1984年『竹中郁少年詩集 子ども闘牛士』が理論社から刊行されました。
「竹中先生について」と題された足立巻一さんによる“あとがき”があります。
竹中郁先生は、1982年3月7日、七十七歳でなくなられました。
この詩集は、先生が日本の少年少女に贈り遺された、ただ一冊の詩集です。
なくなられる十年ほど前、竹中先生はこの原稿を作っていられました。これまでに書いた詩のなかで、特に少年少女に読んでほしい作品ばかりを選び、むつかしい文字やことばは子どもでもわかるように書きなおしていられました。
ところが、いろいろなわけがかさなって出版がおくれているうちに、先生は急になくなられました。くやしいことでした。
先生を知る有志は、まず『竹中郁全詩集』を一周忌に出し、つづいて三周忌に『竹中郁少年詩集』を刊行することをきめました。そうして、この『少年詩集』が生まれ、三周忌の霊前に供えられることになったのです。
詩集は竹中先生の原稿をもとにし、それにそののち書かれた作品やいくらかの旧作を加えました。詩の選は足立巻一がおこない、編集には小宮山量平があたりました。
児童詩誌『きりん』の刊行にかかわってこられた竹中郁さんについての記述もありました。
「『きりん』という児童向け月間雑誌を出しつづけられたのは、たくさんの助けてくださる人があったからで、私ひとりの作業で成り立っていたのではない。私はその自然のなりゆきに乗ることで、数知れぬ大ぜいの日本の子どもたちの人生に手を貸すことに立ち到ったように思われる。まことにしあわせなことであった」
この心ばえはつつましやかで、しかも心が満ちたりていて美しいことばだと思います。そして、追記はつぎのように結ばれます。
「自分みずからの詩作品を書いてゆけることもしあわせの一つにはちがいないが、日本のあちこちから集まってくる子どもの声、清らかに澄んでしみ入るような詩の数々を毎日読み、かつ選び出していく仕事は、他の何にもまして充実した時間だった」
子どもの詩を読むことが自分の詩を作るよりもしあわせだったといわれます。戦後の三十数年、ひたすら子どもの詩を、すなわち子どもの清らかな心を読みつづけられてきた詩人の、深い実感であり讃歌であり、同時に子どもたちへの遺言であったと思います。
先日8月21日付の「しんぶん赤旗」です。
映像とトークで学び、考えた
「子どもの本・九条の会」
子どもの本にかかわる絵本作家、画家、編集者などでつくる「子どもの本・九条の会」は10日、夏の学習会「9条YES! 戦争NО! 何度でも ~過去に学び、現在を考えるための映像とトーク~」を東京都内で開催しました。
2008年4月20日に「子どもの本・九条の会」が発足した時のDVDが残されています。
今回の学習会でもこのDVDの鑑賞が行われたそうです。
発起人のひとりであった父はその日会場でこんなふうに語っていました。
「私が“先生”とお呼びする何人かのうちのおひとり、竹中郁さん。
きっときょうこの会場のどこかにいらしていると思います。
おまえさんにメッセージを託すからね――、そうおっしゃっています。
竹中郁さんの詩を読みます。
二度読みます。聞いてください。」
父の手には『子ども闘牛士』がありました。
もしも
もしも この地球の上に
こどもがいなかったら
おとなばかりで
としよりばかりで
おとなはみんなむっつりとなり
としよりはみんな泣き顔となり
地球はすっかり色をうしない
つまらぬ土くれとなるでしょう
こどもははとです
こどもはアコーディオンです
こどもは金のゆびわです
とびます 歌います 光ります
地球をたのしくにぎやかに
いきいきとさせて
こどもは
とびます 歌います 光ります
こどもがいなかったら
地球はつまらない土くれです
詩を読み上げた父はひとことこうつけ加えました。
「今まさに地球がつまらないつちくれになろうとしている。
このときにこそ、この詩が大事です」――と。
今、世界では戦争であまりにも多くの子どものいのちが失われています。
“とびます 歌います 光ります!”
世界中の子どもたちに平和を――、そう願わずにはいられません。
総裁戦で、“憲法改正”を争点に――。
とんでもないことです。
2024.9.11 荒井きぬ枝