今回私、光本が取材したのは17歳のジャスミンさん。いまどきの女の子らしい可愛い服装で待ち合わせの駅に来てくれました。初対面の私にも明るく笑顔で接してくれるとても素直な女の子です。辛い環境に育ったことなど微塵も感じさせません。
【生い立ち】
ジャスミンさんは平成4年の夏に産まれました。それから間もない3歳の時、両親が一度目の離婚を決断します。幼少期で記憶さえありませんが、この時ジャスミンさんはお母さんに引き取られました。
その後お母さんは再婚しますが、ジャスミンさんが12歳のときには2度目の離婚。ここでは育てのお父さんに付きました。
・・・・つまり、本当の(産みの)両親は2人とも、ジャスミンさんの元を離れたのです。
今は育ての父も再婚し、今のお母さんとお父さんがそれぞれの子どもを連れたステップファミリー。ジャスミンさんは家族から離れ、一人暮らしをしています。
【耳にした離婚の理由】
・一度目の離婚
「覚えてないけどー・・・・3歳の時に、って後からママに聞いたの」
・二度目の離婚
「ママは“お互い離れた方が良いから”って言ってた。パパはママの鬱についていけなくなったし、ママはお金とかにもルーズだったからそれにもついていけないって。他にも何か言ってたけど・・・・思い出せない」
『それを聞いた時はどう思った?』
「そうなんだー・・・って。ただそれだけ。親に深く関わったら疲れるから、特に意見は言わなかった。」
【離婚後の親子の関係】
「半年くらい前までは本当のパパとも会ってたんだけど、今は連絡がとれない。養育費の振り込みはあるんだけど・・・ママとは今もたまに会う。ママはパパの悪口を言うことが多いの。私はそれが嫌だから“パパも良い人だよ”とか“パパだってママのこと助けてくれたでしょ”とか言うと怒る。“私はひどいことされてきたんだから”って。詳しくは教えてくれないし、話してくれれば聞くけど知らなくても別に問題はないし。ママはよく嘘をつくから信憑性がない。パパがひどいことするとは思えないし、何がホントなのかわかんない。」
『養育費がお父さんからもらえることは嬉しい?』
「嬉しくはない。○○(今のお母さんの名前)が言って、強制的にもらってる感じだから。自分の意思で送ってきてるんだったら別だけど特に喜べない。ありがたいとは思ってもだからどうというわけでもない。今更もらっても・・・と思うし。」
私は両親が離婚したとき、養育費というものがあることすら知りませんでした。しかし、たとえ養育費をもらっていたとしても、ジャスミンさんのような状況では、素直に喜べないだろうと思います。養育費は「愛されている証」として受け取るものだから。子どもとしては強制して払われることに、あまり価値を見いだせないかもしれません。
【辛かったこと】
「私妹がいるんですけどー。2度目の離婚の後、パパが仕事だったりしたから、妹の保育園のお迎えとか全部私が行ってて、私にばっかり負担がかかった。中学校では部活もやってたから。」
ジャスミンさんは中学校時代、陸上部に入っていました。
『やっぱり部活は3年間やりたかった?』
「はい。私には一度も何かをやり遂げたっていう経験がないから・・・・でも学校もよく変わってたし。引っ越しが多い家庭だったんです。保育園も6~7回変わった。小学校は・・・・思い出せない。」
『周りの環境で諦めざるを得なかったことが多い?』
「そうですね・・。自分の意思で辞めたのは高校だけです。」
【高校中退の決断】
「私には夢があって・・・高校卒業したら専門学校に行くつもりだった。学校の先生にパンフレットも取り寄せてもらってたくらい。」
『夢って??』
「こどもの面倒をみる資格を取って・・・児童指導員になりたかったんです。だから高校もできれば辞めたくなかった。」
「でも、パパに反抗したときに“金出してやってんだよ”って強く言われて、何も言えないのが嫌だった。それが辛くて高校は辞めました。パパは怖いから。けど今もその夢は変わらない。児童指導員の勉強は毎日してるし、国語・英語・数学の勉強も自分でしてる。」
ジャスミンさんのきらきらした目からは夢に向かう希望が見えて、私は少しほっとしました。
【トラウマ】
「親にはよく手を出された。暴力をふるわれたことだけは鮮明に覚えてる。だから親は怖い。これはトラウマ。」
「でも・・・」
「私は親が暴力をふるったのには色々あったんだろうなって思う。私に何かいけないところがあったのかもしれないし、精神的に親も大変だったのかもしれないって。だからこそ嫌いになりたくないのに、そのときの光景が忘れられずにふとした瞬間に出てくるのが辛い。」
ジャスミンさんは親の行動を冷静に分析し、一生懸命に理解しようとしていました。自分ではそう思う反面、その時のことを思い出すと体が否定の信号を出すことに、親を愛するが故の葛藤と戦っているのです。
