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本と音楽とねこと

女性の階級

橋本健二,2024,女性の階級,PHP研究所.(7.4.24)

主婦という地位は常に危険と隣り合わせ。日本の母子家庭の貧困率は、五一・四%。実に、二人に一人が貧困である。多くの女性たちは、正規雇用で就職したあと、結婚・出産を機に退職し、専業主婦やパート主婦になるが、夫との離死別などにより簡単に最下層に転落してしまう。本書では女性にとって大変リスキーな国である日本の実態を、「階級・格差」研究の第一人者がデータを用いて明快に解説する。

 橋本さんの実証的な階級研究には、毎回、感心させられる。
 気が遠くなりそうな膨大なデータ処理の労はいかばかりだろう。

 本作は、SSM(Social Stratification and Mobility=社会階層と社会移動)2015年調査と、橋本さん等が手がけた「2022年三大都市圏調査」のデータに基づいている。

 女性は、長らく、SSMを含め、階層調査の対象から外されてきた。

 理由は、以下のとおりである。

 なぜ女性が研究対象から除外されてきたのか。第一の理由は、明らかな女性差別だろう。つまり、女性は社会的に重要な存在ではないので、研究対象に含めなくてもよいという考え方である。実際に一九八〇年代に入るころまで、家族社会学を除けば、社会学において女性が研究対象とされることは少なかった。家族について研究する場合は、母親あるいは妻としての女性を無視することはできないから、辛うじて女性が研究対象となるのだが、その他の領域、とくに労働や政治など公的な領域についての研究では、女性が研究対象とされることは少なかったのである。
 第二の理由は、階級・階層を構成する単位は世帯なのだから、その収入や生活水準、利害などの大半を決定する世帯主の所属階級・階層さえわかれば、階級・階層構造の分析には十分だと仮定されてきたことである。しかも世帯主は男性だと、暗黙のうちに前提されていた。もちろん女性が世帯主の世帯も存在するのだが、当時はまだまだ少数だった。研究対象から理由もなく女性を除外してしまうというのは、明らかに差別的である。また、世帯主の職業や収入などが他の家族に影響するというのはある程度まで事実だが、だからといってすべてを世帯主に代表させてしまうというのは、非科学的としかいいようがない。このようにかつての階級・階層研究には、非科学的とすらいえるほど深刻なジェンダー・バイアスがあったということができる。
 一九八〇年代以降になると、こうした研究方法に対する反省が生まれ、女性も研究対象に含まれるようになっていく。日本の階級・階層研究でも、一九九五年SSM調査から女性が男性とまったく同じ形で調査対象に組み込まれ、これによってすべての調査項目について、女性と男性を同じ方法で研究対象とすることが可能になった。
(pp.50-51)

 社会経済的地位の世代間継承の問題についても、もっぱら、それは、父の学歴、職業、収入と息子のそれとの関連を検証するものであって、母の社会経済的地位やライフコースと娘のそれとの関連といったきわめて重要な世代間継承については研究の対象とされてこなかった。

 本作でも、母-娘、父-娘間の世代間階層移動は分析の対象とはなっていない。
 しかし、既婚者については夫の社会経済的地位と組み合わせるかたちで、女性の階層上の位置と階層の布置状況を分析の俎上においた点では、画期的な研究と言って良い。

 橋本さんは、日本社会における女性の階級を以下のように分類する。

 資本家階級 企業規模が従業員数五人以上の経営者・役員、自営業者・家族従業者
 新中間階級 専門・管理・事務に従事する被雇用者(事務では女性と非正規を除外)
 労働者階級 専門・管理・事務以外に従事する被雇用者(事務では女性と非正規を含める)
   正規労働者階級 労働者階級のうち正規雇用者
   非正規労働者階級 労働者階級のうち非正規雇用者
 アンダークラス 有配偶女性以外の非正規労働者
 パート主婦 有配偶女性の非正規労働者
 旧中間階級 企業規模が従業員数四人以下の経営者・役員、自営業者・家族従業者
(pp.5-6)

