あれまぁ,いつの間にか春になってしまった。こうしてまた性懲りもなく春という季節を迎えたわけだ。まったくモウ,この先あと幾度この苦しみ,もとい,この苦い喜びを重ねることになるのだろうか。なんて,そんなショーモナイこと考えずに,ただただ自然と漫然と,淡淡と寂寂と日々を過ごしてゆくに如かないことは重々承知しておるのではございますが。。。 それにしても,なんだか年をとるにつれて自らの思考回路,表現手法, . . . 本文を読む
夏が終わり,九月も既に半ばを過ぎた。じきに彼岸の入りとなる。まことに時の経つのは早いものだ。昨日の淵は今日の瀬となり,昨日のムスメは今日のオバサン。 諸行無常・盛者必衰をシミジミと感じる今日この頃なのでアリマス。
もう秋か。 それにしても,何故に,永遠の太陽を惜しむのか。俺たちはきよらかな光の発見に心ざす身ではないのか。季節の上に死滅する人々からは遠く離れて。
秋だ。俺たちの舟は,動かぬ霧 . . . 本文を読む
久し振りに風邪を引いた。昨年の6月以来,ほぼ一年ぶりのことだ。去年の梅雨入りは6月14日と例年に比べてかなり遅かったが,その前日から風邪を引き始めたと忘備録にある。それに対して今年の梅雨入りは5月27日と,去年とは逆に例年よりもかなり早い時期だったが,その翌日から風邪気味になった。梅雨入りと風邪引き,どこか関係あるのか知らん。
もっとも私の場合,別に毎日の勤めに出掛けなきゃならないわけじゃな . . . 本文を読む
数日前のこと,毎度恒例・年度始めの身辺整理として仕事場のそこかしこに雑然と堆積している資料類の山の一部を切り崩してゴミ分別作業をおこなっていたわけだが,その折りに,コクヨの統計ノートに書かれた昔の日記(モドキ)なんぞがファイルの隙間からヒョッコリ出てきたりして,思わずしばし読みふけってしまった。それは今からちょうど35年前,1976年(昭和51年)の夏から冬にかけて記された日々の覚え書きである . . . 本文を読む
震災に見舞われた東北地方のことを思うと胸が痛む。突然の大津波に襲われた三陸沿岸地域のことを思い浮かべると涙が溢れる。自然は何故,こんなにも酷い仕打ちで多くの人々のシアワセを一瞬のうちに押し潰し,虫けらのように蹂躙し翻弄するのだろうか? などと,まるで呆けたように嘆息するばかりの無力な老人,それが今の私なのだ。夜は未だ明けることがない。
ダニエル・ギシャールDaniel Guichardの古い . . . 本文を読む
さて,年が改まったわけだが,だからといって私自身にかんしては別段何が変わったというわけでもない(ここ数年は毎度々々こんなことばっかり言っているような気がする。。。) そうだ,変わったことといえば今年は年頭に「明けましておめでとうございます」 を言わないことにしたのであった。だって別に目出度くも何ともないんだもの。当然,年賀状も出さない。ただし,私宛に賀状をお送り下さった方(個人に限る)に対しては . . . 本文を読む
中島みゆき,という当代きっての歌姫(ラ・シャントゥーズ・レーヌ,とでも云うのだろうか?)が放つ強烈なアウラAURAというかヴォルスポVOLUSPOというか,それらについては彼女の歌に魅せられた数多の人々がこれまで幾十年もの長きにわたって繰り返し飽くことなく,自らの思いの丈を熱意を持って語ってきたわけであり,そして現在でもなお絶えることなく語り続けられていることなのであるからして,今さら私ごときが . . . 本文を読む
性懲りもなく,また幾度目かの春を迎えた。陽が照って,鳥が啼き,そして鬱陶しいサクラの季節も数多の喧騒とともにアッという間に終わりをつげ,それから仄かに柔らかな新緑が芽ばえはじめ,巷にはフレッシュな人々(ピカピカの小学1年生やらツルツルの社会人1年生やら)が賑やかに往来するようになった今日この頃,老いたるワタクシもようやっと長い冬眠から目覚めたような次第であります。この冬のあいだじゅう一体全体どこ . . . 本文を読む
私事ながら,本年度,ウチの二人の息子は高校と大学のダブル受験である。上の方は私立の美術大学を,下の方は公立の普通高校を希望している。いずれも第一志望は高きに設定しているがゆえ,併せて押さえ(滑り止め)の学校なども考えておかねばならない。近年における我が家庭内財政収支を鑑みるに,これはまことにキビシイ状況に直面しているのであるが,ま,ジンセイなんてヤツはなるようにしかならないのだし,金は天下の回り . . . 本文を読む
前振りなしで いきなり本題に入る。ダニエル・ギシャールDaniel Guichardの歌に《Reste auprès de moi》というのがあって,最近久しぶりにその歌を聞いてスコブル身につまされた。 どこがじゃ? と質されても咄嗟の返答に窮するが,そうさな,それは以前に一寸言及したセルジュ・ラマSerge Lamaに対する個人的な異議申し立て,そしてその対極にある歌手を聴き,歌声を感じ,歌心 . . . 本文を読む
先月の終わり頃だったか,海の彼方から,歌手のマイケル・ジャクソンMichael Jacksonが死んだというニュースが流れてきた。享年50才。死因不詳だという。無礼を承知であえて言わせていただけば,晩節を汚しつつの人生五十年,いささか悲しい幕切れだなぁ,という印象を受けた。このような希有の才人は39才くらいで死んだ方が良かったように思う。
その絶頂期,1987年に来日したときの横浜スタジアム . . . 本文を読む
壁のラクガキを眺めているのは,サッカー監督のジーコZicoではございません。多分は50才を少し過ぎた頃のマルセル・ムルージMouloudjiです。彼,この時分はとっても元気があったんですよね。ワタクシも見習わなくっちゃ。とにかく,生きなくっちゃ。 Mais... pourquoi, pour qui? . . . 本文を読む
そんなわけで,アタマのうしろの左耳裏ッ側あたりをポンポンと叩いたところ出てきたのが,たまたまセルジュ・ラマSerge Lamaだったのである。アタマから,たまたまラマ,というわけである(10回言えば早口言葉か)。 けれど当方,いかんせん彼国の歌謡界についての情報量および理解力が絶対的に不足しているものであるからして,そこからさて何が出てくるか,皆目わかったもんじゃない。ゆえに,これはあくまで個人 . . . 本文を読む
喪に服したままの年末年始が過ぎた。年頭から別にオメデタイ話題があるわけでもないので,まずは自分のことは棚に上げて勝手なことを言わせていただきたい。何のことかと申せば,芸能人の容姿,それもある程度キャリアを重ねた芸能人の容姿容貌,とりわけ鎖骨付近より上部のポートレイト(御尊顔)を拝見していると,人に歴史あり,あるいは,歳月人を待たず,などという言葉が改めてシミジミと実感されてくる,と,そんなツマラ . . . 本文を読む
今から半世紀以上も昔の1952年,ジョルジュ・ブラッサンスGeorges Brassensが御年31才の時に作った歌に《公衆ベンチの恋人たちLes amoureux des bancs publics》というのがある。都会の街路の片隅に据えられた「公衆ベンチ」に座って日がな一日愛を語らう若い恋人達の現在と未来とをいささかシニカルにブッキラボーに描写した,けれどもソコハカトナク優しさと哀愁のただよ . . . 本文を読む