【周りの態度】
「本当につらい時には学校の先生とかほんとに信頼してる友達とかに相談してた。でも決まって帰ってくるのは、“運がわるかったのよ”とか“親が悪い”とか。そんな言葉を求めてるんじゃなくて、ちゃんとした意見を聞きたいのに。それに、自分が親のことを言うのは別にいいんだけど、他人に親の悪口を言われたくない。だって私の親だもん。」
離婚家庭に育った子どもたちに取材をしていて、大体共通して耳にするのは≪親を擁護する言葉≫。子どもなりに状況を見て、親を認めて前に進もうとしているのがわかります。
【離婚家庭に育って―近い将来の話―】
「自分の意思をしっかり持てるようになったのは良かった。親みたいな親にはなりたくないとも思えたし。そういう部分では親が離婚して良かった。」
『結婚にはやっぱり慎重になる?』
「ううん。ママより早く結婚して、子どもを産みたい。」
『え!?どうして??』
「おじいちゃんに、ひ孫を見せたい。」
おじいちゃんは、今のお父さんのお父さんであると言います。
「おじいちゃんは血のつながりが全くないのに自分の孫より可愛がってくれたから。でも、今はおじいちゃんの体調が悪いの。生きている間に、必ずひ孫を見せたい。親族の誰よりも先に。」
『じゃあまず、結婚だね!結婚式に呼びたいのは誰?』
「理想は産みのママと今のパパ。でも、ママはパパが来るならいかないっていってるし、パパもママが来るならいかないっていってるから無理だと思う。それも大人げないですよね。そしたらパパだけ呼びます。ママはまだまだ甘いって思うし・・・それにパパも血のつながりはないけど、ここまで面倒みてくれたから。」
【大人達へ言いたいこと】
ジャスミンさんは取材の中で「思い出せない」という言葉を何度も使いました。生まれた土地も、通った小学校もはっきり覚えていません。
過去にあった辛い経験は精神的なダメージを与え、記憶にも障害を及ぼすことがあるのです。
そんなジャスミンさんは大人びた表情で言ってくれました。
「もう少し素直になった方がいいと思う。大人だから色々考えるコトあるとは思うけど、もう少し自分たちの考えとか気持ちを冷静に伝えてほしい。」
素直でまっすぐなジャスミンさんから大人達への精一杯の優しさが、この言葉にも隠れています。きちんと大人たちが話をすれば、子どもたちには必ず伝わります。
ジャスミンさんの想いが、どうかたくさんの大人たちに届きますように。
【生い立ち】
ジャスミンさんは平成4年の夏に産まれました。それから間もない3歳の時、両親が一度目の離婚を決断します。幼少期で記憶さえありませんが、この時ジャスミンさんはお母さんに引き取られました。
その後お母さんは再婚しますが、ジャスミンさんが12歳のときには2度目の離婚。ここでは育てのお父さんに付きました。
・・・・つまり、本当の(産みの)両親は2人とも、ジャスミンさんの元を離れたのです。
今は育ての父も再婚し、今のお母さんとお父さんがそれぞれの子どもを連れたステップファミリー。ジャスミンさんは家族から離れ、一人暮らしをしています。
【耳にした離婚の理由】
・一度目の離婚
「覚えてないけどー・・・・3歳の時に、って後からママに聞いたの」
・二度目の離婚
「ママは“お互い離れた方が良いから”って言ってた。パパはママの鬱についていけなくなったし、ママはお金とかにもルーズだったからそれにもついていけないって。他にも何か言ってたけど・・・・思い出せない」
『それを聞いた時はどう思った?』
「そうなんだー・・・って。ただそれだけ。親に深く関わったら疲れるから、特に意見は言わなかった。」
【離婚後の親子の関係】
「半年くらい前までは本当のパパとも会ってたんだけど、今は連絡がとれない。養育費の振り込みはあるんだけど・・・ママとは今もたまに会う。ママはパパの悪口を言うことが多いの。私はそれが嫌だから“パパも良い人だよ”とか“パパだってママのこと助けてくれたでしょ”とか言うと怒る。“私はひどいことされてきたんだから”って。詳しくは教えてくれないし、話してくれれば聞くけど知らなくても別に問題はないし。ママはよく嘘をつくから信憑性がない。パパがひどいことするとは思えないし、何がホントなのかわかんない。」
『養育費がお父さんからもらえることは嬉しい?』
「嬉しくはない。○○(今のお母さんの名前)が言って、強制的にもらってる感じだから。自分の意思で送ってきてるんだったら別だけど特に喜べない。ありがたいとは思ってもだからどうというわけでもない。今更もらっても・・・と思うし。」