 日本社会における富と威信の不平等の布置を、「階層」ではなく「階級」のそれとして把握しようとする点も含めて、批判、異論が出るだろう分類ではあるが、既存の研究では明らかとされなかった女-女、女-男間の格差、不平等を俎上に載せる点で、大きな認識利得をもつ分類であるように思う。

 橋本さんは、マルクス主義フェミニズムの知見をふまえ、女性の不平等、階級布置、不平等の起源について、次のように指摘し、現代日本の階級構造を「ジェンダー化された階級構造」として把握する。

 旧中間階級の場合には別の問題もある。先に説明したように旧中間階級は、封建社会では領主によって支配され搾取されていたが、資本主義の成立とともに独立した自営業者となった。旧中間階級は資本家階級と同じように生産手段を所有し、労働者階級と同じように現場で働いて、収入を得ている。現実には大企業に支配されて生産物を買いたたかれるなど、不利な立場に立たされることも少なくないはずだが、さしあたっては誰を搾取するわけでも、誰から搾取されるわけでもないとみることができる。
 しかし実は、旧中間階級の内部には搾取関係、つまり搾取する/されるの関係がある。なぜなら多くの場合、生産手段を所有して事業を経営しているのは男性であり、女性はそのもとで家族従業者として働いているからである。事業から得られた収益は生産手段の所有者である男性のものとなり、女性は収益を手にすることはできないか、その一部を分配されるに過ぎない。前章の図表1・6で、旧中間階級の男性と女性の間には大きな収入格差があることを確認したが、これは夫と妻を比較したものではなかった。ここで夫と妻を比較した数字を挙げておこう。二〇一五年SSM調査によると、夫婦ともに旧中間階級である人の個人収入は、男性が四一二・五万円、女性が一三七・四万円と、男女で三倍もの差があった。しかも女性の八七%は個人収入がゼロで、五四・三%は一〇〇万円未満だった。もちろん個々の家計内での慣習にしたがって、男性である夫が女性である妻に自分の収入の具体的な運用を任せているということはありうるが、得られた収益の大部分は、あくまでも男性の所有物となっているのである。
 ここに、生産領域における男性の女性に対する搾取の存在を認めることができる。つまり、生産手段の所有を基礎として、男性が女性の生産労働の成果を搾取しているのである。ひとつの世帯のなかに成立しているこのような経済構造は、家父長制的生産様式と呼ぶことができる。当然ながら家父長制的生産様式は、家族経営の中小零細企業を営む資本家階級世帯にも成立しうる。もちろん旧中間階級世帯や資本家階級世帯でも、女性は家事労働の主要な担い手だから、女性たちは家父長制的再生産様式を通じた搾取も受けることになる。二重の搾取である。
 このように家父長制は、再生産様式であるとともに生産様式でもあり、いずれにしても男性による女性の不払い労働の搾取をもたらす。ここから、男性と女性の関係は、一種の階級関係だという主張が生まれてくる。たとえばデルフィは、次のように主張する。この社会には家父長制と資本主義という二つの搾取システムがあり、前者を基礎として性階級、つまり男性階級と女性階級が形成される。こうして人々は、家父長制における所属階級と資本主義における所属階級という、二つの所属階級をもつことになるのである(『なにが女性の主要な敵なのか』)。
 これを受けて上野は、「フェミニズムの戦略にとって、『女性=階級』説は、強力な基盤を提供する」と主張する。なぜなら女性がひとつの階級であるならば、目指すべき目標は、一部の女性の解放ではなく、「層としての女性」全体の解放となるからである(『家父長制と資本制』)。
(pp.69-71)

