今になって急にいろいろ考えだしたことの理由のひとつには,やっぱり定年まであと8年,と残りが一桁になったことも大きいのかなと思います。まあ,直接のきっかけとしては,以前の記事のとおり,「思考は現実化する」を読み直していて,突然思いついたことですけれども。
で,考えてみると50歳になったときにも,ひとつの大仕事に手をつけてはおりました。
これも50歳になったから,とかあらたまって考えたわけではなかったのですが。
茨城に来てから新聞をとっていないのです。読売新聞が勧誘にきたときに,どうしても朝日新聞じゃなきゃいやだとことわったら(実はたいしてこだわりはないのですが),うちのまわりは田舎で,朝日新聞の配達なんてないので,結果としてそのままなんです。
で,今となっては2年前のある日,職場でたまたま新聞の折込広告が捨てずに残ってあったのをなんとなく眺めていて,「ふーん,これはよさそうだな」とふと思ったのが,常磐線のひたち野牛久駅前に作っているマンション。駅も駅前の西友も歩いて数分,というか目の前。温泉付。退職したらどこに住もうか,なんて話をときには奥さんとするような歳にもなっています。さっそくそのチラシをもらって帰って奥さんと相談。
子供がいないので,家を建てるという発想はまったくなかったので,退職したらどこかにマンションでも買って,という程度だったので,夫婦二人ですっかりその気になって,明日にも買いに行こうかという段階にすぐなりました。
今思えば,退職までの10年でローンはとても払いきれなかったし,まだまだ転勤は続くので,実際にそこに住むのは10年後。それまでは住んでもいないのに管理費は支払って。そもそもそこに住民票を移せない以上,住宅ローンも組めなかったのでは,と問題は山ほどですが,まあ,いいかと安易に考えていました。
予約を入れて,明日話を聞きに行こうという前夜,ふと実家の母と一緒に住んでいる妹夫婦のことを考えて,今のその家は大きな地震がきたら一瞬でつぶれると言われているけど,新築はできないので,数年のうちにアパートでも探そうかという話をしていたのをおもい出しました。
で,それならその家を一緒に改築しようか,という話になって話は急展開。
結果としてはマンションを購入する半分近くの金額ですんだし,退2世帯住宅で自分のところには職までは住まないといっても,母に住んでいてもらえばいい話で,マンションのように管理費がかかることはないしと,上々のできでした。
まあ,そんなわけで,退職後の住むとことは確保したのですが,そのあとが何も考えていなかった。
3年くらい期間延長というのか,今の半分くらいの給料で職場にのこって,そのあとは年金もらって,なんてことを漠然と考えていただけで,年金もらえるようになったらそれからどうするんだろう,とか,何も考えていなかったことに気がつきました。
結果として,年金もらって,仕事としては何もしないというのもアリの選択とは思うのですが,何にも考えないでそこに行き着いてしまうということにはならなくてよかったな,と思うようになりました。
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