erika

ブログ初心者のブログ

ほぼ、料理の合間にキッチンでの作業です。

ハロ現象と22のサイン ⑸

2018-06-02 22:26:38 | 11 22
⑷からの続きです。


5月30日の朝、
買い物からの帰り道、
5月30日の今日の数字に書いた道で、
22のサインを持つママと偶然会いました。
彼女の職場の前です。

なんだか、よく会いますね〜

と、しばし立ち話。

3日連続で会ったことになります。

ご近所さんだけど、
滅多に会わないのに。

1ヵ月前くらい前に
夜、1回会ったかな?と思いますが。


3回続くときは
神が叫んでいるのだとか。


ここ数日前くらいから
何度も思い出している出来事があります。

結婚前の話です。

今でもアイスコーヒーを飲みますが、
(といっとも今は水に濃縮コーヒーを少し入れた、コーヒー風味の水って感じ。)

当時も購入したボトルのアイスコーヒーを
勤務先の冷蔵庫に入れていました。
職場のみんなで飲むためのもの。

その頃、同じ職場に仲良くしていた年下の女の子がいて、どなたかに私を紹介するときに、
「優しいんですよ〜」と。
その理由が、アイスコーヒーなどの差し入れをするから、みたいなことでした。

それがね、結構衝撃的というか、
優しいの定義って、それ?
って、なんだかとても不思議に思った記憶があります。

つまり、その子にとっては
物をもらう=優しい
ってこと?かなと。

そんな考えは私の中になかったから。

その頃、うちの父がよく
プルーンとプリンケーキをみんなのお茶菓子にするようにと持たせてくれていました。

プルーンは貧血にもいいからと。

私もそんな日常的なささやかな贈り物をすることが多いかなぁ。

逆に誕生日とかに
高価なものを贈ったりとかはしないです。

その子も複雑な家庭で、
当時は叔母さんが作ってくれたお弁当を持ってきていました。
でも、冷食だらけって愚痴いってました😓
じゃあ、自分で作ればいいんですけどね。

キンピラが好物で
一度作っていったときは
すごく喜んでくれました。

なんだろうか。
やはりあったかいご飯を提供するように、って意味かな。

以前、こちらも家庭が複雑な男の子がうちによく遊びにきていましたが、
私が実家に帰っていた時期
その子が職場に遊びに来て、

「おばちゃんは?」と
当時は旦那さんだった子供たちの父親に聞いたそうです。

私がいないと、ご飯が出てこないからだと思います。

そんな風に
食事に飢えている子は多いです。

一見、恵まれたように見える日本でさえ

でもそれは結局、愛情に飢えているってことかな。


22のサインを持つママも、
ご苦労されたのだと思いますし、
今もとても頑張って家族を支えていらっしゃると思います。


順風満帆で
どこにも悩みなど見当たらないように
思うのに、どこか不安気。

それは子供の頃の暮らしに起因するのかもしれませんね。


子供たちが卒業ということで、
数人集まり食事をしましたが、
提案した人は彼女には声をかけませんでした。
かけても、いらっしゃらないと思いますが・・・

そんな中、私が出来ることは何だろうと考えてみると、やはりギフトをシェアすることかなと。


それは広く言えば、
自分が得意なことを活かして世の中に貢献するってことですが、
身近な人との関わりでいえば、
例えばいただいたものはおすそ分けする、とか。お福分けかな?
そんなこと。

