見出し画像

本と音楽とねこと

仕事と人間──70万年のグローバル労働史

ヤン・ルカセン(塩原通緒・桃井緑美子訳),2024,仕事と人間──70万年のグローバル労働史〔上〕・〔下〕,NHK出版.(8.13.24)

 

 本書は、人類70万年の労働の歴史を叙述する大部の書物であるが、無味乾燥な学術書としての性格が強く、歴史学の専門家でない限り、忍耐強く読みとおすのは、困難だろう。

 歴史書といえど、例えば、ジャレド・ダイアモンドの一連の作品の場合、史実を貫く問題群が明確に措定されており、読者は、起承転結のあるストーリーとして歴史を理解する楽しさを味わえる。

 また、大部の書物と言えば、ダイアモンドに加え、ロバート・パットナムや、本書でも言及されているトマ・ピケティの作品群を想起するが、両者は、独自の統計データを提示しながら議論を展開するので、読者は、論拠を逐一了解しながら読み進めることができる。

 ところが、ルカセンの歴史叙述は、個性記述的な事実を羅列することで終わっており、歴史学者でもない者にとって、たんたんと綴られる史実は、退屈以外のなにものでもない。

 それでも、労働問題を考察する際、参考になる議論が多少はあった。

 ギルド(同業者組合)、共済組合、労働組合、消費・生産者協同組合の起源をめぐる議論は、たいへん興味深い。

 相互扶助は十九世紀に生まれた新しい現象ではない。その五世紀前から、手工業ギルドはきちんとした埋葬や、病気や老齢などの人生の苦しみのときに必要な費用をまかなうための相互扶助の方法をいろいろ用意していた。職人の親方を中心としたこの伝統にならって、何年か修業しても親方になる見通しのほとんどない業種では平の職人の組合などもつくられた。よくあるかたちの相互扶助に加えて、お金を必要としている会員に相互保険や互助で順番に資金を拠出するものもあった。いわゆるROSCA(回転型貯蓄信用講:rotating savings and credit associations)はその一つで、一九六〇年ごろにモーリシャス島へ移住したインド人の「サイクル」もしくは「シート」がその好例である。仕組みは次のとおりだ。

   ある人が友人や隣人を集めてグループをつくる。たとえば一〇人が集まったとして、各人が一〇ルピーを出す。それからくじを引き、あたった者が一〇〇ルピーをもらう(発起人が最初の「掛け金」をもらうことになっている場合もある)。次の月にまた一〇ルピーずつ出しあい、今度は別の者が一〇〇ルピーをとる。こうして一〇人全員が一〇〇ルピーをもらうまでつづけられる。

 グループのメンバーで利益を分配する形式もあり、たとえばコフィヤル人の「ビール作業班」(第22章「小規模農業」の節を参照)がそうしていた。
 大半のROSCAは、金銭給付か現物給付かにかかわらず相互の信頼にもとづいて運営され、共済組合や協同組合と比較すると最小限の管理ですむ。このことに加えて、労働組合が移民を相手にしないことも、ROSCAやそれに似た仕組みが彼らのあいだで人気がある理由だ。相互保険は時間的に長いスパンを要する。強制加入のギルドはこの目的に非常に適していた。労働組合も、加入を強制することは法律上できなかったが、のちに福祉国家がそれらの機能のほぼ全部を引き受けるようになるまでは、富裕国で相互保険のモデルにならって成功した。経営側が設立する企業基金、商業基金、医師基金も、ある程度までは競合相手になりえた。とくに民間金融に対しては相互扶助組織が有益な代替手段になる。担保のない貧しい人が民間金融を利用すれば債権者に依存するようになり、下手をすれば一生債務に縛られることもよくあるからである。
 共済組合はローマ帝国と中世および近代初期のギルドにすでに記録があるが、賃金労働者の増加にともなって急速に広がった。これは同じ都市の同じ業界の労働者で構成される会員制の組織で、複数の機能をあわせもつことが多かった。相互保険だけでなく、会員どうしの親睦と地域の他団体との交流を深める目的もあり、そのために会員の葬儀を執り行い、会員正装での参列を義務づけた。また経済面では、協同組合としての機能も果たした。そうなれば、陳情やときおりのストライキを通じるより積極的な利益保護に乗り出すのも時間の問題で、多くの共済組合が労働組合に発展するか、労働組合が禁止されている場合にはそれにかわる働きをした。共済組合が、ただ貧民救済問題の緩和に役立つという理由からだけでも、ほとんど禁止されることがなかったのは特筆すべきことだ。たとえばイギリスでは、普通「友愛組合」と呼ばれ、早くも一七九三年の法律で合法化された。一方、労働組合は第二回選挙法改正で都市労働者に選挙権が認められた一八六七年になっても、まだ数多くの障害に立ち向かわなくてはならなかった。
 生産者協同組合は、会員に運営に関する発言権があたえられている民主的な利益分配組織である。この組織は十九世紀半ばに職人のあいだに誕生して短命に終わったが、農民のあいだではもっと限定的なかたちで発生し、それゆえに大成功した。職人の場合は仕事を失わないように、失っても救済されるように、また中間業者を通さなくてすむように、個人でなく共同で生産する道が選べるようになった。原材料や道具や機械の共同購入、製品の共同販売をしたのである。だが、販売を成功させることがこの種の組合の難しい面であることが露呈することになった。労働意欲が旺盛で、利益の追求も過度にしなかったにもかかわらず、このかたちの協力体制は何度試みられても全体としてははかばかしい成果が挙がらなかった。
 生産者協同組合の成功のポイントは、少なくとも西ヨーロッパの小規模農家にとっては、生産手段の共同購入と、協同組合銀行で低金利の信用貸し付けを利用できる権利だった。最も有名なのは、十九世紀に自助を提唱したドイツの社会改革者フリードリヒ・ヴィルヘルム・ライファイゼンが設立した銀行である。ライファイゼンのアイデアはヨーロッパの多くの国で模倣され、さらにヨーロッパの外にも広がっていった。当初は組合員の貯蓄を共同でプールして低金利で長期の貸し付けをする制度だったが、その後、組合員の使用する種子や肥料、機械などの経営資源を共同で購入したり、収穫した作物を共同で保管して、卸売業者に頼らずに最も有利な時期に共同販売したりするかたちへ発展していった。
(下巻、pp.244-247)

