帰ってきたドリアン長野の海外旅行記

長期休暇もない有給休暇もないリーマン・ パッカーが、短い休日と高い航空券にもめげず、海外を旅したお笑いエッセイ

#12

2024-04-07 | 日記
ブックマークを一件追加しました
2010-07-27 | Weblog
 ブックマークを一件追加しました。 明川哲也公式ホームページをブックマークしておきました。

 ~ちょっとした裏話~

 ドリアン長野は、彼に憧れを感じていたから、ペンネームもそうしたようです。

 以上、元(ハジメ)管理人でした。
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7月22日
2010-07-22 | Weblog
 タイランドで有名な、7月22日ロータリーへ赴いた件について再来月発表します。 お待ち下さい。
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本日、オリジナルモジュールを追加しました
2010-07-11 | Weblog
顔写真の公表を恒常化しておきました。ZOOM IMAGE.

顔写真(ドリアン長野)をクリックされますと、拡大します。
両者共に平成20年代初頭に撮影しました。




上記の赤いバナーをクリックされてから真ん中の下部を閲覧して下さい。


 ~最近、思ったこと~
 オセアニアや南米等の旅行記もあれば、良いのにと思います。
 大半が、アジア系の国々の海外旅行記で後は、USAとUKとメキシコ(中米)の海外旅行記です。 以上、元(はじめ)管理人でした。 
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昨日、ロンドン(UK)旅行記追加
2010-07-02 | Weblog
 ロンドン旅行記追加。
 昨日、アジア系の国々だけの海外旅行記では無いのを強調するために、ロンドン旅行記を追加しました。 事実上、前編・後編に分かれているが、一応統合しておきました。 従って、当初はリターンズの紹介順で国旗での範疇分けを実施つもりでしたが、順不同になりました。 実際の所、USAとメキシコとUK等を除外すると、アジア系の国々ばかりです。 メキシコに限っては、ごくワズカです。 
 ドリアン長野は期待はずれとまでは言わないし、赴いて良かったようですけども、日本で考えていたのとは趣(おもむき)が違った海外旅行記であったようです。ちなみに英国は世界的にはUKやGBとも略されます。
 後、お伝えしたいことは1994年の英国(イギリス)海外旅行記です。現在は、平成20年代ということもあって、1990年代は随分以前の出来事です。平成20年代には、平成10年代のように1990年代を兼ねた時期は、(平成20年代には)存在していないといった事柄でしょうかね。 言い換えると、確実に10年以上前の出来事です。

ロンドン(UK)はこちら
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#7 テーメーその2 (リターンズ)
2010-07-01 | Weblog

