セピア色の画集(12):スイス・メンヒとユングフラウの思い出(1)
2009年7月9日(日)~17日(月)
古い資料を整理していた.
ガラクタの中から,2006年に山中間とスイスに出かけたとき,合間,合間で描いたスケッチが出てきた.
この絵は,ボールペンを使って,現地でスケッチした原画に,帰国してから菜食をしたものである.
2006年7月13日,私たちはスイスのユングフラウに登った.正直なところ,氷河が降り積もった稜線を登るのは,苦しくて,辛かった.休憩したときに,ふと振り返ると,目の前にすばらしい光景が広がっていた.
「よし! これは絵にして残すぞ」
と固い決意をした私は,ボールペンでごくごく簡単にスケッチした.そして,目の前の情景を,頭の中に叩き込んだ.
帰国後,すぐに水彩画に仕上げた.原画の大きさは,41×32cm.
私の居間には,旅の最中に書き留めたボールペン画が数十枚残っている.
将来(・・と言っても直ぐかもしれないが・・),足腰が萎えて,思うように山歩きができなくなったら,これまで描きためたボールペン画を,水彩画に描き直すことに専念したいなと今から思っている.
「さぞかし,楽しいだろうな...」
私は,今から楽しみにしている.
******以下は,まだ,水彩画にしていない素描画の例*****
■グリンデルワルド郊外
2006年7月9日,私たちはグリンデルワルドに到着した.四方を雪を抱く尖峰が囲んでいる.
<グリンデルワルド郊外から尖峰を望む>
■メンヒの大雪原
雪原というより氷河である.メンヒ登頂中の休憩時間にスケッチ,下山後手を加えている.私たちは,この雪原を登って,尾根道に到着した.
ここから先は,両側がシャープに切り立つヤセ尾根をガイドにザイルで確保してもらいながら,一歩一歩登る.思い12本歯のアイゼンとピッケルを使いながら「シンドイ,シンドイ」を心の中で繰り返しながら登り続ける.
■メンヒヨッホ小屋
2006年7月13日,私たちはメンヒ山(標高4099m)登頂に成功.下山して山麓のメンヒヨッホ小屋に宿泊する.
メンヒヨッホ小屋は,なだらかな雪原の先に見えているが,体力を消耗してしまった私の足ではなかなか大変.
途中で立ち止まってスケッチを楽しみながら,しばらく休息.
先に小屋に辿り着いた仲間が,小屋のテラスから,
「FHさぁ~ん・・・頑張って!」
と声を掛けてくれる.
この小屋には,茶と白の斑ネコが1匹住んでいた.ほっそりとした体型で,実にかわいいネコだった.多分,今でも元気に暮らしているだろうなと懐かしく思い出す.
<ヨッホ小屋>
■ユングフラウの雪原
翌,7月13日,私たちは未明にメンヒヨッホ小屋を出発.ユングフラウ山登頂目指す.
真っ暗な中を,まずはユングフラウヨッホ駅付近まで下る.そして,いよいよユングフラウ登頂開始である.
暫くの間は,緩やかな登り下りの雪原歩きが続く.やがて高度が増すと,周囲の山々が見通せるようになる.すばらしい光景が目の前に広がる.
<ユングフラウ山麓の雪原>
これから先,ユングフラウ山頂までは苦難の連続だった.そんな中で描き留めたスケッチ画は,まだたくさんあるので,折を見て整理して,このブログに収録したいと思っている.
(つづく)
「セピア色の画集」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/a15c551eee7c8d087fd89bec33fb84b7
「セピア色の画集」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/69075ff0989653e6cd92de4953079e1d
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