岸田首相は「国葬」とする理由についてこう語っています。
「憲政史上最長の8年8カ月にわたり卓越したリーダーシップと実行力で・・・内閣総理大臣の重責を担った」
「東日本大震災からの復興、日本経済の再生、日米関係を基軸とした外交の展開等の大きな実績をさまざまな分野で残された」
「そのご功績は誠にすばらしいものがある」
今、『悠吾よ!』(絵 坪谷令子 2006年 こぶし書房刊)を読み返しています。
自立的精神の四面体
晩年に近く七十歳代を越えてからでしょうか。ずいぶんマメに、スピーチ行脚と称してはあちらこちらへと旅するようになりました。
現役の出版人の座からリタイアしたからでもありますが、そのころから眼に見えてグローバリゼーションなどという横文字が目立つようになったのです。 良きにつけ悪しきにつけ「冷たい戦争」の名で、二つの世界の対立がお互いに牽制しあい抑止力となっている時代が過ぎ去った九十年代からでしょうか。 あたかも一人勝ちの座を確保し得たかのように、アメリカという名の“親分”さまの世界支配力が目立ち始めたのでした。
そのアメリカの「核の傘の下に入る」のが安保時代の得策であり、長いものには巻かれろという知恵でもあるかのように、歴代の指導者が旗を振るのにつれて 足並みをそろえるのが、日本の基盤となっていたのでしょうか。
考えようによっては、軍備などというお金のかかる仕事は親分に任せておいて、こちらはせっせ と経済や技術という体力と知恵を身に着けようと励むのが、宰相吉田茂以来の日本の方策と思い込んでいる人が多いのです。 けれども既に述べたように、「高度に発展した資本主義の大国が他の発展した資本主義国を植民地化する」というのが、第二次世界大戦後の最も注目すべき新しい 実験でありました。
日本とドイツ、二つの敗戦国がこの実験対象となったのですが、さすがにドイツは哲人カントを育み国民的文学者ゲーテを誇る国柄です。
この植民地化へのワナを巧妙にすりぬけ、最近のイラク戦争に至っては堂々と親分の誤りを指摘するほどの主体性を示しております。が、
そんな主体性の柱とも頼る べき自立的精神の面で遅れをとる日本は、みごとに“親分”の言いなりになるばかりの買弁的な人物の支配する国と成り下がったようです。 (後略)
植民地化されたままの日本です。
“日米関係を基軸とした外交”ははたして大きな実績と言えるのでしょうか。 そして“8年8カ月という長期政権”がもたらしたものはいったい何だったのでしょう。
“すばらしいご功績”ーーーーとは?
第75回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門で特別表彰を受けた映画『PLAN75』を観てきました。 国会が<プラン75>という制度を可決したというニュースが流れるところからこの近未来を描いた物語は始まります。
少子高齢化が一層進んだ近い将来の日本で、満75歳から生死の選択権を与える社会制度が施行された。<プラン75>と名づけられたその制度は、75歳以上の人が申請すると、国の支援のもとで安らかな最期を迎えられるというもの。
人口比に占める高齢者の著しい増加によって起こる軋轢の解決策として、社会は歓迎ムードとなる。当事者である高齢者はこの制度をどう受けとめるのか?
若い世代は? <プラン75>という架空の制度を媒介に「生きる」という究極のテーマを全世代に問いかける衝撃作が誕生した。 (後略)
“排除”という言葉が私の脳をしめつけます。
6年前の7月26日に発生した「津久井やまゆり園障害者殺傷事件」に、その“排除”が重なります。
映画のパンフレットの“イントロダクション”にはこう記されていました。 「生きることが罪ですか」-------と。
8年8カ月という長期政権は“排除”と“差別”とが加速された年月であったと私は思っています。その政権の長の言葉を私は忘れてはいません。 批判する横断幕を揺らす人々に向かって放った一言。
「こんな人たちに負けるわけにはいかない」-------。
先週に続けて同じことばをくり返します。
「国葬」に断固反対です。
2022.7.27 荒井 きぬ枝