青い目の人形は、昭和二年、日本女子大学校附属豊明小学校と同幼稚園に各一体、贈られた。
ユナリデーとフローレンスである。
当時の校長は麻生正蔵で、創立者成瀬仁蔵が大正八年、死に際して後継者として後事を託した人物である。
青い目の人形の日本側の窓口(日本国際児童親善会)の責任者は渋沢栄一である。渋沢は日本女子大学校の創立委員、評議員であったが、昭和六年四月、麻生校長の辞任にともない、第三代校長に就任する。
しかし渋沢は高齢(九十一歳)のため、同年十一月、在任七ヶ月で死去し、かわって井上秀が卒業生で初の校長として就任する。
ユナリデーとフローレンスである。
当時の校長は麻生正蔵で、創立者成瀬仁蔵が大正八年、死に際して後継者として後事を託した人物である。
青い目の人形の日本側の窓口(日本国際児童親善会)の責任者は渋沢栄一である。渋沢は日本女子大学校の創立委員、評議員であったが、昭和六年四月、麻生校長の辞任にともない、第三代校長に就任する。
しかし渋沢は高齢(九十一歳)のため、同年十一月、在任七ヶ月で死去し、かわって井上秀が卒業生で初の校長として就任する。