いせひでこさん作の絵本『ルリユールおじさん』は、2006年に刊行されました。
いせさんが描かれたパリの風景にひかれました。
「あっ、あそこの広場!」──。
古い建物に囲まれた小さな広場。
パリでいちばん好きな場所です。
そこからカルチェラタンへと続く道。
ルリユールおじさんをさがす女の子ソフィーと一緒に私もなつかしいパリの風景の中を歩きます。
2023年2月20日付の朝日新聞の記事。
「ルリユールおじさん」(理論社、2006年、11年から講談社、累計10万部以上)
わたしの大切な植物図鑑がこわれちゃった。ルリユール(製本職人)のところへ行ってごらんと教わったソフィー。路地裏の小さな窓の奥におじさんはいた。目の前で何十もの作業を経て本をよみがえらせてくれたのは、おじさんの魔法の手だった。
そしていせさんが語っていらっしゃいます。
パリの小窓出会った工房
パリのカルチェラタンを歩いていて、小さな窓にひかれたのが物語の始まりです。2004年10月、長女と旅をして帰る前日。窓辺に金箔を施した本の背表紙がだーっと並んでいて、おじさんが何か縫っているのが見えました。規則正しく手を動かす老人の美しいたたずまいがずっと忘れられず、東京に帰っても夢に窓が出てきたのです。
おじさんはアンドレ・ミノスさん。ギリシャからの移民で、もうすぐ80歳だと聞きました。仕事は父の代からパリで本を修復するルリユールでした。
400年以上前のヨーロッパの本には表紙がありませんでした。ルリユールが注文を受けて個々に表紙を作ってあげていたのです。
もう一つの意味を教えてくれたのもおじさんです。「もう一度つなげる」という意味があるんだよと。人と本をつなげる。人と人をつなげる。その意味の深さに目からうろこがおちました。 (後略)
2009年に刊行された『日本児童文学』誌。
<児童文学この半世紀>という特集が組まれていました。
2009年は日本の「現代児童文学」が出発してちょうど50年目にあたります。
(中略)
そこで、本誌ではこの「現代児童文学」の50年を再考する企画の第一弾として、理論社の創業者小宮山量平さんにお話をうかがうことにしました。
10月の美しく晴れた土曜日、信州は上田駅前「若菜館ビル」3階のエディターズミュージアムへお邪魔しました。以下、聞き手は私、西山です。
(注)西山さんは、当時編集長でいらした西山利佳さんです。
父が『ルリユールおじさん』を語りながら「児童文学」を論じています。
(前略)
たとえばこの伊勢英子さんが描いた『ルリユールおじさん』(理論社 2006年)。
フランスでは本は仮綴じで売られる。なぜかというと、その本を本当に気に入ったら、それを生涯の宝ものとして、我が家の本という紋章を入れて、気に入った題を入れて革装にする。その本作りがルリユールという仕事。それをやっているのがフランス。
だからフランスの家庭にはその家の蔵書というものがあるのです。皆皮装で。だからフランスでは、それを誇大に宣伝されて読め読めと言われたものじゃなくて、アンドレ・ジイドが言っていますが、おまえは12歳になったから、お父さんが12歳の時に読んだ本を譲るよと言って譲る。これが、本だ。本の歴史だ。これが本当の成長小説だ。私の蔵書、私が子どもへ残したい本、というのは、これがほんとの出版だ。
そういう中で、児童文学は生きていけるか、生きていけるような作品を残した作家がいるかどうか。これが児童文学の正念場だと思う。 (後略)
椎名其二さん。
1960年に理論社から刊行された『出世をしない秘訣』(ジャン・ポール・ラクロワ)の訳者です。
ちなみに1935年(昭和10年)に「叢文閣」から発行されたファーブルの『昆虫記』。
その第一巻目の訳者は大杉栄、そして第二巻から第四巻までの訳者が椎名さんです。
その椎名さんについて『改訂新版出世をしない秘訣』(2011年こぶし書房刊)の“まえがき”で、父はこんなふうに語っていました。
まず、いせひでこさんの『ルリユールおじさん』にふれています。
そして、──。
題して『ルリユールおじさん』と呼ばれる本書は、あたかも椎名さんその人のパリでの生活が、どんなふうにして成り立っていたのかを、つぶさに物語ってくれるような絵本そのものなのです。一般に「本」といえば、ハードカバーのりっぱな表紙本と、柔らかい紙表紙の並装本とに大別され、後者の多くは「フランス装」と愛称されます。
と申しますのは、フランスの読書家たちは仮とじめいた並装本を入手して親しむのが通例で、さて、それを読み終えての挙句「これぞわが家の本」と子々孫々に伝えるほどの名著名作ともなれば、改めてわが家独特の上製本とし、家紋などを押捺して書架に飾るのが通例だといわれております。
わが椎名基二さんこそは日本的な職人的技能を身につけ、いつしかフランスでも格別の評価を受けるほどの「ルリユールおじさん」となり、気の向くままの仕事に打ち込むことで、魂の自由を束縛されることもない暮らし向きを持続していたようです。
そんな自由な職人芸こそが、正に『出世をしない秘訣』のキイの一つであったに違いない、と、そのことが次節のテーマを支えるはずだと思えるのです。
6月11日、5年ぶりのパリへ旅立ちます。
いせさんが描いていらしたあの小さな広場にたたずんで、「また来ましたよ」と心の中でつぶやいて、それから、カルチェラタンへ向かいましょうか。
「RELIURE」と書かれた工房が見つかるかもしれません。
そんな数日を過ごしてきます。
ルリユールのもう一つの意味、「もう一度つなげる」。
人と本をつなげる、人と人をつなげる、──。
そのことを胸にきざみながら、──。
2025.6.4 荒井 きぬ枝
地図では広場ではなく、“フェルステンベルグ通り”と記されています。
一角に「ドラクロワ美術館」があります。