こういうコメがあったので、コピペ紹介させていただきます。
>>「そこに住んでるんだし情報くらい只で提供してよ」というのは間違いなくあるでしょう。 「情報」というものにどれだけの価値があるか全く分かっていない、多くの日本人はその傾向があるようです。 例を挙げましょう。 よく聞くのが、「~を教えてください」「その情報はどこにありますか」「証拠を示してください」等々。 先ずは自分で調べろよ、ということです。 それでも見つからなければ、対価を払うか、最低限でも「お願いできれば幸いです(勿論提供するかどうかはこちら側の胸三寸ですけど(笑))」位の姿勢は持て、ということです。それだけの情報を得るのにどれだけの時間と労力を掛けたのか一片でも考えたことがあるのか、と言いたくなります。 情報得るには一昔前は専門家がいたのです(今でも重要な情報はそうでしょうが)。 極端な話し、espionageはまさにそれが「命」でしょう。もちろん汚い手も使うでしょうが、そうでもしなければ情報など集められないほど貴重だということです。 今でこそ玉石混淆とは言え、ネットで検索することが出来るようになりました。 その最低限の努力もせず、「教えて」「情報頂戴」では、「お前はガキか」と思われるでしょう。特に日本以外では尚更です。 この事ばかりではなく、最近の日本人は考え方が甘い。 最近何に付け負けが込んできているのも首肯できますね。
そして、こんなコメもありました。
>>日本のテレビのコメンテーターは、茶の間にいる視聴者の代弁者として コメントしているのです。決して専門の知識を話す為ではありません そして、そのコメントを聞いて私もそう思うと共感すると視聴率は上がるのです 意見と違っていれば、自分が間違っていると修正して世間で話すと スムーズな話ができ、他人と共感できると言ういびつな言論空間になっているのが 日本の現状です
私もよくコメで、「証拠を示してください」「ソースを示して下さい」と、調べたら簡単にわかる事なのに、頻繁に質問されました。
SASでワンフレーズ感覚に慣れた人たちは、調べたり文章を読むことを避けるんですかね?
他にも、動画を発信してる人に向かって、
「次回は○○について語って下さい!」「これからも勇気ある言動をお願いします!」
などと、受け身な人が多いことを感じます。 誰かが自分の替わりに言ってくれるのを待つ人ばかり。
何らかの情報を提供するとか、自分も出来る限りの形で発信するとかはなく、完全観客状態。
また、空気を読んでから行動する人が多々ですが、これも他人に良い影響は与えな~い😓。
いつも私が影響を行ける人は、言葉遣いとか格好に注意を払ってる人ではなく、本気な人です。
一番、本気だったのは、イエスキリストです。
イエス様はいつも神様の話だけをしていたのではなく、社会問題に積極的でした。超多忙なアクティビストでした。
毎日、飢えた人を食べさせ、病んだ人を癒し、悩める者の家を訪ねました。民の気持ちや問題を個人目線で理解されてました。
自分がクリスチャンなので言わせてもらいますが、特に、日本のクリスチャンに幻滅します。
確かに神様のことも大事です。もちろん、仕事や家庭、教会活動に忙しい人もいるのは理解出来ます。
でも、社会問題や政治問題に無関心で、それらが神様の道とは無関係に思うなら、それは大きな勘違いです。
無関心だからこそ、社会からの共感もなく、宗教世界に閉じこもっている印象を持たれるのです。
社会問題が生まれるのは、誰かが差別を受けたり虐げられている、誰かが特別に扱われているという不公平・偏りの故です。
神様を愛すると言いながら、政治・社会問題をスルーするのは矛盾を感じませんか?
HISTORYの 語源はHis Storyです。神様が歴史や政治や社会と無関係ではないということです。
『我らは神の中に生き、動き、存在する』使徒17:28