Glasnost

大学生がぼやきます。

後ろ姿

2007年06月11日 02時02分43秒 | 一般
gooのブログには(おそらく他の会社のブログにも)、ブログ管理者はその日に何人がこのブログを見たかを知ることができます(ipアドレスはわかりませんので、ご安心を)。

それを見ると、やはり記事を書いた日から2日間ぐらいは訪問者の数が違いますね。
記事の内容にもよるでしょうけど、先週のようなコラム(のまねごと)を書くと、より訪問者が増す様です。

…まぁ、だから何だってわけでもないんですが。




さて、今日は学園祭2日目でした。
いつも通り(?)クラスには加わらず、11月の学園祭の運営委員が出している模擬店のタスクに入ってました(なんて奴…)。


それで、その後は和田秀樹氏の講演を聞いてきました。

いや~面白かった。「ヨイショ」が上手いですよね。他の大学言ってもあんなこと言ってるのだろうか。
とりあえず、「勉強は大事だ」ということです。いろいろな批判もされていましたが、基本的に考え方が似ている部分が多かったです。

和田氏みたいな方のお話をもっと聞いて、もっと本を読んで、勉強していきたいと思いました(もちろん大学での学業を一番にしつつ…)。




それで、去年一緒の予備校にいた奴と会ったんですが、どうやら僕の雰囲気は結構変わったみたいです。

いや、外見は全く変わってないんですが、なんというか、「解放感」が出てるみたいで・・・。

まぁ浪人時代の僕は、ホントに「病んでた」ので、受験を乗り越えられたことで肩の荷が降りた部分もあると思います。やっぱり2浪生と大学1年生じゃ違いますよね・・・。


そいつと話しているうちに受験時代を思い出しました。
確かにそんなに昔の話じゃないんですが、やはりとても長かった感じがしますね。今考えても、「いい思い出だ」なんてなかなか言えません。
いや、まぁ、合格したからよかったものの・・・。

でも、やっぱり受験時代に培ったものは大きいと思います。今でも何か文書を作るときは、受験時代に世界史や小論文の答案をつくるときのように、下書きをします(どんな文書でも作るわけじゃないですよ)。

価値観というか、ものの考え方も、受験時代のが土台になっています。確かに高校野球からくるものも多いんですが、それらも確立したのは受験時代(というか浪人時代)ですしね。


まぁ、つまるところ、受験はホントに大切だということです。

辛いことは多いです。当たり前です。苦労が要ることを達成しようとしているんですから。
これから、志望を変えたくなるほど辛い時期も来るかもしれません。でもその時、現実的になるとしても、自分の「気持ち」は大事にしてください。志望を変えたからといって合格できるわけじゃないし、入試が終わって合格発表が出るまで、結果は誰にもわからないのです。ホントに行きたいところがあるなら、出来る限りそこを志望するべきだと思います。そこにホントに行きたいならば。





いつも通り、話が逸れました。もう遅いので、今回はこの辺にしたいと思います。
そろそろ、受験生向けの記事書けそうです。



明日は大学休みだから(ホントは片付けあるけど)、運営委員の仕事をこなしてくるかな~。



あ、後ろ姿には気をつけよう。 

あ~ぁ

2007年06月09日 13時57分30秒 | 一般
受験生相談やってきました。

でも僕の所に来てくださった(というか行くように指示された)のは、90分でたったの1人・・・。しかも高2生でしたからねぇ。。。

とりあえず勉強は今やっていることをきっちり習得していけばよいと思うと言っておきました。というかそれ以外言いようがありません。高2の段階から「対策」をするのは間違いだと思うし、そもそも無理があるかと・・・。




はぁ、しかし、こんなんなら・・・。


まぁオープンキャンパスや学園祭の時もやると思うから、その時に期待するかな。


とりあえず今は書類を仕上げなければ・・・!!





