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②悪魔との契約

2021-02-07 00:27:36 | 聖書メッセージ

笑ゥせぇるすまん』という、ブラックユーモアのアニメがありましたよね。

謎の多い主人公が不思議なグッズを紹介し、それに翻弄される一般人たちの様子を描いたストーリーです。

>>喪黒福造(もぐろ ふくぞう)が主人公で、その名の通り黒スーツと黒帽子を被った黒ずくめ男。常に垂れ目で笑みを浮かべ「ホーッホッホッホ」「オーッホッホッホッホッ」と笑うのが特徴。肩書きはセールスマンだが、取扱う品物は「人間のココロ」。お客様は老若男女。心の寂しい人や、夢を叶えたい「お客様」の「ココロのスキマ(心の隙間)をボランティアで埋める」というもの。BAR「魔の巣」の常連で、そこに「お客様」となった人物を連れ込んでセールスを持ちかけることもあれば、神出鬼没もする。標的は不特定多数で、身近にいる人間が「心の隙間を持っている」と確信し定めると、その人間に話掛けたり、工作してでも会話が始まるように仕向ける。あらゆる細やかな願いごとを叶えるサービス内容や商品を「無償で」提供し(内容によって金銭を請求することもある)、同時に「注意事項・約束・忠告」を厳守させ、欲求不満を解消する。「ココロのスキマ」を埋めるサービスを提供し、それに伴う「約束事」を厳守するように促す。報酬は「お客様の満足」というものではあるが、同時に「満足したら、それ以上のサービスを要求してはいけない(一度きりだったり、週一回、月一回、時間などの制限を設けている)」という条件も兼ねており、ほとんどの「お客様」はサービスに嵌まって自制できず約束を破ったり、欲張ってサービス追加を要求することで「契約違反」と見なして破滅に導く。「契約違反」のペナルティとして人差し指で「お客様」に向かって指を差し「ドーン!!!!」と叫び、破滅に追いやるのであった。

笑ゥせぇるすまん【デジタルリマスター版】予告編

当時(89~93年)制作のデジタルリマスター版。 DVDBOX特典映像としても収録。

youtube#video

 

 

まさに、悪魔の誘惑はこんな感じです。個人個人の弱みや願望をカモにして誘惑します。

 

最初は、華やかに、願い通りに何でも思い通りに順調に事が進みます。

しかし、次第に魂も肉体も蝕まれていきます。

でも、悪魔と契約を結ぶ事により、地獄に送られます。

地獄へ送るのは、悪魔ではなく、神です。

多くの人が大きな誤解をしていますが、地獄の支配人・管理人は悪魔ではありません。

神が悪魔・悪霊・罪を犯す人間のために備えた場所です。神の使いが、地獄の支配人・管理人を担当しています。

神を求めず生きた者、目の欲・暮らしの欲など人間社会の価値基準を優先して生きた者も送られる場所です。

だから、悪魔より神を恐れるべきなのです。

神は、宇宙一の大裁判官・大判事(the Great Judge)です。全ての被造物に判決を言い渡すお方です。

 

死後、霊は肉体を離れ永遠の地獄に向かいます。

地獄に行く末路なら、流産するなりこの世に生を受けなかったほうが何億兆倍もマシと言えます!

なぜなら、地獄は神から完全に見放された場所で、誰も助けに来ません。終わりのない責め苦、永遠に続く拷問の場所です。

聖書の中で “地獄”という言葉は54回出てきます。そのうち、12回は “と硫黄の燃える場所”と書かれています。

地獄では、うじがつきず、火も消えることがない。マルコ‬ ‭9:48‬

それから、左にいる人々にも言うであろう『呪われた者どもよ、わたしを離れて、悪魔とその使いたちとのために用意されている永遠の火に入ってしまえ。」  ‭‭マタイ ‭25:41‬

それから、死も黄泉も火の池に投げ込まれた。この火の池が第二の死である。ヨハネの黙示録‬ ‭20:14

彼らを惑わした悪魔は、火と硫黄との池に投げ込まれた。そこには、獣も偽預言者もいて、彼らは世々限りなく日夜、苦しめられるのである。黙示録20:10

彼らの苦しみの煙は、永遠にまでも立ち上る。獣とその像とを拝む者、まただれでも獣の名の刻印を受ける者は、昼も夜も休みを得ない。黙示録14:11

海はその中にいる死人を出し、死も黄泉もその中にいる死人を出し、そして、おのおのそのしわざに応じて、さばきを受けた。それから、死も黄泉も火の池に投げ込まれた。この火の池が第二の死である。このいのちの書に名がしるされていない者はみな、火の池に投げ込まれた。ヨハネの黙示録20:13~15

