匝瑳市ちょっと探索・・・八日市場、飯高寺、チロリン橋
今回は、ずいぶん前に訪れた匝瑳市の記憶をたどります。訪問日は、2015年10月です。写真整理をしていて、出てきた話題のひとつです。もう、そんなに経つのか・・・
「津守山・人骨山登頂記と大山千枚田」のところで少し触れた「チロリン橋」についても付記したいと思います。なお、この項目のカテゴリーは、壮絶悲哀話であるチロリン橋から、橋梁にしています。
2015年10月撮影 Sony nex-6
匝瑳市八日市場には古い建築物が残っていて楽しいですね。
雨の日の訪問です。
2015年10月撮影
本町通り商店街をぶらぶらします。
八日市場の交差点
2015年10月撮影
匝瑳や八日市場という名称は、かなり古くから使われていたとされています。匝瑳は1290年以前から、八日市場は1417(応永21)年に初出の地名だそうです。(「市史こぼれ話」115)
2015年10月撮影
お店にぶら下がっているのは、てるてる坊主ではなく、ソーサマン、匝瑳市のキャラクター「ハリキリ戦隊ソーサマン」です。この市は、ゆるキャラが戦隊モノのキャラクターなのです。
地井武男さんの記念館(期間限定)
「地井武男ふれあい記念館 ちいちい茶屋」
俳優の故地井武男さんは、この町のご出身でした。
入館します。
匝瑳市長から地井さんに贈られた善行者表彰盾
地井武男さんのご自宅のアトリエを再現した展示
地井さんの帽子が展示されていました。筆の字も魅力あります。
地井さんは、絵も上手です。
地井さんが描いた絵の絵葉書を購入しました。
飯高檀林跡
八日市場から少し離れたところにある城跡に設立された檀林跡を訪れました。隠れた文化財が凝縮した寺でもあります。
実は、これは裏手から進入してます。通常は、表からの方が良いと思います。これには理由がありました。
門 重要文化財です。
鐘楼 同じく重要文化財
先に見えるのが講堂 重要文化財です。 この日は、コンサートが開かれていました。
裏手にあるちょっと素敵な建物
チロリン橋
チロリン橋を求めて・・・・
匝瑳市は、八日市場町と野栄町を合併して出来た市(2006年)です。
かつての野栄町の昔話に「チロリン橋」という話があることを知り、橋がありそうなところを妄想して探索しました。
まず、野栄ふれあい公園を訪れます。
高いとこから眺めるためです。
海も近いし、平地です。
チロリン橋とは、野田地区の伝説らしいお話です。
ちょっと心配ですが、匝瑳市のHPから、そのお話を全引用します。
「その昔、川辺村から今泉村へ十歳ぐらいの少女が、子守りにきていた。子守りといっても、炊事せんたくから、子供を遊ばせたり寝かせたり、たくさんの仕事を朝早くから夜おそくまで、一日十五時間以上も働かなければならなかった。そんな重労働のほかにも、周囲からいやみをいわれたり、どなられれたり、それはとてもつらい毎日だった。
あるとき、ご主人の家でお金がなくなった。
「おまえが盗ったんだろう、おまえの家は貧乏だからな!」
とせめたてられた。どんなにせめられても、身に覚えのないこと。仕事のことや気がきかないということでしかられるのは我慢できても“どろぼう”といわれたことは、少女にとって、これほどつらく悲しいことはなかった。
その夜少女は、母親が七つの祝いのとき買ってくれたポックリをふところに入れて、主人の家を出てしまった。まっくらな田んぼのあぜ道をとぼとぼ歩く少女。
足をふみはずして田んぼへ落ちたりしながら、
「おっかあ、おっかあ」
と母を呼び続け、村境の橋をわたっておっかあのいるわが家の方へ向かった。
なつかしいわが家の前にきたが、雨戸がしめられ、家まで眠っているような静けさだ。戸をたたいて、おっかあのあたたかい胸に・・・と少女は思ったが、なぜかそれができない。それは、少女の家ではすでに子守代として、主人の家からお金を前借りし、それを使ってしまったことを知っていたからだった。
家に戻ってしまったら、おっかあも、おとうも、きっとつらい思いをするだろう。
そう考えると、戸をたたくことがどうしてもできなかった。いつの間にか少女は、村境の橋の上まで戻ってしまった。ふところのなかでは、ポックリについている鈴がチロリン、チロリンと鳴っている。
やがて、一番どりが鳴き、夜も明けてきた。わが家に戻ることも、主人の家に戻ることもできず、思いあまった少女は、ポックリをだいて川に身を投げてしまったそうだ。
のちに村人がこの丸木橋をわたろうとすると
「チロリン、チロリン」
と悲しげに鈴の音がする。恐ろしさで逃げかえった村人が、だれかれなくこの話をしたから、ぱっとうわさが広がり、それからというもの、この橋は“チロリン橋”と呼ばれるようになり、女子供の近付かないさびしい橋になってしまったという。野栄町史付録」(匝瑳市HP)
号泣もののお話です。あまりにも救いようのない話で、引用するのもはばかられるくらいです。
アニメの「日本昔話」にも取り上げられています。涙なくしては、見られません。
このお話の川辺村や今泉村を少し調査したり、川はどの川だろうかと妄想して、現地踏査しましたが、ちょっとよくわかりませんでした。うその作り話であることを願うばかりです。この探索時、実は、それらしきところがわかればと、小さな花を手向けようと持ってきていたのですが、結局、橋らしきところも推察できず、夕方になってしまいました。
あれから、ずいぶん経ちます。千葉県の昔話とも言われるようで、何処でも当てはまりそうな話なので、モデルとなる橋の跡地は存在しないかもしれません。それでも、もう一度、調査してみたいと思う、今日この頃です。
以上