 予算の都合で、いつも泊まる「グレース・ホテル」ではなく、近くにあるソイ1の「ストリート1・ロッジ」に泊まった。それでもツインで550バーツだ。私の感覚では500バーツを超えると立派な高級ホテルだ。しばし、宿泊するかどうか迷う。それでもここはレセプションの兄ちゃんの愛想がいいのでお薦めだ。ホテルに戻ってきた時、「あけましておめでとうございます」と言われた。日本人の宿泊客に教わったらしい。「地球の歩き方」に載っているので日本人が多いらしい。まっ、私もそれを読んで泊まったんだけど。
 ホテルの近くの歩道橋のたもとにゴミ捨て場があるんだけど、その隣にホームレスが座って、物乞いをしてるわけさ。もう、よく見ないとゴミだか人だか分からないって感じ。そこへアラブ人のオジさんが通りがかりに「ライス、ライス」と言いながら、紙袋を置いていった。私はちょっと感動したね。いいことをしてやる、って態度じゃなくて、ごく自然な感じだったもんね。なるほどっ、それがイスラム教のいう、喜捨ってやつだなっ!アラブ人にもいい人はいるんだなとシミジミ.....。言っとくけどな、これって偏見ちゃうぞ。グレースにいるアラブ人を見てると、みんな悪人に見えてくるんじゃ~い。(顔も暑苦しいしな) それが偏見だと言われると返す言葉もないがな。とにかく心暖まる、いい話しだ。うん、うん.....。って、今回はそういう話じゃな~いっ! 性懲りもなく、テーメーネタ第二弾だっ! 全然、心暖まらないぞ。当たり前だがな。
 テーメーに入ると、私は空いている席を探してカウンターに座った。横を見ると、黒ずくめのおばあさんが座っている(注:バンコクでは、その方面の職業婦人の方の服装は黒です)。
 う~ん、この人はまさか.....。いぶかし気に見ていると、彼女が話しかけてきた。 「あんた、どこから来たんだい?」 「日本です」 「日本人かい。それなら、ほら、あそこに座っているスズキはもう何年も前からずっと、ここに通っているよ」 
 我々のななめ後ろのソファーには、何人もの娼婦を侍らせた、スズキと呼ばれた男が座っていた。常連か。スズキ、エイズで死ぬなよ。 
 「あたしはスージーだ」 すっ、すうじい~? 「客はとらないよ。客のくれるチップで生活してるのさ」 なるほど、納得。で、失礼ながらお年を聞いてみたが、「あんた、そんなこと、こんな場所で聞くもんじゃないよ」と一蹴されてしまった。すんまそん。だが、おそらく70代であろう。スージーはテーメーの最長老であり、娼婦からはママと慕われ、頼りにされるボス的存在であった。スージー、あんたに出会えて光栄だ。私は思わず名刺を渡してしまったくらいだ。スージーは顔見知りの白人がやって来ると急いで駆け寄り、話しかけたり、ビールの注文を取ってきたりしていた。酔っぱらって大声でしゃべる客の相手もしていた。スージー、生きていくってのは大変だなぁ。やがて、女の子が隣に座り、笑いかけてきた。  
 「私、クンっていうの。アユタヤから来たの」 すかさずスージーが口を挟む。 「その娘はグッドだよ。ベリー・グッドだ」 あんたは商品の売り込みまですんのか? これ以上、長居しているとむりやり売りつけられそうだったので、そそくさと退散した。それにしても、私もいつかスズキみたいに言われてみたいもんだ。 「あの日本人、常連だよ。テーメーじゃあ、知らない者はいないね。初めて会ったのはあたしが70の頃だったね」ってな。それまでスージー、長生きしろよっ。なんだかんだ言っても結局、最後は心暖まる話になっちゃったな。(なわけねーだろっ!)

元(ハジメ)管理人の感想文と皆様への伝達事項
 本当に適当にやっているような? もう少し、ホテルの特徴を知りたい所ですね。 平成20年代に、タイランドで発生している社会問題が表面化する以前のお話ですので、その辺りはご勘案下さい。 当面の間は、タイランド旅行は行えないと考えている人々は多いでしょうね。 やはり、内戦状態にあるようなものですし、在外邦人も辛い思いをされています。 
 エイズだけが怖いのではなくてエイズと一緒に感染する病気が人を死去に至らしめるとお考えください。 血液製剤等での感染は別口で同情するとしても、エイズ感染に至る迄悪事を継続した後の治療は馬鹿げた希望が一切通用しない。 世の中には、発言と行動が一致しないばかりか、責められるのを恐れて情報を意図的に隠蔽する人がいる。 不誠実かつ不謹慎ですね。 だが、血液検査はウソをつかないばかりか巧妙な言い逃れは行えない。 陽性か陰性かは、明確です。
 最後にお伝えするが、あまりにも危ない提案には、退散が正しい選択であったりもします。 厄介なのは、提案してきた人間が悪いと考えていない独善的な部分です。
 しかし、金をケチったようで実はそうでない海外旅行記のようにも感じられます。


以上、リターンズの、タイランド旅行記でした。来月に続く。

海外旅行の最新情報 地球の歩き方

海外旅行の最新情報 地球の歩き方

昨夜、AZさんに返答しました。
2010-08-25 | Weblog
昨夜、AZさんに返答しました。 広告 AZさんのお店の紹介は以下です。
住所
大阪市浪速区日本橋5丁目12-5 KS日本橋ビル6F 店名 Cafe AZ