肉体の死後、私たちの 想像を絶する恐ろしい地獄、想像を絶する素晴らしい天国、という全く正反対の場所が用意されてます。

この世で生きている間が、次の永遠の場所 (地獄 OR 天国)へ行くためのテスト期間です。

神様を求めること、そして、人生を神様に歓ばれるように生きることが、天国へ近づきます。

しかし、神を信じていても、皆が入れるとは限りません。

神様は一人一人の心の中を透視され、偽物なのか本物なのか見分けられます。

天国に入れるかどうかは、神さまが決める事です。

私自身、自分が天国に入れないかも知れないことを、時々、想像します(-_-;)💦 

ブービー賞でもドンびりでも良いので、是非是非、入りたいですね… (;^ω^) P-L-E-A-S-E !!!

天国とは・・・

その都の輝きは、高価な宝石のようであり、透明な碧玉のようであった。ヨハネの黙示録21:11

彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。黙示録21:4

城壁は碧玉で築かれ、都はすきとおったガラスのような純金で造られていた。都の城壁の土台は、さまざまな宝石で飾られていた。第一の土台は碧玉、第二はサファイヤ、第三はめのう、第四は緑玉、第五は縞めのう、第六は赤めのう、第七はかんらん石、第八は緑柱石、第九は黄玉石、第十はひすい、第十一は青玉、第十二は紫水晶であった。十二の門は十二の真珠であり、門はそれぞれ一つの真珠で造られ、都の大通りは、すきとおったガラスのような純金であった。わたしは、この都の中には聖所を見なかった。全能者にして主なる神と小羊とが、その聖所なのである。 都は、日や月がそれを照す必要がない。神の栄光が都を明るくし、小羊が都のあかりだからである。諸国民は都の光の中を歩き、地の王たちは、自分たちの光栄をそこに携えて来る。都の門は、終日、閉ざされることはない。そこには夜がないからである。人々は、諸国民の光栄とほまれとをそこに携えて来る。ヨハネ黙示録21:18-26

 

御使はまた、水晶のように輝いているいのちの水の川をわたしに見せてくれた。この川は、神と小羊との御座から出て、 都の大通りの中央を流れている。川の両側にはいのちの木があって、十二種の実を結び、その実は毎月みのり、その木の葉は諸国民をいやす。 のろわるべきものは、もはや何ひとつない。神と小羊との御座は都の中にあり、その僕たちは彼を礼拝し、御顔を仰ぎ見るのである。彼らの額には、御名がしるされている。夜は、もはやない。あかりも太陽の光も、いらない。主なる神が彼らを照し、そして、彼らは世々限りなく支配する。ヨハネ黙示録22:1-5

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悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。

私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。
ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。
では、しっかりと立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、足には平和の福音の備えをはきなさい。
これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。
救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。
すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。エペソ 6:11-18

これは、私たちがサタンに欺かれないためです。私たちはサタンの策略を知らないわけではありません。2コリント 2:11

 
あなたがたは、神の力強い御手の下に自らを低くしなさい。時が来れば神はあなたがたを高くして下さるであろう。
 神はあなたがたをかえりみていて下さるのであるから、自分の思いわずらいを、いっさい神にゆだねるがよい。
 身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食いつくすべきものを求めて歩き回っている。
この悪魔にむかい、信仰にかたく立って、抵抗しなさい。あなたがたのよく知っているとおり、全世界にいるあなたがたの兄弟たちも、同じような苦しみの数々に会っているのである。
あなたがたをキリストにある永遠の栄光に招き入れて下さったあふるる恵みの神は、しばらくの苦しみの後、あなたがたをいやし、強め、力づけ、不動のものとして下さるであろう。
どうか、力が世々限りなく、神にあるように、アァメン。‭Ⅰ ‭ペテロ‬ ‭5:6-11‬‬ 
 


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