私は両親が離婚したとき、養育費というものがあることすら知りませんでした。しかし、たとえ養育費をもらっていたとしても、ジャスミンさんのような状況では、素直に喜べないだろうと思います。養育費は「愛されている証」として受け取るものだから。子どもとしては強制して払われることに、あまり価値を見いだせないかもしれません。
【辛かったこと】
「私妹がいるんですけどー。2度目の離婚の後、パパが仕事だったりしたから、妹の保育園のお迎えとか全部私が行ってて、私にばっかり負担がかかった。中学校では部活もやってたから。」
ジャスミンさんは中学校時代、陸上部に入っていました。
『やっぱり部活は3年間やりたかった?』
「はい。私には一度も何かをやり遂げたっていう経験がないから・・・・でも学校もよく変わってたし。引っ越しが多い家庭だったんです。保育園も6~7回変わった。小学校は・・・・思い出せない。」
『周りの環境で諦めざるを得なかったことが多い?』
「そうですね・・。自分の意思で辞めたのは高校だけです。」
【高校中退の決断】
「私には夢があって・・・高校卒業したら専門学校に行くつもりだった。学校の先生にパンフレットも取り寄せてもらってたくらい。」
『夢って??』
「こどもの面倒をみる資格を取って・・・児童指導員になりたかったんです。だから高校もできれば辞めたくなかった。」
「でも、パパに反抗したときに“金出してやってんだよ”って強く言われて、何も言えないのが嫌だった。それが辛くて高校は辞めました。パパは怖いから。けど今もその夢は変わらない。児童指導員の勉強は毎日してるし、国語・英語・数学の勉強も自分でしてる。」
ジャスミンさんのきらきらした目からは夢に向かう希望が見えて、私は少しほっとしました。
【トラウマ】
「親にはよく手を出された。暴力をふるわれたことだけは鮮明に覚えてる。だから親は怖い。これはトラウマ。」
「でも・・・」
「私は親が暴力をふるったのには色々あったんだろうなって思う。私に何かいけないところがあったのかもしれないし、精神的に親も大変だったのかもしれないって。だからこそ嫌いになりたくないのに、そのときの光景が忘れられずにふとした瞬間に出てくるのが辛い。」
ジャスミンさんは親の行動を冷静に分析し、一生懸命に理解しようとしていました。自分ではそう思う反面、その時のことを思い出すと体が否定の信号を出すことに、親を愛するが故の葛藤と戦っているのです。
【周りの態度】
「本当につらい時には学校の先生とかほんとに信頼してる友達とかに相談してた。でも決まって帰ってくるのは、“運がわるかったのよ”とか“親が悪い”とか。そんな言葉を求めてるんじゃなくて、ちゃんとした意見を聞きたいのに。それに、自分が親のことを言うのは別にいいんだけど、他人に親の悪口を言われたくない。だって私の親だもん。」
離婚家庭に育った子どもたちに取材をしていて、大体共通して耳にするのは≪親を擁護する言葉≫。子どもなりに状況を見て、親を認めて前に進もうとしているのがわかります。
【離婚家庭に育って―近い将来の話―】
「自分の意思をしっかり持てるようになったのは良かった。親みたいな親にはなりたくないとも思えたし。そういう部分では親が離婚して良かった。」
『結婚にはやっぱり慎重になる?』
「ううん。ママより早く結婚して、子どもを産みたい。」
『え!?どうして??』
「おじいちゃんに、ひ孫を見せたい。」
おじいちゃんは、今のお父さんのお父さんであると言います。
「おじいちゃんは血のつながりが全くないのに自分の孫より可愛がってくれたから。でも、今はおじいちゃんの体調が悪いの。生きている間に、必ずひ孫を見せたい。親族の誰よりも先に。」
『じゃあまず、結婚だね!結婚式に呼びたいのは誰?』
「理想は産みのママと今のパパ。でも、ママはパパが来るならいかないっていってるし、パパもママが来るならいかないっていってるから無理だと思う。それも大人げないですよね。そしたらパパだけ呼びます。ママはまだまだ甘いって思うし・・・それにパパも血のつながりはないけど、ここまで面倒みてくれたから。」
【大人達へ言いたいこと】
ジャスミンさんは取材の中で「思い出せない」という言葉を何度も使いました。生まれた土地も、通った小学校もはっきり覚えていません。
過去にあった辛い経験は精神的なダメージを与え、記憶にも障害を及ぼすことがあるのです。
そんなジャスミンさんは大人びた表情で言ってくれました。
「もう少し素直になった方がいいと思う。大人だから色々考えるコトあるとは思うけど、もう少し自分たちの考えとか気持ちを冷静に伝えてほしい。」
素直でまっすぐなジャスミンさんから大人達への精一杯の優しさが、この言葉にも隠れています。きちんと大人たちが話をすれば、子どもたちには必ず伝わります。
ジャスミンさんの想いが、どうかたくさんの大人たちに届きますように。