中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
最初に左下の“カテゴリー”を選んで,クリックして下さい.

歩いて巡る甲州道中四十四次(第8回);第1日目(6);蔦木宿から諸水橋へ

2014年04月30日 03時10分35秒 | 甲州道中四十五宿

                                   <三光寺のサクラ>

    歩いて巡る甲州道中四十四次(第8回);第1日目(6);蔦木宿から諸水橋へ
             (五十三次洛遊会)
       2014年4月18日(金)~20日(日)

第1日目;2014年4月18日(金) 
つづき)

<ルート地図>


※再掲          
蔦木宿拡大図
           ↓



<蔦木宿に入る>

■蔦木宿の概要
 資料2(p.352)によれば,蔦木宿の宿内人口は508人.内,男233人,女275人.宿内惣家数105軒.内,本陣1軒,脇本陣なし,旅籠15軒の規模である.
 蔦木の集落の中にある案内板の記事によると,蔦木宿は慶長16年(1611年)頃つくられた.この宿駅は,「新しい土地に計画されたので,まれに見る完備した形態」となっている.
 16時19分,私たちは「甲州街道蔦木宿」と書かれた立派な案内板の前に到着する.信濃に入って最初の宿場である.
 この案内板は屋根付き,至って閑静な集落の入口に設置されている.


<蔦木宿の案内板>

■祠と立派な灯籠2基・道祖神
 16時20分,先ほどの案内板の直ぐ近くに,石の祠と立派な灯籠2基ある.つまり,2基の灯籠の間が,この祠の参道である.この祠が何かは,手許の資料では全く分からないが,周囲が綺麗に整備されていることから,何か由緒のある神社だろう.
  16時20分,立派な道祖神に到着する.隣にあるシダレザクラが満開である.
 
<立派な灯籠2基と祠>                             <道祖神>

■「こく屋」と「木地屋」
 蔦木宿の中心部に入る.道路の両側には由緒ありげな家が建ち並ぶ.各家の前には屋号が取り付けられている.
 屋号が付けてある家を全部デジカメに収めたいところだが,切りがないことになる.そこで,たまたま撮影した「こく屋」と「木地屋」の写真だけを,このブログ記事に掲載することにしよう.
 
<こく屋>                                    <木地屋>

■枡形道路
 16時21分,「枡形道路」と刻字された大きな石碑に到着する.
 この石碑の説明によると,蔦木宿の南北入口に枡形が設けられ,宿内への外部からの見通しを遮り,俊入者の直進を防ぎ,安全防備の役割を果たしてきた.
 平成3年(1991年)の道路改良工事のために,南の枡形路を移動したという.その様子が,この石碑に描かれているので,その部分だけを拡大したのが下右の図である.
 
<枡形の案内石碑>

■三光寺の長い石段
  16時23分,三光寺入口に到着する.三光寺は甲州街道から,参道を少し入ったところにある長い石段の上にある.
 資料2(p.352)によると,三光寺は「応永24年(1417年)武田信重が,父信満追福のために建立した寺である.寺域約2万平方メートルの中には樹齢200年の桧や杉が茂り,仏法僧の生息地としても知られている」という.
 “これはもう,参拝見物するしかない…”
 私の決意は固い.同行の皆様に,
 「三光寺だけは,是非,参拝しましょう…」
とお誘いする.
 目の前の長い石段に嫌気がさして,階段下で一休みする仲間も居るが,数名の方は,私と一緒に石段を登る.

<三光寺の長い石段>

■三光寺の本堂
 階段を登り切ると,目の前に立派な本堂が建っている.本堂の後ろに咲くサクラが美しい.
 境内には人の気配はなく,シ~ン…と静まり返っている.私は厳粛な気持ちで参拝を済ませる.
 植物のことに疎い私でも,境内に繁茂する威風堂々の巨木に圧倒される.

<三光寺本堂>

■本陣大坂屋の門
 16時32分,三光寺から50メートルほど先にある本陣大坂屋の門に到着する.大分朽ち始めているが立派な門である.門柱には「本陣大坂屋」と墨書した看板が掛かっている.