 代表的な主張のひとつは、ハイジ・ハートマンによって示されたものである。ハートマンは、これまでの研究で階級という概念がジェンダーと無関係のものとされてきたことを問題にする。彼女によると、階級理論は資本主義の発展によってさまざまな階級が出現することを説明するが、そこではこれらの階級が、誰がその場所を占めるのか不明のままの「空席」として示されているに過ぎない。これに対して家父長制は、誰がどの「空席」を占めるのかを決定する。つまり家父長制の存在によって、階級的な序列のなかで男性は支配する位置を、女性は支配される位置を占めるようになるのである(「マルクス主義とフェミニズムの不幸な結婚」)。
 ナンシー・アンデスは、このハートマンの主張にもとづいて「各階級は、男性中心の階級と女性中心の階級に分断されている」という仮説を立ててデータを分析した。その結果、仮説は支持され、全体としては上位の階級ほど男性比率が高く、下位の階級ほど女性比率が高いことが明らかとなった。ここからアンデスは、「ジェンダーと階級は相互に強め合いながら、女性と男性を著しくジェンダー化された社会階級の地位に振り分け、女性と男性に異なライフチャンスと結果をもたらす」と結論している「社会階級とジェンダー」)。
 またマイケル・マンは、女性が各階級のなかの下位の部分に集中することに注目した。たとえば女性専門職は、専門職のなかでも下位に位置する「準専門職」であることが多いし、女性事務職はノン・マニュアル職の下位に位置して、その下に位置する男性マニュアル職と男性ノン・マニュアル職の間の「緩衝帯」になっている。このような事実を確認した上でマンは、「階層構造はジェンダー化され、ジェンダーは階層化されている」と結論している(「階層理論の危機?」)。
 またジャッキー・ウエストは女性の所属階級について論じるなかで「女性は階級構造の中の最も論争を呼ぶ領域を占めている」と指摘し、とくに事務職に注目した(「女性と性と階級」)。事務職はもともと管理的な熟練労働だったが、仕事の細分化と機械化によって非熟練化する傾向があり、この過程では、とくに女性の地位が低下したというのである。このことは、男性の事務職が新中間階級であるのに対して、女性の事務職は労働者階級だとみなすべきであるということを示唆する。
本書ではこの理由から、正規雇用の事務職を、男性の場合は新中間階級、女性の場合は労働者階級に分類している。ちなみに二〇一五年SSM調査データによると、正規雇用の事務職のうち役職を有する人の比率は、男性が六二・五%であるのに対して、女性は一八・八%に過ぎなかった。近年の若い世代では女性総合職の増加がみられるが、まだまだ女性全体の地位を変えるには至っていない。

家父長制的な性格をもつ企業組織
 前章では日本のデータを用いて、女性に比べると男性には資本家階級、新中間階級、そして正規労働者階級、反対に女性には非正規労働者階級が多いこと、また同じ階級どうしを比較しても、男性の個人年収は女性より多いことを示した。これは欧米の研究で示された以上のような傾向が、日本にも典型的に認められることを示すものである。このような意味で、現代日本の階級構造は「ジェンダー化された階級構造」であり、またジェンダーは「階級化したジェンダー」であるということができる。
 このようにみてくると、もともとは家族のなかにあって、「家産の所有や労働力の支配という物質的基盤の上に成立する、男性の女性に対する支配のシステム」だったはずの家父長制が、家族の外部の社会にまで広がっているということがわかる。なぜ、このようなことが起こりうるのか。二つの見方がある。
 ひとつは、女性が家族の外で職業を得る傾向が強まったために、公的な場にまで家父長制が広がった、というものである。シルヴィア・ウォルビーは、このような変化を「私的家父長制から公的家父長制への移行」と呼んだ。彼女によると、私的家父長制とは、家長が私的領域において女性を直接かつ個人的に支配するものであり、ここでは夫または父親が、直接の抑圧者かつ受益者となる。これに対して公的家父長制は、雇用や国家に基盤をもつもので、女性が私的領域のみならず公的領域にも進出することによって形成された。そして二〇世紀以降は私的家父長制よりも公的家父長制の方が重要になり、ここでは女性の搾取が主に公的領域で、集団的に行われている、というのである(『家父長制を理論化する』)。
 もうひとつは、近代的な企業組織は、もともと家父長制的な性格をもっていたとするものである。経済史家の森建資は、英国における雇用関係の歴史的成立過程に注目する。そして歴史資料の分析から、近代資本主義の雇用関係の中軸である雇主の指揮命令権は、歴史的にみると、男性家長の妻と子どもの労働に対する支配権から発達してきたということを明らかにした(『雇用関係の生成』)。これを受けて大沢真理は、企業の労働者支配は本来的に「家父長制」だったのであり、このため必然的に、女性労働者は低い地位に置かれてきたのだ、と指摘する(「現代日本社会と女性」)。
 おそらくこれら二つの説明は、いずれも正しいのだろう。企業における家父長制は、その歴史的起源のひとつである、近代初期の家族経営から継承されたが、ある時期までここで支配を受ける労働者階級の大多数は男性であり、男性雇用主による男性労働者の支配が主流だった。しかし女性の進出によって企業における家父長制は、男性雇用主と男性上司による女性労働者階級の支配という性格を強めてきたのである。
(pp.72-76)


