エニアグラムについて考えるブログ

ここはひとつエニアグラムについて考えようということで、Facebookとの同期を前提に作成したブログ。

分裂の方向と、統合の方向

2014年03月16日 23時27分22秒 | エニアグラム概論
久々の更新です。分裂と統合について整理します。
 
まず、「性格」を「ストレスがかかったときに自動反応するもの」と定義します。このとき「9つのタイプ」とは「生まれつき持った自動反応の傾向を、9つのパターンに分類したもの」となります。ある人が、「自分はタイプ1だ」ということは、「自分にストレスがかかると、他のどのパターンよりも顕著にタイプ1的な自動反応を起こしがちである」ということであるわけです。
 
人間は四六時中、ありとあらゆるストレスにさらされ続けています。ストレスとは「嫌なことがあってストレスがたまっている」というような意味ではありません。あらゆる種類の欲求は、満たされるまでの間、私たちにストレスをもたらします。空腹や、トイレに行きたいというような生理的欲求はもちろん、新しいプロジェクトに臨んで「いい仕事をしたい」とか、素晴らしい人に出会って「私もああなりたい」というようないわゆる「いい刺激」もストレスです。
 
性格とはパターンです。ある一つの指針に沿って、ある一つの方向を盲目的に目指す、行動のパターンです。9つのどの性格をとっても、そのひとつのパターンであらゆるストレスに完璧に対応できるというような性格は存在しません。物事により良く対応するには、その場その場で、状況と欲求をよくよく見比べ、自分が何をするのかをその都度考えていくほかありません。さて、とはいえ、私たちは私たちのタイプの性格しか持っていません。ですから、性格に頼る限り、タイプ9は常に問題を先送りにし、タイプ3は常にジブン磨きに勤しみ、タイプ6は常に不安におびえて暮さねばなりません。すると、各タイプのところに、特定の問題が溜まっていきます。これを自動的に解決するのが、分裂の方向です。
 
分裂の方向とは、ストレスがかかって性格が発動してもその問題がうまく解決しない時(大抵そうです)、それでもまだ性格に頼って解決しようとしたときに、自動的に発動する第2のタイプです。
 
たとえば、問題を先送りにして暮らしていた9のもとには、様々な問題が山積みになり、その問題が新たなストレスを発生させます。すると9は急に不安を感じるようになり、勤勉で働き者な面が現れます。先を予測してリスクを拾い出し、先手を打とうとします。一時的にタイプ6になることによって、タイプ9が起こした問題を解決しようとするのです。
 
たとえば、バリバリのタイプ3は毎日毎日効率第一で生産的に暮らしますが、それが続くとある時、心身ともに疲弊します。そうすると急に、「今日は休みだから結局一日パジャマのままでした~ コタツでテレビみてました~」みたいな日が訪れます。タイプ9になることによって、深くリラックスし、心身の疲れを癒そうというわけです。
 
たとえば、タイプ6はあれもこれもと不安を感じ、あれこれ丁寧な予防策を取りますが、そんなことばっかりしていると話が先に進みません。物事が行き詰ってくると、急になんだか目立ちたいような欲求、やればできるという自信みたいなものがわいてきて、「私がやるわ!」と、颯爽と前に出て全体をリードするような役割を買って出るようになります。タイプ3になることによって、打開策を見出したり、自分自身のありかたに目を向けたりするわけです。
 
雑な具体例ですが、大体こんな感じです。
 
では、分裂の方向があれば万事解決するのか、というと、残念ながらそうではありません。分裂の方向も所詮は性格です。性格である以上、やはり万能ではありません。では、問題を解決するにはどうしたらいいの? というと、性格を離れて問題と向き合うほかありません。
 
あれ? 分裂の方向の逆、統合の方向で問題を解決すれば、うまくいくんじゃないの? と思われるかもしれませんが、残念ながらそうではありません。統合の方向も「性格」ですから、万能でもなければ、とりたてて肯定的でもありません。
 
だとすれば、統合の方向とは何か。人はいつもストレスにさらされていますが、そんな中、ストレスの比較的低いタイミングで、気の抜けた状態になったときにポロっと現れるのが「統合の方向」です。分裂の方向と違って、それによって何かを解決することを意図したシステムではありませんが、分裂の方向が稼働中のガス抜きだとすれば、統合の方向は「停止中のメンテナンス動作」の一種、なんか洗濯とか、オイル交換みたいなもんだと考えてください。
 
ただ、統合の方向というのは、とにかくストレスフリーな時に現れるものですので、本人は思いっきり気を抜いていますから、自分がそんなタイプになっているなんてことはほとんど認識できません。自分にはそういう部分はない、とさえ思っています。ですが、気を抜いているところを目撃できる、親しい友人や家族は、意外と「そうであるあなた」をよく知っています。気を抜いたときにポロっと出てくるので、とりたてて長所が出やすいとか短所が出やすいとかいうものではありません。ふいにどちらも出ます。
 
統合の方向が助けになるという理由は二つです。ひとつは、何でもないときにポロっと出るぐらいだから、我々はそもそもその機能を有していて、比較的簡単にその力を引き出すことができる、ということです。もうひとつは、自分で「私はそういう人間ではない」と思っているような部分に光を当て、「でも、実際にはそうである自分」に出会い、それを受け入れることは成長そのものである、ということです。性格とは、「自分はこんな性格である」という偏った思い込みに他なりません。統合の方向を受け入れるということは、「性格は自分ではない」、「自己イメージと自分はイコールではない」と言うことに出会う、ということでもあるわけです。

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