<本陣大坂屋の門>

■蔦木宿本陣跡
 本陣門すぐ先に「蔦木宿本陣跡」と刻字された石碑が立っている.その隣に「明治大帝御駐輦所」の石碑が立っている.
 資料2(p.352)によると,ここに御本陣大坂屋源右衛門の建物があったが,この建物は富士見高原に移築されているという.

<本陣跡>

■松屋の案内板
 16時36分,「甲州街道蔦木宿松屋」の案内板の前を通過する.
 蔦木宿の集落は,この辺りで終わりになる.

<松屋の案内板>

■西桝形を行く
 16時39分,国道20号線から左折して集落を抜け西枡形に入る.
 枡形に入った途端に辺りは野趣豊かな田園風景に変わる.地図を見ながら,ルートファインディングをしている私は,曲がる場所を間違えていないか絶えず気になっている.
 大方の皆さんは,後ろからノンビリと歩いている.
 「もし曲がるところが間違っていたら,ゴメンナサイで,元の場所に戻ります…」
とお断りをして先頭を行く.


<西桝型に入る>

<本日の終点;諸水橋へ>

■廿三夜塔
 16時45分,枡形の中にある廿三夜塔に到着する.どうやら,私が先導した路は間違っていないようである.
 辺りは一段と長閑な雰囲気になっている.

<廿三夜塔>

■道祖神
 16時46分,小さな公園風の空き地に隣接する道祖神に到着する.前方に1対の石塔が置かれている.なかなか立派な道祖神である.

<道祖神>

■芭蕉の句碑
 16時49分頃,枡形の道は国道20号線に突き当たる.
 合流点付近に,大きな石塔と祠がある.石塔に近寄ってみると,草書体というのだろうか,私には少々読みにくい文字で芭蕉の句が彫ってある.
 “川上と この川下や 月の夜”
 この句碑は明治16年(1883年)に設置されたものである.

<芭蕉の句碑>

<諸水橋に到着>

■国道20号線から脇道へ
 芭蕉句碑から300メートルほど歩いて,16時54分に岩田屋建材店の前を通過する.さらに200メートルほど先へ進んだところから,ガードレール下の脇道に入る.
 
<岩田屋建材店の建物>                            <ガードレール下の道に入る>

■第1日目の終点;諸水橋
 ガード下の道は,一旦,国道20号線から少し離れて田畑の中の一本道になる.前方には第1日目の終点,諸水橋が見えている.諸水橋は塩沢温泉の入口でもある.
 17時05分,私たちは,無事,本日の終着点である諸水橋に到着する.


<諸水橋に到着>

万歳!
 諸水橋に全員が揃ったところで,リーダーのONさんから第1日目の旅が予定通り無事終わった旨の挨拶がある.
 そして,全員で万歳!
 「一寸待った…! 万歳の写真を撮らせて下さい…」
 …ということで,“やらせの万歳”の写真を撮る.シャッターを押した私以外のメンバー全員が写真に写っている.このメンバーが東海道五十三次を踏破して以来,日光道中,中山道中などの旅で,長い間,同じ釜の飯を食べた人たち,つまり私にとって宝物のメンバーでもある.
 これからタクシー分乗で,JR富士見駅へ.さらに中央本線の電車で,今夜の宿泊ホテルがある上諏訪へ向かう予定である.

<諸水橋で万歳>
                                        (つづく)
                                            
[参考文献]
資料1;完全踏査街道マップシリーズ「ちゃんと歩ける甲州道中四拾四次」五街道ウォーク事務局
資料2;今井金吾,1998,『今昔三道中独案内 日光・奥州・甲州』日本交通公社


「甲州道中」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/962113b1f553d1ff17ccbd60108d2384
「甲州道中」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/8b046a313b84bfdf049f0c2d5d8c803a
「甲州道中」の索引
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/a622a87fbc7f4454e3e837fc990ece58
「甲州道中」の目次
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/583886c80d2ce6bd9956f000f9258589


※お願い
 この記事はあくまで個人的趣味,仲間との情報共有を目的としたものであり,第三者を読者の対象にはしておりません.
 記事の正確性は保証しかねます.なるべく誤字脱字転換ミスは少なくするように努力しますが,不具合は多々残っているでしょう.これらがご不快に思われる方は,どうぞ当ブログへアクセスしないようにお願いします.








最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。