(p.78)

 資本主義的生産様式が階級格差、家父長制がジェンダー格差につながり、「ジェンダー化された階級」構造が生成する。
 階級とジェンダーは、交差的、複合的に不平等、格差を拡大、維持、再生産する。

 本作は、優れた社会調査の成果である。

 グッド・リサーチには、二つの種類がある。

 一つは、既存の社会通念や背後仮説、理論を反駁する知見を明示するもので、もう一つは、通念化はしていないが、経験からおぼろげながらおそらくこうではないかと推論されることをデータで裏付けるものだ。

 橋本さんが提示する、鮮やかな日本女性の階級プロフィールは、後者のグッド・リサーチの成果である。

 橋本さんは、女性の階級を細かく次の20グループに分類する。


(p.87)

①資本家階級-資本家階級グループ[中小企業のおかみさんたち]
「職業をもち、高い生活水準を維持しながらも、伝統的な性役割意識を保持し、政治的にも保守的な女性たち」。(p.122)
②専業主婦-資本家階級グループ[経営者の妻たち]
「経営者の夫を陰で支えながら、伝統的な性役割規範を疑わず、子どもに高いレベルの教育を受けさせることに腐心しながらも、典型的な専業主婦として豊かで満ち足りた生活を送る女性たち」。(p.127)
③新中間階級-新中間階級グループ[ダブル・インカムの女たちⅠ]
夫とともに格差拡大を容認するネオリベの支持者。
④専業主婦-新中間階級グループ[専業主婦のコア・グループ]
「高学歴で高収入の夫をもち、家事と子育て・子どもの教育に専心しながら、「経営者の妻たち」ほどの豊かさはないとしても、幸福で平穏な生活を送る、「専業主婦」のイメージの中核に位置する女性たち」。(pp.136-137)
⑤パート主婦-新中間階級グループ[働く主婦・上層]
「夫の個人年収は人並みよりやや上であるものの、住宅ローンの返済や教育費などを補うためにパート勤めをし、仕事との折り合いをつけながら家事と子育てにいそしむ、平凡な主婦たち」。(p.140)
⑥新中間階級-労働者階級グループ[階級横断家族の女たち]
「専門職としての能力やキャリアがありながらも、仕事に不満をもち、また平均以上の世帯収入があるにもかかわらず、生活全般にもあまり満足を感じることができずにいる女性たち」。(p.144)
⑦Ⅰ新中間階級-シングルグループ[〈独身貴族〉たち]
単身で女性としては収入が比較的多く、文化的活動や消費活動の上では「独身貴族」的で華やかな側面もみせるが、生活には必ずしも満足できないでいる女性たち。(p.148)
⑦Ⅱ新中間階級-シングルマザーグループ[シングルマザー・上層]
「専門職に就く新中間階級であることから、他のシングルマザーに比べれば貧困リスクは低いといえるが、多くの悩みや不満、健康上の問題などを抱える女性たち」。(p.152)
⑧正規労働者階級-新中間階級グループ[ダブル・インカムの女たちⅡ]
「単純事務職とサービス職・マニュアル職が大部分とはいえ、結婚を経て長く勤続しているからそれなりに高収入で、夫の安定した収入も合わせて豊かな生活をする、女性労働者階級の上層」。(p.156)
⑨正規労働者階級-労働者階級グループ[共働きの女性労働者たち]
