中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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ポーランド訪問記(36)エピローグはプロローグ

2011年10月07日 05時28分33秒 | ポーランド;クラコフ訪問記

       ポーランド訪問記(36)エピローグはプロローグ
             (スケッチ旅行)
       2001年6月16日(土)~6月25日(月)

帰国翌日,2001年6月26日.火曜日.


 逆時差のために,深夜に目が覚めてしまう.
 朝,4時頃まで目が冴えていて眠れない.ウトウトと浅い眠りを繰り返している内に6時になる.もう起床しなければならない時間になってから,たまらなく眠くなる.

 とにかく,早朝に勤務先へ出勤しなければならない.長い間,休暇を取らせて貰ったので,遅刻するわけにはいかない.そのまま起きてしまう.
 いつもの通り,大船駅から金沢八景行のバスに乗車する.途中,大道小学校前で下車し,サンデーズサンに立ち寄り,ドリンクバーで時間調整をする.


 勤務先の庶務課に出向き,留守中に届いた文書類を受け取り,目を通す.眠くて仕方がない.ときどきたまらないほど睡魔が襲うが,何とか案件をこなす.
(注)当時,私はまだ某大学に勤務していた.

 仕事を終えて,夕方,鎌倉駅を経由して帰宅する.

 夜,20時頃,ニューヨークに滞在中の長女一家が帰国し,そのまま我が家に来る.可愛い2人の孫を連れている.途端に,家の中が賑やかになる.
 孫の相手をしながら,旅行中持ち歩いた荷物を整理する.そして,孫にワルシャワ国際空港で買ったチョコレートを分けてあげる.孫が喜ぶ顔が見られるのが,何といっても嬉しい.
(注)長女一家は,現在,北鎌倉に住んでいる.



 エピローグは,次の行動のプロローグでもある.

 来年(2002年)の夏,アイルランドのコークで,今回と同じ学会ISC(Informing Science Conferenceの略)が開催される.
 私は来年もこの学会で論文を発表したいと思っている.それには,今年の初秋には,論文のエントリーをしなければならない.英語に弱い私には,英文で論文を纏めるのは,大きな負担になる.最終的にはネーティブに英文を直して貰わなければならない.そうなると,すぐにもその準備を始めなければならない.
 もう,次の旅のプロローグが始まっている.
                                (ポーランド訪問記:終)

[補足記録]

■ポーランドの概況
(2001年現在)
   
   

■その他資料
<IRMA>



<IS2001>


[後記]
※2001年に記述したもの

 2002年,コークで開催された学会でもレフリーの審査を経て論文を発表した.
 このときもN夫妻,F先生達とともに,コークを訪問した.
 学会終了後,休日を利用して,大急ぎでコーク周辺の旅をした.このときの記録も時期を見て纏めたいと思っている.
(注)アイルランドのコークで開かれた学会でも,私は論文を発表した.
   アイルランドの旅の記録は,以下に示すアドレスに投稿済.
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/b03341ed8df4093c9c9943b179fb2d24
                     

        ****編集を終えて****


2011年10月7日(金)

 長い間の念願であった自分の生き様を記録する作業の一環として,10年前の「ポーランド訪問記」の整理に取りかかったのが2011年6月15日であった.全部整理し終わるのに4ヶ月近くの年月を要した.
 私は,もう何時お迎えが来てもおかしくない年齢である.
 こんな過去のことを,今更纏めても,何のメリットもないことは重々承知しているが,正に温故知新.年老えて訳が分からなくなるまで,あるいは何かの都合で,こんな作業が出来なくなるまで,引き続き,過去の記録を整理し続けることにしたい.
 自分の過去を知ることによって,随分と教えられることが多い.それこそが,残された人生を有意義に過ごすための有力な手助けになるだろう.そう信じて,全く自分のために,一連の作業を,これからも続けていくことにしよう.
 作業の途中で,片道切符で旅立つかも知れない.それはそれでよい.残されたものには,こんなブログ記事など“一文の価値”もないだろう.でもそれでよいのだ.畢竟,すべてのものなどそんなもの・・・どうせ数十億年後には地球全体が太陽に飲み込まれることになっているのだから.
 自分の生きてきた証を整理するのは全く自分自身のためなんだ・・・
 …で,次はどの旅を整理しようかな・・・こんなことを考えていると,これからが無性に愉しくなる.昔風に言えば,ポーランドの旅は今回の記事で“大団円”だ.
                                 (FIN)

「ポーランド訪問記」の最初の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/606735554a6d018a32c76faa3d94df84



      ***************************

[編集後記]

2011年10月7日(金)

 私は,これから,生まれ故郷の信州小諸へ帰る,1泊2日,または場合によっては,2泊3日の旅になる.今回は,諸事を処理するための里帰りである.
 昨夜,高速バスネットを使って,小諸行きバスを予約した.インターネットは実に便利,しかもチケットが安く買える.
 明日(10月8日)は,天気も良さそうなので,小諸在住の弟,姪と一緒に,浅間山に登るつもりである.久々に浅間山荘管理人のK田さんにお会いするのを楽しみにしている.
 湯の平ではすばらしい紅葉が見られるだろう.
 小諸を訪れた序でに,懐古園を一回りしよう.そして,小山敬三美術館で,小山敬三画伯の浅間山の絵を拝見するのを楽しみにしている.
 そんなわけで,当ブログも,明日,明後日は軽めの記事を投稿するに留める積もりである.もっとも,小諸でPCに向かう時間があったら,日課として何か掲載するかも知れない.
 以前にもどこかで書いたかも知れないが,人間にはサケやウナギと同じ遺伝子があると私は勝手に信じている.というのも,馬齢を重ねる内に,だんだんと望郷の念が強くなるからである.
 信州小諸は寒い所だ,現在,比較的暖かい鎌倉に住んでいる私が,何を好きこのんで寒い信州に帰りたいのか,大方の方には,なかなか理解できないかも知れない.でも,これから生まれ故郷の信州に向かうぞと思うと,心が弾むのである.
 ウサギ(ウナギではない)も追ったことないし,小鮒も釣ったことがないのに・・・ましてや志を果たしたわけでもないのに,私は故郷へ向かっている.
                           (愚痴おわり) 



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