Serendipity
偶然の中の幸運のタネ。いいことありますように…、ではなくいいこと見つかりますように…
 



ここ半月ほどしんどいことがあった。
痛い思いをし、先の見えない不安で胃も痛くなる。

痛い思いは比喩ではなく、
実際に痛い目にあった。

でも、若いとは言えない身体はがんばってくれた。
昨日より今日、今日より明日と着実に回復する。
その過程で面白いことにも気づいた。

ヒトって(それとも私だけ?)幾つものつらさを
並行にかかえることができないようだ。
身体の数カ所が痛いはずなのに、とりあえず感じるのは
一番痛いA地点だけ。
もちろんむりやり意識を向けるとBもCもDもEも痛いのだが
何も考えないとひたすらAが痛い。
で、日にちが経ってAの痛みが薄らいでくると
待ってましたとばかり次点のBが存在を主張してくる。

そうやって次々に痛い場所が変わる。
つまりは退場していくAやBやらは回復したということ。
その淡々とした着実な歩みにすっかり感心してしまった。

明日は今日より痛みが引く…それは希望だ。
よかったよかった。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




ちょっと前からコンビニで
気になっていたドリンク。

今朝の寒さ。
体にカツを入れるため買ってみた。

麦茶に生姜とスパイス、
まんまの味(^^;)

でも甘くないのが気に入った。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




人生で勇気づけられた本はたくさんある。
けっこうお手軽にミステリーやホラーでも
勇気づけられるタチなのだ。

でも心底、全身全霊で勇気づけられたとなると
そう多くない。
その1冊に入ったのが表題の『困っている人』だ。
以前に紹介した『壊れた脳生存する知』といっしょに、
私の「勇気本」として本棚に並んでいる。


原因不明の難病「筋膜炎脂肪識炎症候群」という
漢字変換すら容易ではないこの病にかかった若い女性の
闘病記であり闘“社会”記、闘“病院”記である。

すてきで面白い文章の中身は
痛みと熱と倦怠感が渦巻く壮絶な戦いの記録。
そしてその戦いがまだ終わったわけではなく、
これからもずっと続くという現実に声を失う。

それでも、彼女はとてもキュートで明るい。
そのことに読者は救われ、元気づけられる。
私も同様、しっかりと元気づけられ、
生きてゆく勇気をもらった。

この本に出会えて、嬉しい。

困ってるひと
クリエーター情報なし
ポプラ社





コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )




この災害のことを書いておかなければと思う。

思うが、何を書いていいのか言葉が見つからない。

しばらくは気持ちも沈んだままで、

普通に生活はしているものの、

この精神状態に我ながらとまどっていた。

そんなとき、この文章に出会った。

http://www.1101.com/essay/2011-03-30.html

ちょっとだけ、自分の状態がわかった。

震災のことは私が書くまでもない。

ネットにもメディアにもあふれている。

私は静かに日常を暮らしていこう。

 

ところで、九州の友人から、九州新幹線のCMを教えられた。

震災の翌日12日に開通した「九州新幹線」。

 

1万人以上が参加し、何カ月もかけて準備され、

大きな喜びのイベントになるはずだったものも

すべて中止になり、このCMもオンエアされていないという。

友人が勧める言葉通り、見ていて涙が出てきた。

みんな、元気になろうよ!

 

九州新幹線全線開業 祝!九州縦断ウェーブ CM「総集編」180秒ver.



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




大人になると毎日が同じように過ぎてゆく。
子供の時はあんなにも毎日が変化の連続だったのに
いつのまにか変化しないことが当たり前のように思い込んでいる。

もちろん小さな変化はある。
でもそれはあくまで「小さな変化」であり、
人生をおびやかすものではない。

もっともそうそう人生をおびやかされては困る。
小さな変化しかないことは、喜ばしいことなのだ。

それでもやっぱり確実に時は過ぎる。
子供はいつのまにか大人になるし、大人は…老いる。

自分の老いを考えたことは何度もあった。
だが、親の老いはあまり真剣に考えなかった。
それはたぶん当たり前のことだと軽く考えていたからだろう。

母がプチ認知症になった。
まだらボケともいうらしい。
身もふたもない表現だが、まったくもってそのとおりだ。
はっきりしているところと、数分前のことも忘れる部分が混在し、
コミュニケーションがとりづらくなっている。

本人にもややその自覚があるらしく、
そうなったことを悔やみ、嘆き、元気がない。
このひと月ほどで急に進んでしまい、
今まで自在に動ける足だった車もやめることになった。

近いうちにひとり暮らしをたたみ、息子の家に同居となる。
つい半年前までは仕事をし、気ままに暮らしていただけに、
その変化に母自身はまったくついていけないでいる。

どうしたものか。
環境的にはどうすべきかもうわかっているし、
病院にも行って治療も始めた。
兄弟で話し合いもつづけている。
でも、問題は母の気持ちだ。

それが一番難儀で…

ま、なんとかなる、なんとかしよう


コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )




金策に訪ねた金融機関の石段で
転んでしまった

足に2か所、手に1か所の青あざができ、
大事には至ってないが、痛いよぉ~

精神的に落ち込み気味だったのに、加えての痛手。
つれあいには「注意力がないからだ」と追い打ち掛けられるし
まいった

週が明ければすぐ10月。
いいことがありますように


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




突然だが高校生の娘が転校することになった。

転校といっても別に家族が引っ越すわけではない。
要するに今の高校に行きたくないからやめるということだ。

親にしてみれば冗談じゃない。
ふざけるな! と断固阻止したいところだが
「なら登校拒否するから」とのたまう。
それも困る。うっとおしい。

高校ぐらい我慢して行けよ、と思う。
先生やら学校の方針やら気に入らないことはあっても
たかが3年間じゃないか。
大人は気に入らない仕事でも30年働いているんだぞと
言いたい。
言いたいが、言ってもおこちゃまには通じない。

おこちゃまにはおこちゃまなりの言い分があり、
一部は納得いく部分もある。
何よりやめたいのは今の高校で、
高校生活をやめたいわけではないという。
通信制高校にいっても、というか
それしか現実的な選択肢はないのだが、
高卒の資格は取りたいという。

となると反対する根拠は「辛抱が足りない」という精神論と
金銭的なものだけである。
前者はともかく後者は大きい。
県立から私立だ。
やっぱり冗談じゃないよ、と叫びたい。

そんなこんなですったもんだの挙句、
結局通信制の高校に転学することになり
先日、その高校に見学に行った。
事前のリサーチもあり、思っていたとおりの雰囲気で
(悪い意味ではない)
娘も気に入ったようだ。
おそらく、10月からこの新高校の生徒になる。

小さいころから何かと手のかかる娘だったが、
無事高校生になりすっかり油断していた。

ほんと、いろいろと面白い風景を見せてくれる娘だ。
まあ、がんばれ。

親は…金策あるのみ


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




あけましておめでとう。
また1年が過ぎ、新しい年がきた。
驚くほどに早いが、ま、今に始まったことじゃない。
もう10年ほど前から、年月は脱兎のごとく過ぎる。

そろそろ老いの準備もしなくちゃ…の年頃 

昨年末は風邪を引き、体調不良でまいったが、
年明けはすっかり回復
絶好調のお正月を過ごせた。

そんなわけでゴキゲンの仕事始め
今年もよろしく


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




思いっきりサボりまくりのブログだが
ま、いいか。
もともとさほど勤勉なタチではない。

それにしても暑いこと

6月ぐらいから夜、1時間ほど歩いている。
最初は町なかを回っていたのだが、
歩道はないし、あっても側溝のふたの上を歩くので
不安定なことこの上ない。
足元が気になって、疲れも倍増する。
そこで、農道沿いに歩くことにした。

ほぼまっすぐに伸びた田んぼの中の道路を
行って帰ってくるだけなので
つまらないかなぁと危惧していたが、
そうでもなかった。
農道にはあるまじき広い歩道があるので
足元はほとんど気にならず歩きやすい。
なにより素敵なのは夜空だ。

小さい頃から星が好きで、
宇宙飛行士になりたかった。
前にも書いたが、小学校高学年の時には
どうしたらなれるか質問のはがきも書いたくらいだ。

その夢は簡単に破れたが、
星はそこにある。
眺めているだけで幸せな気分になる。

その星空が素晴らしいのだ。

もちろん、八ヶ岳やらヒマラヤやら南の孤島やらには
かなわないだろうけど、
コンビニもスーパーもひととおりある日本の町にしては
なかなかである。

空を横切り、地平線(といっても盆地なので山の端だが)まで
続く天の川を見たときには感動したね。

先週から昨日までペルセウス座の流星群もしっかり見えた。

もっともルンルン気分の頭とは裏腹に、
体は青息吐息。
つれあいと歩くのだが、敵はどうしたって私より体力がある。
なので、かなりオーバーペースなのだ。

夫婦そろっておしゃべりしながらいいね、と
言ってくれる人もいるが、
しゃべるどころではない。
あえぎながら歩くので、口も利けないほどきつい。

それでも星空と歩き終えてからの爽快感のおかげで、
まだ続いている。
ツレアイは東京マラソンに出たいらしいが、
う~ん、それは… なにかの冗談?

ともあれ、ガンバ


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




安っぽい恋愛ドラマのサブタイトルのようだが
もちろん違う。

懐かしい人に会い、
ふとその頃のあれこれを思い出した。
そうすると、不思議なもんで、気持ちもその当時に戻る。
子どものような時代のむき出しの「思い」だ。

戻るがもちろん、それは一過性。
悲しい映画を見ながら涙を流しても、
終わると笑いながら何を食べようかと考えるように
そのときだけの限定版の感情なのだ。

それが分かっているだけに、
その時間を愛おしむ。

年齢を重ねると感動しにくくなり、
物事に動じなくなると思っていたが、
それはちょっと違うことに気付いた。
「今」のものごとにはさすがにあまり動じないが
「昔」の出来事に付随した「感情」には
思いっきりゆらゆら動じてしまう。

その揺らぎを少し外から見ることができるだけ
ちっとは成長したのかな。



久しぶりのブログ。
またゆっくり書いていこう。






コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )



« 前ページ