先日、新聞に「○○さん クモ膜下出血で死去」との記事が載っていた。それを見て、Mさんを思い出した。
十五歳上のMさんは設計なので、経理の私とは仕事上の繋がりはないが、会社の行事で席が隣になり、話すうちに気が合い、飲み友だちになった。
そんなある日、冗談を言っては笑わせるMさんが、深刻な顔で、こう話した。
「一週間前の朝にね、いつもと違った、ハンマーで叩かれたような頭痛がしたんだよ。でも、暫らくするうち、治まったんだ。で、午後から出社した。ちょっと心配だったけど、どうっていうことなかった。
おとといの日曜の朝、また、痛みがきてね、日曜当番医へ行った。そしたら、混んでいて、二時間待ちなんだ。それで、出直すつもりで、いったん、帰ったんだ。そしたら不思議、いつのまにか、治まっていた。だから医者には行かなかった。
来週からは高層マンションの実施設計に入るんだ。日本一の高さでね、百メートルを超すんだ。頭が痛いなんて、言ってられないよ」
深刻な顔を一変させて言い、その後
「どうだい 河岸、変えないか? 可愛い娘(こ)が脇につく、バーへ行ってみない? 俺が持つから」
言って、胸をどんと叩いた。
お目当ては休んでいたが、Mさん、大いにはしゃいでいた。そして別れぎわ
「遅くまで付き合ってくれてありがとう。それではまたな」
と、笑顔で手を上げ、帰っていった。
翌日、人事部から「設計第六部 設計課長 副参与 Mさん(四十二歳)本日の早朝、クモ幕下出血で死去」と、書かれた回覧が回ってきた。
時は五年経ち、母が「クモ幕下出血」に襲われた。
夕食を告げに自室でテレビを見ているだろう母に、廊下から声をかけた。だが、返答がない。不審に思い、襖を開けると洗面器を抱いて倒れていた。
大慌てで救急病院へ搬送し、夜遅く出た検査結果は「クモ幕下出血」だった。
六日後に手術。リハビリを終えて、一ヶ月経った頃、元気になって戻ってきた。
退院のさい、執刀医は、こんな話をした。
「クモ膜下出血は経験したことのない頭痛で警鐘を鳴らす。ところが時間が経つと和らぐ。それにより、一過性と思い、普段どおりの生活を送る。しかし十日前後で、二度目が必ず来る。
経験のない頭痛があった時は、すぐに脳外科医の診察を受けるべき。そうすれば、死ぬことは極めて少ない。二度目だと、死亡率はぐんと上がって、六割以上。三度目では、もう、手遅れ。このことを、周囲の人に事あるごとに話して欲しい」
母の「クモ膜下出血」が先なら、Mさんは死んでいなかった。返す返すも残念だ。最後に別れた時の笑顔を思い出す。
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