2020年6月23日付の「毎日新聞小学生版」に〈沖縄の命つなぎたい〉と題された記事が掲載されています。
報道写真家の石川文洋さんが灰谷健次郎さんの『太陽の子』(1978年理論社刊)について語っていらっしゃいます。
命失うこどもたち
石川さんは、60~70年代にアメリカがベトナムで戦ったベトナム戦争などを取材。各地の戦場で子どもや親たちが死んでいくのを見てきただけに、「太陽の子」を読んで、子どもたちが沖縄戦で命を失ったことに思いを重ねました。
「てだのふあ・おきなわ亭」の常連客の一人に、ろくさんがいます。ろくさんには左手がありません。日本の兵隊に手りゅう弾を渡され、自ら命を絶つ「集団自決」を試みて吹き飛ばされました。
別の常連客の青年ギッチョンチョンは、ふうちゃんに沖縄戦の歴史を語り聞かせながら、諭しました。
「ヤマトー(本土)の奴は、いつだって沖縄を見殺しにして、自分だけ甘い汁を吸いよる。むかしからずっとそうや。今だってそうや。これからもそうや」
戦争の本質知って
アメリカは戦後の72年まで沖縄の占領を続け、今も全国のアメリカ軍専用施設のおよそ7割が沖縄に集まっています。石川さんは2018年7月から19年6月に北海道から沖縄まで「あるき旅」をして、「基地のない平和な沖縄を」と訴えました。
「太陽の子」を読み返した石川さんは、こう思います。
「戦争では生き残ってこそ次世代へ命をつないでいける。灰谷さんには、命をつなぐことの大切さを伝えたい気持ちがありました。本土の人も沖縄の若い人も日本の戦争の本質を知り、今の問題を考えてほしい」
昨日、4月30日、ホーチミン市でベトナム戦争終結50年の式典が行われました。
その式典出席のため、文洋さんは4月25日、ベトナムへ旅立たれました。
50年経ったのですね。
ベトナム戦争の間、沖縄は米軍の主要な出撃基地であり、後方支援基地でもあったのです。
“かつての激戦地で出会った人々を、再訪することも考えている”と文洋さん。 (4月8日付信濃毎日新聞)
出発前の文洋さんにお電話させていただきました。
「帰られたらお話しを聞かせてくださいね」
「喜んでうかがいますよ」
そうおっしゃって『うの花忌』の約束をしてくださいました。
最後にひと言、うれしそうなお声で
「またうなぎが食べられるね」――と。
昨年に引き続き石川文洋さんをお迎えしての今年の『うの花忌』は
5月24日(土)PM2:00~4:00に決まりました。
(お問合せ、お申し込みは5月15日(木)から)
詳細は追ってお知らせします。
ベトナムの現状、そして今この世界で起きている戦争について語っていただきます。
2025.5.1 荒井きぬ枝