スピリチュアルの考え発信ブログ

主に「奇跡のコース」からの学びや
僕の思っている事や日常を記事にします。

何故ジャッジしてはいけないのか?

2022-07-12 14:51:00 | 日記
あの人はまとも
自分はまとも
あの人は悪い
あの人は異常

何も意識しなければ、僕等は
そんな判断してしまいます。

しかし多くのスピリチュアルでは
「ジャッジするな」と言います。

何故ジャッジしてはいけないのでしょうか?
勿論理由がある筈です。

本当の正しさがあるのならば
みんなそれに従い
それに外れたモノに対して
「間違えてますよ」と言えば
みんな納得です、本当に正しいんですから
それで良い筈です。

でも、この世界は
上手く回っていない気がしませんか?

立場や状況が変わっても
何も揺らが無い完璧な正しさなんて
あんまり無い気がしてしまいます。

それなのに
「自分は正しい」と
思い込んでいる人
若しくはそう言う事にしている人が
多い気がします。

少なくとも僕は完璧な正しさを
ずっと語れている人なんて
見た事がありません。

「自分の理論は完璧だから何も言われない」
なんて人が居ますが
正されないから正しいのではありませんよね?
そういう人は、相手するのが面倒臭いので
何も言われないだけなのです。

誰かを裁くと言う事は
自分も裁かれる存在だと認める事だと言う事です。

誰かを裁く目的で語る正論は
ただの過ちを、その人が罪にしてしまいます。

何故、そこまで正しさに拘るのでしょうか?
それで自分の価値の穴を
埋めた気になるのかも知れません。

しかし、「心に埋める穴がある」
という自覚は、「自分は欠乏した存在である」
という証拠を
自ら提示している様なモノです。

自分が裁かなければ
自分の周りには罪人は消えます。

自分が裁けば
その人は罪人になります
同時に、自分も裁かれる者である事を
認める事になります。

安全地帯からなら
石を投げても自分は罪にならないと
あなたが考えるのなら
別の安全地帯から
誰かが石を投げてくる事を許可しているのと同じだと言っているのです。

そんなの嫌ではありませんか?

満たされていれば攻撃する必要はありません
満たされていれば奪う必要もありません
満たされていれば悲しくありません。

あなたが欠乏者や被害者で居る事は
あなたの事が嫌いな人以外を幸せにはしません、更に言うと
あなたが嫌いな人の自我は悦びますが
あなたの嫌いな人の愛の部分は悦びません。

ジャッジをしてしまう人に
考えて欲しい事があります。

「◯◯さんが100%悪い」
本当に「100%悪い」なんて事
あるのでしょうか?

◯◯さんが悪い様に見えても
そういう教育を受けたからかも知れません
誰かに感情を乱したからかも知れません
友人に誘われたギャンブルで負けたからかも知れません
自我に騙されただけかも知れません。

100%悪いのでなければ
それは罪ではなく過ちでは無いでしょうか?

結局、あなたが誰かを悪と選択すれば
あなたも誰かにとって、悪と裁かれる者です。

全ての人が無罪と信じれば
あなたは誰からも裁かれる罪のある者だと
信じなくて良くなるのです。


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