以上、管理人ハジメでした。
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世界ウルルン滞在記リターンズをブックマークしました
2010-08-25 | Weblog
 世界ウルルン滞在記リターンズ。http://www.ururun.com/ BS-TBSにて毎週金曜22:00~22:54にて全国放送中。 1990年代半ばから平成20年(2008年)にかけて製作されたテレビ番組の再放送です。

 BSデジタル放送は全国民が平等に視聴が行えるから良いと個人的には、思います。 
 海外旅行の記録が好きな人にはたまらないTV番組でしょうね。 ただ、最近(2010年代)では、以前のようにお金をかけて製作するといったTV番組が難しくなったようです。

以上、ハジメでした。
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サンセットビーチ
2010-08-22 | Weblog
テンプレートをサンセットビーチに変更しました。
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人には、それぞれの選択がある
2010-08-20 | Weblog
 ドリアン長野海外旅行記の管理人をしている元(ハジメ)です。
 ~人には、それぞれの選択がある。~
 こちらのホームページの継続は不安定なのでもしもこちらに伝達を行わずに当ドリアン長野の海外旅行記を紹介されておられたら削除していただいても構いません。 出来ましたら、バナーの紹介は行われてもURLの観点から問題がある紹介は控えていただきたいし正常化を求めたいのが、こちらの本音です。 過去においてgoo側の決断で簡単ホームページからブログへと変更したので不可抗力の側面がある点は強調しておきます。 とりあえず、不安定ながらも当ブログは、現時点では継続しています。
 削除されるか正常化した上で紹介されるかを明確化していただきたい。
 ~紹介方法の変更をしました~
 一方で当ホームページが継続している限りは、問題の無いホームページの紹介をしていきます。 バナーを平成22年8月19日の時点で発表されておられると同時に、当ホームページにて紹介しているホームページについてはオリジナルモジュール化して紹介しました。 当ホームページの中央部分を閲覧していただければ幸いです。 又、ブックマークでの紹介については、重複している場合は、見直しました。

 以上です。 元(ハジメ)。
 参考までに、以下を紹介しました。


西原理恵子公式サイト

海外旅行の最新情報 地球の歩き方
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第三顔写真 Zoom Image
平成22年8月二十日
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#8 クロントゥーイ市場 (リターンズ)
2010-08-01 | Weblog
 私は市場やスーパーやコンビニやデパートに行くのが好きだ。行って何をするのかというと、生鮮食品や加工品や日用品を見るのである。見るだけで楽しいので、買い物はあまりしない。日本人が集まる「伊勢丹」や「フジ・スーパー」もいいが、私のお気に入りはスクンビット、ソイ5にある「フードランド」(ここにはカウンター方式のダイナーがあるが、午前2時、3時でもアラブ人や白人や黒人がメシを食っている。余計なお世話だが、体に悪いぞっ、とひとこと言いたくなる)、シーロム通りとラーマ4世通りの交差点にある「ロビンソン」、チャクラポン通りの「タングアセン・デパート」やその近くのワット・チャナソンクラムというお寺の向かいにある小さなコンビニ(店員は二人か三人の若い女性。いつもおしゃべりしている。あまりやる気なし)等だ。
 バンコク市内には多くの市場がある。中華街のサンペーンレーンやアラブ人、インド人、黒人が多いプラトゥーナーム市場、インド人街のパフラット市場(ここにあるハンバーガーショップに入り、椅子に座ったら店員がヒンズー語のメニューを持ってきた。どうせ私はインド人並みに顔が濃いわよっ!キィーッ!)


