「かぶら寿し」 *発酵食品
(郷土史研究家:岡部佐武郎 氏による)
金沢の冬の味覚「かぶら寿し」も馴れ寿しの一種とされていますが、こちらは馴れを促進するために米麹が入るために早く味がでます。
その起源は、藩政後期の「宮の腰(現在の金石)の漁師が正月の儀式(起舟)ご馳走として輪切りにした蕪(かぶら)に鰤(ぶり)の切り身を挟み込み麹で漬け込んだものを出した」とも「前田の殿様が深谷温泉へ湯治にこれられた時に出された料理の一つ」などと、いわれているが定かではありません。
記録としては、「金沢市史」(風俗編)に宝暦7年(1757)の頃の年賀の客を餐応する料理として「なまこ、このわた、かぶら鮓(すし)」とあり、加賀藩の儒学者 金子有斐(ありあき)の書「鶴村日記」に文政9年(1826)1月3日に「・・・魚屋小兵衛方より鰤のすし(※かぶら寿し)来る風味よし」、1月5日「・・・鶴来町屋よりにしんのすし(※大根寿し)来る」と記述。当時は、魚屋が漬け込み正月の珍味としてお得意様へ贈っていたおり、かぶら寿しは高い身分の人たちが食し、大根寿しは一般の人たちが食したと考えられます。
明治維新後も魚屋が正月用としてお得意様へ贈っていたが、大正末期以後から昭和30年頃までは一般の家庭でも漬けるようになった。昭和30年頃からは、家庭での漬け込みもへり、現在では、漬け物専門店の正月料理の主食品として「金沢の冬の味覚」を伝えています。
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