moi~!
昨日までの初夏の陽気がどこへやら。
今日は一気に気温が下がり、最高気温も13℃までしか上がらない小雨まじりの曇天だった。
この先一週間はこんな天気が続くようだ。やだな~。ぶるぶる...
クラクフの旅もいよいよ大詰めです。5月3日の午後に出掛けたのはカジミエシュ地区。
前の日に行ったシンドラーの工場の、ヴィスワ川を挟んで斜め向かいのところにある。
ちょっと遠いが、この日はトラムに乗らずに歩いていくことにする。
れっつご~!
ここはかつて多くのユダヤ人が住んでいた街。映画『シンドラーのリスト』の舞台にもなった場所である。
ガイドブックによると、今もユダヤ教の礼拝堂であるシナゴーグが残っており、中に入れるところもあるらしい。
教会ならたくさん見たことがあるが、ユダヤ教のシナゴーグは今まで見たことがない。
いったいどんな造りになっているのか、興味があった。
ところで、地区の名前になっているカジミエシュというのは、1335年にこの街を作ったポーランド王の名前である。
街を作った当初はユダヤ人の街ではなかったが、このカジミエシュ3世が西ヨーロッパで迫害されていた
ユダヤ人たちを保護したため、多くのユダヤ人がこの街に移り住むようになったという。
そういえば、この辺りの事情については、ワルシャワのポーランド・ユダヤ人博物館で詳しく説明されていた。
ヨーロッパにおける反ユダヤ主義というものには、実は長い歴史がある。
特に十字軍の遠征が始まってからは、ユダヤ教は異端のひとつとして敵視されるようになり、
ユダヤ人が金貸しや商売で富を蓄えるようになると、ますます彼らへの敵愾心は増し、迫害もエスカレートしていった。
ナチスドイツによるユダヤ人の虐殺が、その規模と残虐性において比類がないとはいえ、
決してあの時期に突発的に起こったものではないことに気づかされる。
カジミエシュ地区のユダヤ人は、第二次大戦中に強制収容所に送られるなどして、実にその9割が殺され、
戦後を生き延びた人たちも多くは国外に出るなど、この地区を離れてしまったという。
現在、ここに暮らすユダヤ人は200人ほど。すさまじい歴史を背負った街なのだ。
40分近く歩き、街に到着。一時は回復したかに見えた天気も、いつの間にかまた曇天に逆戻りだ。
街にはカフェやレストラン、ホテルなどが立ち並び、あいにくの天気にもかかわらず観光客でにぎわっていた。
戦後長く荒れたまま放置されていたこの地区の復興が始まったのは、1989年に共産党政権が崩壊してからだというが、
今日のような賑わいには、『シンドラーのリスト』の公開(1993年)が一役買っているに違いない。



さて、シナゴーグである。
この日、中に入って見学したのはテンペルシナゴーグとレムシナゴーグの二つ。
19世紀に建てられたテンぺルシナゴーグは、金をふんだんに施した装飾が見事である。
金とはいえ、その装飾の繊細緻密さゆえか、華美というよりもむしろ全体にシックな印象を与える。
テンペルシナゴーグ


16世紀に建てられたレムシナゴーグは美しくも質素な造りで、隣にヨーロッパ最古と言われているユダヤ人墓地が併設されている。
男性は入場する時、ユダヤ教徒の印であるカッパのお皿のような帽子をかぶることになっている。
受付のおじさんから問答無用とばかりに手渡されるので、みなさんその勢いで頭に載せている。
入るときにものすごい数の団体といっしょになり、中は押し合い圧し合いの混雑ぶりだった💦
レムシナゴーグ
←この扉の奥に墓地が広がっている
シナゴーグというのは宗教施設なわけだが、外観からはそれとほとんどわからず、
公会堂とか集会所といった、もっと日常的で実用的な場であるような印象だ。
外壁に過剰な装飾もなく、天井もドーム型で高くはあるが、教会のように天国に向かって尖塔を立てるという発想はない。
建物の中には、何かをお願いしたり祈ったりするための偶像もない。
教会と比較してこのシナゴーグという建築物を見ると、なんとなくユダヤ教というものの本質がわかるような気がする。
それは神による救済や死後の天国行きを願うようなものではなく、
あくまで人間がこの現世でよりよく生きるための規範や道徳を学ぶものなのではないかということだ。
宗教というものはどんなものでも「死」の概念を内包しているものだが、ユダヤ教にはそういう匂いがあまりしない。
その意味では宗教というより孔子の説いた儒教のようなものに近いのではないだろうか。
あっ、今、ウィキペディアを見たら、シナゴーグとは「会堂」の意味で、「もともと聖書の朗読と解説を行う
集会所だった」とありました。やっぱりね、そんな感じだもん。
シナゴーグ見学を終えて歩いていると、小さな広場に行き当たる。
古本市ならぬ古レコード市?のようなものが開かれていて、たくさんの人が集まっている。
ぐるっと回り込むと、そこにはさらにたくさんの人が!

実は写真の左手のほうに、ザピエカンカという名物のピザパンを売っているお店が何軒か並んでいるのだ。
わたしも迷わず注文💓 よくわからないので、メニューの一番上にあるヤツを頼む。

どど~ん。
あれ? お好み焼きみたいに細いマヨネーズがピューピューかかってないの!?
他の人はみんなそんなのを食べていて、てっきりそれが基本形(つまりメニューの1番)だと思ってたのに...
ちょっと当てが外れたが、気を取り直してかぶりつく。
うむ、うむ、...うむ...うまい。 しばらくしてジワジワっとくるおいしさだ。
上にトッピングされてるのは揚げ玉ねぎかしらね?
いや、ほんとに、これは、食べてるうちにどんどんおいしくなってくる。不思議~!
腹ごしらえを終え、帰りも元気よく歩いて帰る。
クラクフ最後の観光を終え、夜は部屋でOYAKATAの宴を開き、翌日は早朝にチェックアウトし、クラクフ駅からバスでクラクフ空港へ。
無事ヘルシンキに到着し、VRでタンペレまで帰ってきたのでした。
めでたし、めでたし。
あっ、クラクフ空港までは、クラクフ駅から電車で15分ぐらいしかかからないのだが、
駅に着いたらなぜか1時間近く電車の便がないことが判明し、急遽バスで向かったのだった。
空港行きのバスなのに、これがなんと全部のバス停に停車するローカルバスで、結局45分ぐらいかかり、焦った💦
みなさん、バスには気を付けましょう。
あっ、それからヘルシンキ空港からタンペレまでは直通電車がないので、途中乗り換えが必要だ。
ヘルシンキ中央駅まで行かず、空港駅から3駅ほど行ったティックリラという駅で乗り換えるのが便利。
チケットは空港駅のホームの券売機(緑のVRの券売機)で買うことができる。
ちなみに、ティックリラからタンペレまでのVRの中はフリーWi-Fiがとんでいます。