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一碧万頃

野島埼灯台

野島埼灯台(千葉県南房総市白浜町)

2014年8月24日 撮影

 野島埼灯台は、国の登録有形文化財であり、「日本の灯台50選」に選ばれている美しい灯台である。
しかしながら、明治初期に設置された煉瓦造りの歴史的灯台は、関東大震災で倒壊してしまい、現在の灯台は、1925年に鉄筋コンクリートで再建されたものである。この灯台は、太平洋戦争時に大きな被害を受け、1946年に復旧させたとあるので、ヴェルニー時代の灯台を探し求めてきた方には、少し残念な経緯となっている。それでも、コンクリート灯台として、太平洋戦争に堪え忍び、既に1世紀近くこの地で光を放ってきたことを省みると、歴史的灯台であることは間違いない。

 本稿は、2014年に訪れたときの写真をもとにリポートしているので、写真の右側には、霧信号所(霧笛舎)が写っている。2018年末に解体されてしまったとのことなので、今や記録写真になってしまった。2018年の灯台の日に最初で最後の公開をしたらしいのだが、知っていたら訪れていたので、とても残念である。

 ちなみに、1946(昭和21)年2月1日調査の『燈臺表』をみると、野島埼灯台は、おおかた以下のように記されている。

白1 電灯・II等級
白塗八角形コンクリート造 高さ29メートル
戦災により大破、仮灯設置、霧信号中破、無線方位信号所小破 

2014年8月24日 撮影

これらの銘板を残して頂けたのは、大変うれしい。

明治巳己季 点灯 十弐月十八日 

おそらく明治の己巳の年(明治2年)の終わりということだと思う。ただ、ペイントは、巳と己の文字が反対になっているのではないだろうか。己巳がある年は1869年であるから、その末と理解したい。でもグレゴリオ暦にすると1870年1月19日点灯であるので、ずれてしまう?

それにしても、この漢字は、かっこいいのだが、ちょっと難しい。

当時、日本ではグレゴリオ暦を採用していないので、日本語の銘板とフランス語の銘板では、年月日が異なっている。

2014年8月24日 撮影

 最初の灯台は、木造であったようである。『燈光』に掲載されている論考によれば、明治2年1月12日(1869年の2月22日)にヴェルニーが、フランスのフランスの土木局総監のレイノーに宛てた手紙で、観音埼と野島埼の両灯台の灯火の事実を報告しているので、野島埼灯台は、既に1869年には燈光していたことになる。ただ、この木造灯台は、仮設灯台とみなされるものらしく、2代目の灯台は、明治2年2月から工事が開始され、12月に完成したらしい。
 正規の灯台は、八角形の煉瓦作りのもので、フランス製の第一等フレネルレンズと石油灯器を備え、明治2年12月18日(1870年1月19日)に初灯した(ただ、史料上、日付が違うものが確認できるという。ここでは、写真にある記念額の日を紹介した。)。
 現灯台は、厳密に言えば、3代目となるだろう。なお、ヴェルニーが関係した灯台には、観音崎灯台、品川灯台、城ヶ島灯台があるが、1870年の建設当初の姿をとどめているのは、博物館明治村に移設保存展示している、品川灯台だけである。
 観音埼灯台や野島埼灯台など、フランス人によって設置されたものは、一般にヴェルニー灯台と呼称され、ヴェルニーの功績とされているが、ヴェルニーは、もとより灯台専門の技師でなく、灯台の設計、実際の工事の指揮、監督、指導は、部下であるルイ・フェリックス・フロランや他の技師が行っていた。しかも、ヴェルニーは、煉瓦製の野島埼灯台建設中にフランスに帰国しているので、フランス人技師たちの功績とした方が良いみたいである。フロランは、ヴェルニーが、総監のレイノーに技師の派遣を依頼した際に選ばれた人物であり、フランスの中央灯台部に属する技師であったようである。

2014年8月24日 撮影

今のレンズは、当初のものとはもちろん異なる。

2014年8月24日 撮影

房総半島最南端から太平洋を見る。灯台から撮影。左下に霧信号所(霧笛舎)のラッパ?が見える。

2014年8月24日 撮影

 品川灯台も見にゆきたいところなのだが、現在、第2台場にはなく、博物館明治村に移設され、建築遺産として新しい役目を博物館で担っている。そもそも第2台場自体も削られてしまっているので、跡地は、東京湾の中である。

 御殿山下台場跡には、現在、台場小学校があり、その小学校前に記念碑と模造品が建てられている。これは、また別に紹介するつもりである。

2014年8月24日 撮影

霧信号所のラッパの向きが、1938年時の写真と違う。

2014年8月24日 撮影

なぜ、日露戦争記念碑が・・・未調査です。

2014年8月24日 撮影

神奈川県立歴史博物館に展示されている煉瓦

2022年6月訪問撮影

 神奈川県立歴史博物館に展示されている横須賀製鉄所製の煉瓦である。これは、説明によると「横須賀製鉄所首長のヴェルニーらフランス人技術者の指導により製造された煉瓦。・・(中略)・・ 明治4(1871)年の横須賀造船所への改称前に製造された煉瓦であることがわかる。本資料は、同所製煉瓦が使用された房総半島最南端の野島埼灯台(1869年竣工)周辺で採集されたもの。」とある。

当煉瓦は、初代野島埼灯台の煉瓦の一部と推察しても良いのではないか。

2022年6月訪問撮影

ヨコスカ製銕所の刻印がある。

 

2023年8月 修文・加筆

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