今週はF1スペインGPです。
注目は昨年のチャンピオン、スペイン出身フェルナンド・アロンソの母国初優勝。しかしシューマッハがいる限り、アロンソがスペインGPで勝つのはかなり難しいと言わざるを得ない。なぜなら、シューマッハはスペインGPで「圧倒的に」強いからだ。
スペインGPはシューマッハの十八番。過去15年間で6勝もしている。しかし、シューマッハのスペインGPでのベストレースは何かと訊かれたら、私は2位になった1994年のスペインGPを挙げたい。
1994年第5戦スペインGP。その2戦前であるサンマリノGPでR・ラッツエンバーガー、A・セナが死亡。一つの時代が突然、終止符を打たれた。次の時代を担う若者は彼しかいない―。1994年5月1日にシューマッハの人生は変わった。セナを追う立場から、突然、世界中のすべてのドライバーから追われる立場になったのだ。
第4戦モナコGPで完勝したシューマッハ。ここまで開幕から4連勝。スペインGPで勝てば、マンセルが持つ開幕5連勝に並ぶ。ここまで、まさに圧倒的な強さでトップに君臨していた。
予選は1位。決勝もスタートから他を寄せ付けず、余裕の勝利と思われた。しかしレース中盤、致命的なトラブルに見舞われる。なんとギアが5速から抜けない。つまり、ギアチェンジが全くきかないまま、5速のみで残り30周余りを走行しなければならなくなったのだ。
5速のみの走行―。
もちろん加速はきかない、ましてや減速もままならない危険な状態だ。ブレーキ、アクセルの調節のみでコースを走らなければならない。過去にも似たような例はあった。1991年、ブラジルGPのアイルトン・セナ。トップ快走中、残り6周で急にトラブル。6速のみでの走行を強いられた。セナは無難に走行しトップのままチェッカー。しかし体への負担は大きく、レースが終わってもセナは自力でコクピットから出ることが出来なかった。シューマッハに残された周回は、セナのそれを大きく上回る30周―。
ここから常識では理解できないシューマッハの驚異的な走りが展開される。5速のみという厳しい条件の中、コンスタントにラップを刻むシューマッハ。途中何度かコースアウトしかけるも懸命にマシンを操る。
最終ラップをむかえる。優勝したのはセナ亡き後、シューマッハのライバルとなったD・ヒル。その24秒後、シューマッハはチェッカーを受ける。結果は2位。優勝は逃したが、最後まであきらめることなく走ったことで掴んだ執念の6ポイント。
この6ポイントが後に重要な意味を持つ。
その後シューマッハは第8戦イギリスGPでの黒旗無視で2戦出場停止という制裁を受ける。さらに第11戦ベルギーGPでは優勝するもレース後の車両違反により失格。
1994年最終戦オーストラリアGP、アデレード市街地コース。シューマッハとヒルの差はわずか1ポイント。結末は36周目、意外な形で訪れる。両者の接触―。
シューマッハはそのままリタイア。ヒルもマシンにダメージを受けピットインするがリタイア。その瞬間、シューマッハの初タイトルが決定した。
レースに「たら、れば」は無意味である。しかし私達は考えてしまう。もし、スペインGPでレースをあきらめていたら。2位になっていなければ。果たしてどうなっていただろうか。
その答えは誰にもわからない。ただ一つ分かっていることは、あのスペインGP、決定的に不利な状況でもシューマッハは最善を尽くしたという事実だ。
常に最善を尽くせば、その結果は必ず後の成功に通ずる。シューマッハがそれを体現したスペインGPの2位は、勝利よりも大きな価値がある。
注目は昨年のチャンピオン、スペイン出身フェルナンド・アロンソの母国初優勝。しかしシューマッハがいる限り、アロンソがスペインGPで勝つのはかなり難しいと言わざるを得ない。なぜなら、シューマッハはスペインGPで「圧倒的に」強いからだ。
スペインGPはシューマッハの十八番。過去15年間で6勝もしている。しかし、シューマッハのスペインGPでのベストレースは何かと訊かれたら、私は2位になった1994年のスペインGPを挙げたい。
1994年第5戦スペインGP。その2戦前であるサンマリノGPでR・ラッツエンバーガー、A・セナが死亡。一つの時代が突然、終止符を打たれた。次の時代を担う若者は彼しかいない―。1994年5月1日にシューマッハの人生は変わった。セナを追う立場から、突然、世界中のすべてのドライバーから追われる立場になったのだ。
第4戦モナコGPで完勝したシューマッハ。ここまで開幕から4連勝。スペインGPで勝てば、マンセルが持つ開幕5連勝に並ぶ。ここまで、まさに圧倒的な強さでトップに君臨していた。
予選は1位。決勝もスタートから他を寄せ付けず、余裕の勝利と思われた。しかしレース中盤、致命的なトラブルに見舞われる。なんとギアが5速から抜けない。つまり、ギアチェンジが全くきかないまま、5速のみで残り30周余りを走行しなければならなくなったのだ。
5速のみの走行―。
もちろん加速はきかない、ましてや減速もままならない危険な状態だ。ブレーキ、アクセルの調節のみでコースを走らなければならない。過去にも似たような例はあった。1991年、ブラジルGPのアイルトン・セナ。トップ快走中、残り6周で急にトラブル。6速のみでの走行を強いられた。セナは無難に走行しトップのままチェッカー。しかし体への負担は大きく、レースが終わってもセナは自力でコクピットから出ることが出来なかった。シューマッハに残された周回は、セナのそれを大きく上回る30周―。
ここから常識では理解できないシューマッハの驚異的な走りが展開される。5速のみという厳しい条件の中、コンスタントにラップを刻むシューマッハ。途中何度かコースアウトしかけるも懸命にマシンを操る。
最終ラップをむかえる。優勝したのはセナ亡き後、シューマッハのライバルとなったD・ヒル。その24秒後、シューマッハはチェッカーを受ける。結果は2位。優勝は逃したが、最後まであきらめることなく走ったことで掴んだ執念の6ポイント。
この6ポイントが後に重要な意味を持つ。
その後シューマッハは第8戦イギリスGPでの黒旗無視で2戦出場停止という制裁を受ける。さらに第11戦ベルギーGPでは優勝するもレース後の車両違反により失格。
1994年最終戦オーストラリアGP、アデレード市街地コース。シューマッハとヒルの差はわずか1ポイント。結末は36周目、意外な形で訪れる。両者の接触―。
シューマッハはそのままリタイア。ヒルもマシンにダメージを受けピットインするがリタイア。その瞬間、シューマッハの初タイトルが決定した。
レースに「たら、れば」は無意味である。しかし私達は考えてしまう。もし、スペインGPでレースをあきらめていたら。2位になっていなければ。果たしてどうなっていただろうか。
その答えは誰にもわからない。ただ一つ分かっていることは、あのスペインGP、決定的に不利な状況でもシューマッハは最善を尽くしたという事実だ。
常に最善を尽くせば、その結果は必ず後の成功に通ずる。シューマッハがそれを体現したスペインGPの2位は、勝利よりも大きな価値がある。