 働くことの意味は、自己の尊厳の確立と維持、活動と休息、余暇の反復による、生活と人生のリズムの形成にある。

 人間は仕事を通じてかかわりあう。本書で全面的に示されてきたように、仕事は明らかに必要に駆られてするものだが(裸の「経済人」)、一方で人間が仕事をするのは、それが自尊心を生みだしてくれるから、そして他人からの尊敬を引き出してくれるからでもある。これは余暇には――いくらあろうと――もたらせないものだ。
 このことを誰よりも明確に表現したのがドイツ出身のアメリカ人哲学者、ハンナ・アーレントである。「労働のありがたさは、生活手段の生産と消費が密接に結びついているのと同じように、労苦と満足感がつねに交互に生起することにあり、だからこそ快楽が健康な身体に付随するように、幸福が過程そのものに付随する。・・・・・・つらい疲労とうれしい再生という定められたサイクルの外には、永遠につづく幸福は存在しないのだ」。アーレントの教え子だったアメリカ人社会学者のリチャード・セネットは、この説を独創的に発展させたが、ウィリアム・モリスとジョン・ラスキンに言及することによって、それを「プラグマティズム」(実用主義)に、つまり――学者としてはめずらしいことに――仕事は手を使ってするものだという意味に絞り込んでいる。「物理的なものをつくる技能は、他者とのかかわりを形成できる経験の技法についての洞察を授けてくれる。ものをうまくつくることの難しさと可能性は、ともに人間関係の構築に応用できる」。どちらの見解も、社会学者のデイヴィッド・リースマンが『孤独な群衆』(一九五〇年)で示したアイデアによく合致する。「人間は、自分が適切な存在であると感じることを必要とする。ただ職に就いて、あとは消費者として人生を送っていくというだけでは十分でない。・・・・・・仕事の世界が崩壊したことによって余暇に負わされた重荷は、どうしようもなく大きい。余暇そのものでは仕事を救えず、仕事とともに沈没する。大半の人にとっては、仕事が有意義でなければ余暇も有意義にはなりえない」
(下巻、pp.325-326)

 本書の要点をとりまとめたダイジェスト版があればいいのだが。

上巻

人類史の大部分は狩猟採集時代である。「仕事」に見いだす価値基準はその時代に培われ、現代人のなかに根強く残っている。私たちは働くことに平等性を求め、他者と協力する喜びを得、自尊心を保っているのだ。上巻では、互酬関係の基盤を生んだ小集団生活時代から近代初期のアジア、西ヨーロッパ世界までを概観する。

目次
序章
第1部 人間と仕事―七〇万年前から一万二〇〇〇年前まで
動物と人間それぞれにとっての仕事
狩猟採集民の仕事
狩猟採集以外の活動
第2部 農業と分業―紀元前一万年から前五〇〇〇年まで
新石器革命
農民の仕事
男女間の分業
世帯間の分業とそこから生じうる影響
第3部 新しい労働関係の出現―紀元前五〇〇〇年から前五〇〇年まで
「複合」農業社会における労働―不平等の拡大
最初期の都市の労働―職業の分化と再分配
国家における労働―多様な労働関係
第4部 市場に向けての仕事―紀元前五〇〇年から紀元後一五〇〇年まで
貨幣化と労働報酬―ユーラシア
労働市場と通貨と社会―紀元前五〇〇年から紀元後四〇〇年の中国、ギリシャ・ローマ、インド
市場の消滅と再出現―紀元後四〇〇年から一〇〇〇年のヨーロッパとインド;労働市場をもたない異例の国家の成立―アメリカ大陸;労働市場の復活―一〇〇〇年からのヨーロッパとインド)
第5部 労働関係のグローバル化―一五〇〇年から一八〇〇年まで
労働集約型発展経路―近代初期のアジア
労働集約型発展経路から資本集約型発展経路へ―近代初期の西ヨーロッパ


下巻

これまでの労働史が取り上げてきたのは、世界の最も発展した地域の男性工場労働者の歴史だった。だが本書は、その範囲をはるかに超えた全人類のグローバルな労働史である。下巻では、いよいよ近現代の世界各地の歴史を振り返り、人間と仕事のありかたについての未来を展望する。

目次
第6部 労働関係の収斂―一八〇〇年から現在まで
産業革命
非自由労働の衰退
自営労働の相対的な減少
家庭内労働の割合の減少
自由賃金労働の増加
第7部 変わりゆく仕事の意義―一八〇〇年から現在まで
仕事と余暇
利益の拡大―個人戦略と集団戦略
仕事と国家
終章 今後の展望


ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「本」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事