明日は学園祭委員の模擬店のタスクに入ります。『サンデージャポン』の開始時間からお昼頃までです。焼鳥売っているところにいると思います。よかったらぜひ・・・。 

某K祭 

2007年06月08日 00時13分18秒 | 一般
今週末、僕が通っている大学では学園祭があります。

ですが、僕が運営委員をやっている方の学園祭(11月)ではありません。
趣旨としては、1年生のための新歓行事の一環だそうです。なので、1年生は全クラスが模擬店を出します。



…どうしてこんなに新歓行事多いんでしょうか。もういいんですけど。。。

というわけで、僕はクラスの模擬店にほとんど、いや全く関わってません。当日のタスクにも入らないでしょう。




まぁ、そんなことはどうでもいいんですが、この学園祭では、「受験生相談室」なるものが毎年開催されます。
前も書いたんですが、僕は相談員の1人になっています。


それで、、、迷ったんですが、タスクの時間を公表しようかと・・・。
最近受験生向けの記事を投稿出来てませんし、そのお詫び(?)ということで・・・。
「ここのブログ少しは役に立つけど、更新遅くて肝心なトコがわからねー!!」って方は、ぜひいらしてください。その際、僕だとわかっても、ブログのことは小声でいってください(周りにあまり言っていないので)。

で、そのタスクの時間なんですが、ハッキリ書くのには躊躇いがあるので、少しボカして(しかしバレバレで)載せます。


9日(土)だけやるんですが、、、そうですね。土曜といえば、『王様のブランチ』でしょうか。
なので、「王様のブランチが『休憩』に入るあたり」から「終了まであと3600秒ぐらい」までの時間やってます。

…なんだこりゃ?



まぁ、大体わかると思うので、興味のある方は(別に僕の所じゃなくていいので)ぜひ来てください。

「彼女」の条件

2007年06月04日 01時43分38秒 | 考えごと
せっかくなんで、今日は暴走して2つコラム(のマネごと)を書いてみます。


なんかタイトル見ると「誤解」する人が少なくないと思いますんで、一応先に断っておきます。

この記事は、僕が僕自身についての女性観(というかなんというか)を書きます。誰か特定の人を指すこともなければ、普遍的なことを書くつもりもありません。

僕の知り合いの女性の方がこの記事を見たら、やや不愉快(というかなんというか)に感じるかもしれません。でも、それは違います。おそらく貴方は、この記事の内容には、直接的には関わっていません(いいのか悪いのかわかりませんが)。

まぁどっちにしろ、独り言みたいなものですし、そんなに気にせずにご覧になって下さい。










さて、早速ですが、僕は女性が苦手です。
女性全部ではなくて、女性と接する(話したり、喋ったり、会話したりする)ことが苦手なのです。

女性といると、変に気を使ってしまい、何を喋っていいかわからなくなってしまうんですね。
別に相手が好きだとは限りません(まぁ好きな場合は余計気を使いますが)。好きじゃなくても喋れなくなります。


なんででしょうか?男性の場合はどうでしょう?

う~ん、男性でも気を使う人はいますね。でも大半は使いません。サブいギャグとかも平気でいいますし、相手の気に障るようなことも言います(言ってしまいます)。




どうも、やはり自分に自信がないんだと思います。
僕は自分を客観視することをいつも心掛けているんですが、その点からすると、僕は全然誇れる人間じゃない(だからこそ努力するわけですが)。
そんな自分を知ってるから、女性の前では自分を出せなくなるのでしょうか。




・・・でも、男性なら自分を出せるのは何故?
しかも、自分に自信がないことと、女性に「気を使う」ことはそんなに密接に関係してるの?


う~む・・・ここは自分でもよくわかりません。やはり「そういう性格」なんでしょうか。。。



まぁそれは置いておいて、最近1つの区切りをつけた自分がいます(あくまで「区切り」です。「結論」じゃありません)。


それは、「自分は女性と付き合えない(付き合える可能性が極めて低い)」ということ。


あ~ぁ、何ともアリガチな内容ですね。でも、僕は冷静に分析した結果、これを導き出したんですよ。


まず、僕が女性と付き合うと仮定する(補足のために言っておきますが、僕の彼女いない歴は年齢と同じです)。

その女性は、僕が気を使わなくてもいい人、あるいはあまり気を使わず、「自分」を出せる人ということになる。

しかし、この20年と6か月間、そんな人にはほとんど会ったことがない。少なくとも、「あの人いいな~」なんて思った人の中にはいない。

つまり、その時点で極端に「集合」が小さくなる。


次に、僕がその人を好きにならなければならない。これは付き合うなら当たり前。僕はお互いが好きでもないのに付き合っているのを見ると・・・(以下略)