「あまり豊かな女性たちとはいえないが、六六三万円という世帯年収は、全体平均をわずかに上回るから、「中流の下」とはいえるだろう。決して高くはない収入を夫と持ち寄って、堅実に生活を送る女性たち」。(p.160)
⑩パート主婦-労働者階級グループ[働く主婦・下層]
「伝統的な主婦役割を受け入れながら、夫の収入だけでは苦しい家計を支えるためにパート勤めをしているが、それでもローンや教育費などで生活は楽ではなく、不満を抱えながら健気に暮らす女性たち」。(p.164)
⑪専業主婦-労働者階級グループ[労働者階級の妻たち]
「経済的に苦しいなか、大量の家事と育児をほぼ一人でこなし、家族の生活を支える女たちである。「専業主婦のコア・グループ」と違って、テレビドラマの主人公として描かれたりすることはなく、その実像をイメージできる人は多くないかもしれないが、労働者階級世帯を支える、したがって日本社会を支える陰の立役者として、無視してはならない存在」。(p.167)
⑫Ⅰ正規労働者階級・シングルグループ[シングル・ライフの女たち]
「ひとり暮らしでも、また親と同居していても、生活は楽ではないが、それなりに生活をエンジョイしており、また政治的にはアクティブでないものの、既存のジェンダー秩序に対して静かに抵抗している女たち。(p.171)
⑫Ⅱ正規労働者階級・シングルマザーグループ[シングルマザー・中層]
「正規雇用の職を確保していることから、貧困リスクがきわだって高いというわけではないが、やはり生活には多くの不安と不満があり、同時に健康不安も抱えた女性たち。(p.175)
⑬Ⅰアンダークラスグループ[アンダークラスの女たち]
「次に取り上げるアンダークラスのシングルマザーとともに、現代日本の最下層であり、現代の階級社会の矛盾がもっとも集中する女性たち」。(p.179)
⑬Ⅱアンダークラス・シングルマザーグループ[シングルマザー・下層]
「全グループ中で、もっとも格差や貧困の現状に問題を感じ、もっとも強く格差拡大に反対する女たちといっていいが、支持政党がなく、投票にも行かず、その声は政治に届いていない。現代日本の最下層であるとともに、もっとも政治から見放された女たち」。(p.184)
⑭旧中間階級-旧中間階級グループ[家業に生きる女たち]
「伝統的な家業に根ざし、働く女性でありながらも伝統的な規範を維持する、保守的な女性たち」。(p.188)
⑮専業主婦-旧中間階級グループ[職人の妻たち]
「経営規模が極小の自営業を営む、手に職をつけた夫を陰で支える、旧中間階級の下層としての性格が強い女性たち」。(p.191)
⑯パート主婦-旧中間階級グループ[「過剰人口」の女たち]
「旧中間階級の下層であり、しかも労働者階級の下層でもあるという、二重の意味で下層的性格が強い女性たち」。(p.195)
⑰無職・シングルグループ[老いに直面する女たち]
「多くが離死別を経験し、安定した収入がなく、多くの生活不安を抱えながら老いと向き合う女性たち」。(p.199)

 圧巻である。
 街を行き交う女性たちが、一人一人、生活の重みを背負った存在として見えてくる、そんな感じさえする。

 貧富の格差を自己責任と捉えるかどうかは、心性のネオリベ度を推し測るメルクマールとなるが、そこにもジェンダーによるちがい──男性の方がネオリベに親和的──があるのが興味深い。

