008,『中山道を歩く旅』山と渓谷社
資料3;今井金吾,1994,『今昔中山道独案内』日本交通公社
資料4;五街道ウォーク事務局,発行年不詳,『ちゃんと歩ける中山道六十七次』五街道ウォーク事務局
資料5;http://www.koumyoji.org/
                                          (つづく)

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