しかし、前述したことから導ける通り、これでさらに集合が小さくなる。
僕は「顔」はそこまでこだわりませんが(友達だと、本当に顔さえよければいいと言う人もいるが)、中身に結構うるさくなってきたので、余計集合が小さくなるんですよ。やっぱり価値観が全然合わない人とは一緒にいても楽しくないと思います。


そして、最後の関門。

それは、「相手が僕のことを好きになる」ということ。


これは大変な困難。大問題。
だって、そもそも今までの人生で僕のこと好きだった人とかいるんだろうか?
僕が一番「輝いていた」高3のときだって、見事にフラれたし・・・。


僕の場合、相手は僕と「一緒にいたい」というより「一緒だとイタい」という感情をいだきかねないのです・・・。





・・・きまった?





まぁ、しょうもない洒落は置いといて、、、つまり、ここで対象が「空集合」になってしまうわけですな。
もし空集合じゃなくても、集合は本当に小さなものだろう。



全集合から見つけ出すのはとても難しいと思う。消えた年金の所在が全てわかるより遅いかもしれない。。。



このような理由から、僕は上記の「区切り」に達したわけですね。






入学してもからも、恋する気配なんて全然ありません。運営委員会入ったら少しは何か覚えるかと思ったけど、前と何にも変わらず・・・。
はぁ。高校時代ならこんなことなかったけどなぁ。やはり浪人は大きかったのかなぁ。

まぁ上記みたいに言いつつも、結局恋に落ちちゃえば、「集合」とか気にしないと思うんですよ。いざとなりゃ勝手に新しい集合作ればいいわけだし・・・。

でも、それすら起きない・・・。


大学にいる女性に魅力がないとは思わないんですよ。素敵な人いっぱいいますよ。高校時代ならもう既に何人か気になっているでしょう。

でも、やはり、どこかで「拒んでる」んでしょうねぇ。う~ん。







なんか全然まとまってないけど、こんな感じです。進展も見えません・・・。

何か起きないかなぁ、と期待している自分もいるはいるんだけどねぇ。。。

自主性

2007年06月04日 00時47分16秒 | 考えごと
久々のコラム(?)です。最近あまり投稿してないし、投稿しても、「最近お前のブログ面白くないよ」なんて声が聞こえてきそうな、もう既に聞いたような気がするので、今回は頑張って書いてみます。



さて、僕は生まれて以来、そして特にここ数年、自分の選んだ道を進んでいます。親はそれを認めてくれ、僕が道から逸れそうになると救ってくれ、失敗した時には次の機会に成功するための助言をくれます。

僕はいわば、「自主性」を与えられてきたわけです。

小学校からのんびりと過ごし、とりあえずやりたいことだけ挑戦してきました。塾に行きたいと思うことも、お受験したいとも思ったこともなく、親もその気はなかったみたいです。

中学で活動の幅が少し広がり、多少嫌なこともやるようになりました。高校受験も僕が行きたいと思ったところを受験し、進学しました。

高校ではもっとやりたい放題だったと思います。野球に明け暮れ、勉強はほとんど手をつけず。野球部でも結果は出せず、大学受験では高望みもいいところだったので、結果的に2年も浪人しました。

それでも、親は僕の選択を尊重してくれました。今、僕はゴールに着いたわけでもなんでもないけれど、ここまでこのように生きてこられて本当によかったと思っています。もちろん後悔もありますが、後悔を生むような経験から学んだことも数多いです。
「自主性」を与えられ、それを尊重されたことで、そうでなかった場合よりずっと大きなものを手に入れたと思っています。