 つまり、こういうことである。男性では、資本家階級のように有利な位置にある人々は、貧しくなるのも豊かになるのも自己責任であり、したがって自分が豊かなのは努力の結果であって当然のことだと考える。新中間階級と正規労働者階級も、かなりの程度、同様に考える。これに対してアンダークラスのように不利な立場にある人々は、貧富の差は自己責任ではなく、したがって自分の貧しさは自分の責任ではなく、社会の側に問題があるのだと考える。これに対し女性は、アンダークラスのように不利な位置にある人々はもちろんのこと、資本家階級のように有利な位置にある人々もある程度まで、貧富の差は自己責任ではないと考えるのである。
(pp.275-276)

 以上をまとめておこう。先述のように全体として男性は女性と比べて、現在の日本の格差は大きすぎるとは考えず、貧富の格差は自己責任であり、所得再分配によって是正することは必要ないと考える傾向、あえていえば新自由主義的な傾向が強いのだが、その内部には階級による違いがある。有利な位置にある階級の男性たちは、資本家階級や新中間階級だけではなく正規労働者階級も含めて、こうした新自由主義的傾向が明確である。これに対して不利な位置にある階級、つまりアンダークラスと旧中間階級の男性たちは、女性たちほどではないとしても、現在の日本の格差は大きすぎると考え、貧富の格差は自己責任ではないと考える。そして女性たちと同等あるいはそれ以上に、所得再分配による是正が必要だと考える。つまり新自由主義を否定する傾向が強いのである。
 男性の示す、このような傾向は何を意味するだろうか。有利な位置にある人々が、格差は当然であり格差是正は必要ないと考える一方、不利な立場にある人々が、格差は大きすぎであり是正の必要があると考えるとすれば、両者の間に対話や妥協が生まれる余地はない。それぞれは自分の利害を前提に格差の現状を評価し、是正の必要の有無を判断しているからである。そして格差が拡大すればするほど両者の対立は深まるだろう。
 格差拡大が、さまざまな社会的弊害をもたらしていることは、すでに広く知られている。
貧困層の増大、子どもの貧困と教育を受けるチャンスの不平等、健康と命の格差、若者の貧困化によって引き起こされる未婚化と少子化、社会保障支出の増大と財政危機など、いずれも重大な問題ばかりである。しかし男性たち内部のこうした対立をみると、格差の縮小や貧困の解消に向けて社会的合意を形成することは、絶望的に困難なように思われる。
 救いは女性である。たしかに女性たちの間には、本人の所属階級、配偶者の有無と配偶者の所属階級による大きな格差があり、そして意識の違いがある。しかし全体としてみれば、男性よりは格差の現状に批判的であり、自己責任論には否定的で、しかも階級による立場の違いが小さい。そして所得再分配による格差の是正については、一部を除けば階級による違いが小さく、階級を超えて支持する傾向が認められるのである。
(pp.278-279)

 ネオリベは権威主義と親和的であるが、権威主義もまたジェンダー間で非対称である。

 しかし格差に対する意識と同様、これらについても女性と男性の間には重要な違いがある。これを示したのが、図表7・3である。女性と男性とでは、説明の必要がないほど回答の分布が異なっている。女性の多くは、脱原発に積極的で、憲法改正と軍事力の強化に反対し、戦争はなくすことができると信じ、同性愛に対して理解を示す。男性は、ことごとく逆である。男性の多くは、脱原発に反対し、憲法改定と軍事力の強化に積極的、あるいは容認する姿勢を示し、戦争は人間の本能によるものだと考え、同性愛に対しては限定的な理解しか示さない。男性により多くみられる、このようなある種の政治的立場は、「権威主義的右派」とでも呼ぶことができよう。
予想されるように、この権威主義的右派の傾向と、格差に対する意識の間には、密接な関係がある。端的にいえば格差拡大を是認する人々は、権威主義的右派の傾向が強いのである。
(p.282,p.284)

 こうした知見をジェンダー本質主義の陥穽にはまらずにどう生かしていくかが課題であろう。

目次
第1章 格差社会と女たち
第2章 階級とジェンダーが結びついた社会
第3章 女たちの経済格差
第4章 階級社会の女たち
第5章 女はなぜアンダークラスになるのか
第6章 新型コロナ下の女たち
第7章 格差と闘う女たちが世界を救う


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