けっこう、色々といただきます。
お菓子をいただいた場合、

そこを更に分けて

そんなことをしてみようかなと。


それでも
私は私で
逆にやりすぎなのかな?と思うこともありました。

それもまた、育ちに起因しています。


仏壇へのお供え物や季節毎のお中元、
お歳暮の手配は父がしていました。

母も私の仕事を手伝いに来てくれていた頃は、
毎日のように子供たち何かしらお土産を持って来てくれていました。


手持ちが少ない時でさえ、
私はどこかのお宅へ招かれた時に
手ぶらで行くことは出来ません。
それが一般的なマナーなのかもしれませんが、


それもまた強迫観念的かな?と
迷ったこともありました。
でも信じることで経済的な悩みも
今は解消しました。


私のやり方は型破りかもしれないけれど。


加藤諦三さんによれば、

他人に与え過ぎてしまう人というのは、
たいてい自分が相手にとって不満足な存在ではないかと言う不安を持っているからである。
小さい頃、親が自分に充分に満足していないということを感じ取ってしまった者は、大人になっても相手に過剰に与えすぎてしまう傾向がある。

ということらしいです。


結局、招かれた場合でも
もてなしたいという気持ちが強いのかなと思います。
そこに自分の居場所を見ているのかもしれませんね。


22のサイン的ママが、
周りの人に不信感をもたれても
守りたいもの。

言い方を変えれば
そこに飢餓感があるということでしようね。


広い意味でいえば、
私も含め誰でも
ズルいというか、そんなことしてるのではないかと思います。


実際にそのママを諭した方がいいか思案していた別の人も、ショッピングモールの駐車場代を安くする方法を運転してくれた人に提示していたし、
裏ワザというか。


ただ、それが露呈しやすいかどうかの違いで。


何かを繕おうとしても、
どうしてそうなったのかという理由をを理解しなければ、何度も同じことを繰り返してしまうでしょうし、
例えつらかった過去に感謝することは難しくても、今の自分を肯定するならば
自分の中にある愛が自分自身を救ってくれるのだと思います。


結局、失うことを恐れて与えずにいたら、
恐れはいつまでも去ってはくれないんですよね。


そんなことを考えていました。



改めて
日暈の意味を考えてみると、

大きな気持ちで
目の前の人を包み込むよう

それは
私の気持ちが晴れだろうが
曇りだろうが雨だろうが

関係なくそうあるように

でも、我慢や忍耐だけで
それをしちゃうと
その反動がくるから

それが日常となるように
まずは自分自身が愛されないとですよね。
自分自身を愛することは重要


気分が落ち込んだ時
人それぞれとだとは思いますが、
カーテンを開けて太陽の光を部屋に入れることも苦痛だったりするみたいですね。

なんかですね
来るイメージが
日の周りのハロからそのままオーロラのようなカーテンが降りて
舞台の上での早着替えセットのような
そんなイメージが来ましたけど。


あ、人生の着替えの時間だと思って、
という意味かな。


前の日記に書いた
巣立ちの家にも繋がるように思いますね。


光の輪のカ-テンの中

やわらかな日差しの中で
受けて当たり前の愛を受け取る

雨や風から守られて
ただ、やわらかな日差しを感じる場所

パワーを充電できる場所

になれるように頑張れという
励ましのように感じました。

提供することでまた、
私自身も癒されて行くのだと思います。


それと傘型のプールのようなイメージも。
しばらく外の音からゆるく遮断されて
過ごせる場所






それは祈りであったり
天使やガイドとの会話であったり
くつろがせてくれる人との関わりであったり

私自身も癒され活力を得る場所
でエネルギーをチャージして、
それを分けるってことかな。



5月31日 木曜日に娘が

「明日はずっと晴れだよ」
と言いました。

その言葉どおり

金曜日は晴れていました。


6月1日

エンジェル・ナンバー実践編61
家、仕事、体、持ち物のような物質的なものについて、おおいに楽観的でいて下さい。
思考が、あなたの生活に影響与えているからです。自分が望むことだけを考え、恐れていることは考えないようにしましょう。



スピリチュアル・ナンバー61
感受性が鋭くなり、新しい自分が発見できるかもしれません。熱いハートを呼び起こしましょう。


誰もが自分には価値がないなんて思わず、
帰る場所を得ることができるように
また、癒しの家を提供しようと頑張る方々にたくさんの支援があるように祈ります。
































































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