だからこそ、僕はここまで「自主性」を尊重してくれた両親に感謝しています。








でも、その「自主性」があるからって、何でもやっていいわけではないでしょう。

自分が自分の道を選べるということは、それに対する何らかの責任も生じるのです。そして、その道を選ぶことを尊重してくれた人に対しても責任や、感謝の気持ちを持つべきだと思うし、あるいはその人たちが望まないことはやってはいけないとも思います。







いつだったか、あれは1浪始めたての春期講習の時でしたか。ある予備校の先生が言ってました。

「人間は、動物の中で唯一、自ら死を選ぶことのある動物だ」と。















先週、松岡前農水相が、また僕の大学の近くの高校で女子生徒が、そして、これは僕の予想でしかありませんが、ZARDの坂井泉水さんが、相次いで自殺するというニュースを耳にしました。






自殺する人の気持ちはわかりません。僕は自殺しようと思ったほど辛い目にあったことがないので。
また、この先自殺しようとも思いません。なぜなら、まだやりたいことがいっぱいあるからです。そして、もっと楽しいことが待っていると思うからです。
どんな辛いことも、いつか終わると思います。それが終わったら、笑顔になれるときが待っているかもしれない。そう考えると、「自殺」なんて言葉は頭の中から消えてしまうのです。


自殺した人がどれだけ苦しかったかもわかりません。僕は幸い知り合いで自殺した人がいない(聞いたことがない)ので、自殺する人がどういう人かもわかりません。

でも、これだけは言いたい。


自殺して、本当にいいのですか?


「いけない」とは言いません。ある意味これも個人の選択だと思いますし、国によっては自殺を認めているところもあるそうです。

でも、自殺するということは、その人が持っている「自主性」の最後のカードを使うことになるのです。それを使うことが、果たして「自主性」をくれた人の感謝の表れになるのでしょうか?責任を果たしたことになるのでしょうか?「自主性」を与えてくれた人は、受け取った人がそんなことをするために与え・尊重したのでしょうか?




ある人が自殺することを選んだのなら、周りの人はよっぽどのことをしないと止められないでしょう。その意味では周りの人の出来ることなんて限られています。

でも、出来ることがないわけじゃない。
少なくとも、自殺することを選択させないことはできるかもしれない。そう思うんです。



僕は、僕の知り合いに自殺してほしくないから、そう意味では絶対に最後のカードを切らせたくありません。
そして、僕以外の人にも、そうしてほしい。例えそれが相手の「自主性」を奪うことになっても、最後のカードを切らせるよりはマシだと思う。

結局、自殺では何もいいことは生まれないのです。例えどんなに辛い状況にあっても、僕は「生きて」乗り越えるべきだと思います。
他人の力を借りてでも、何をしてでも、自ら死を選ぶようなことだけはあってほしくないです。










先週立てつづけにショックなニュースを聞いて、こんなことを考えました。

3人のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。 

危機

2007年06月04日 00時09分31秒 | 一般
はぁ。少し疲れました。まぁ明日は1時間だけだからいいけど。。。

最近何個か「???」な授業が出てきまして、そのうちの1つで宿題が出てしまったのですよ。
これがもう、解けないのなんのって。いや、解けないとかいうレベルじゃない。問題文が何言っているのかわからない。もう笑いたくなっちゃいますよ。あはは~。

って、全くシャレにならないんですが、どうしようかねぇ。。。
①頑張ってにわか仕込みの宿題を出す
②友達に力を借りる(そういう友達がいるかは別として)
③宿題は捨ててテストにかける(しかし中間テストは次の次の授業日・・・)
④いっそのこと捨てて、冬学期に再履修

このぐらいの選択肢が浮かんでます。まぁとりあえずはにわか仕込みでもやってみようかと。全然間に合わないと思ったらキッパリ捨てますわ。仕方ない。

大体あの先生さ~。授業中下向いて喋ってるだけだし、片方のスクリーンは電気消えてるし、HPにデータUPする時間は遅・・・(以下略)。


金曜は学園祭委員の「戦闘大会」でしたが、またも「戦闘不能」に陥りました。ホント、これからが心配です。


さて、今日は久々にもう1つ記事を書こうか。