なんかが有名なのだが、私が一番好きでバンコク滞在中は必ず行くのがクロントゥーイ市場だ。
 この市場の周辺にはバンコク最大のスラムがあり、そこを通って市場に足を踏み入れると、初めて訪れた人は気分が悪くなるに違いない。なにせ、生臭さと汚物のにおいが入り混じっているし、鶏や魚の内臓が山と捨てられてるし、道はそういった汚物と泥とでぐちゃぐちゃになってるし、かつ、ゴミがあちこちに散乱しているからだ。神経質な人は行かんほうがいいだろう。ここには鶏や豚の頭や足や内臓、野菜、果物、魚、カエル、なまず、カブトガニ、虫等、いろんな物が売られているが、私がこの市場に来るのはニワトリのを見るためだ。まず、ニワトリを釜で焚いた熱湯に放り込んで殺してから、分離器にかけて羽をむしり取る。それを半裸になった男たちが次々と包丁で解体していくのだ。私にとっては興味深い光景で、何時間見ていても飽きない。熱気と悪臭が充満するそのの傍らには市場の子供だろう、5歳くらいの女の子がすやすやと寝ているのだが、人間はどんな環境にも順応するんだなあと妙に納得する。
 話は唐突に変わるが、モンゴルの遊牧民の生活をテレビで観たことがあった。ご承知のように、彼らにとって羊はなくてはならぬものである。何歳かになると、羊の解体を覚えなければならない。馬に乗ることと羊を捌くことができないとモンゴルでは生きていけないのだ。何人かの子供が羊を持った大人の周りを取り囲む。大人は神に祈りを捧げ、羊が苦しまないようにナイフで頸動脈を一気に掻き、大地に血を一滴も流さぬように捌いてゆく。子供たちは真剣な面持ちで眺めていて、私も神聖な儀式を観ているような気持ちになったな。で、思うんだが先進国では肉も魚も切り身になってスーパーで売られとるが、元の形を実際に見る機会は金輪際ない。うんこでも出した形状を観察すれば、それが今朝食べたものか前の晩に食べたもんかくらいは判別できるだろう。うんこなおもちて往生をとぐ、いわんや切り身をや。自分でも言ってることが全く分からんが、口にする動物の解体現場も観たことがないから食べ物を粗末にするんだっ! と私は言いたいのだ。反省しろっ、先進国の人間どもっ! なんてね、当のタイ人が食べ物を粗末にするんだもん。もう、ちょっと満腹になれば残す、残す。そんなもんすね、う~、脱力。
 おまけにクロントゥーイ市場の脇に流れとる川は解体処理の水を汚物と一緒にそのまま流すもんだから、はっきり言ってヘドロ。川底からはブクブクとメタンガスが発生しとるよ。飛び込んだりしちゃったら即死だね、きっと。その上にプラスチックの弁当箱やビニール袋を平気で捨てるもんだから、環境保護団体なんかが見たら卒倒しちゃうね。地球に優しくないタイ人。でも私なんかそれを見たら何だか安心しちゃうんだけど、なぜだ?
 でも、行ってみて損はしないと思うよ、クロントゥーイ市場。旅行代理店の人、ワット・ポーの寝釈迦像や水上マーケットもいいけど、ここもツアーに組み込んでみたらどうすかねえ。
元(ハジメ)管理人の感想文と皆様への伝達事項
 やっぱり、インド人と同じ位に濃い顔をしていますかね? 皆様には、文章を読んでもらってから即時確認してもらいました。(笑)
 90年代から平成10年代のお気楽な時期のお話です。 従って平成20年代のようにインフルエンザウイルスが猛威を振るった時期ではありませんしタイランド国内での騒乱が深刻化発生した時期でもありません。 こちらを参考にしてください。 やはり、暴力とは無縁の法治国家を形成し平和な社会の維持継続は重要です。 従って、選挙が重要であって理不尽な占拠は不必要なのです。
 ご存知の方々も多いでしょうが何らかの海外旅行のツアーに参加しても現地(海外)に到着してから全てをキャンセルして行きたい町へ行く人もおられるそうです。 
 海外旅行記を参考にされるのは自由ですが海外での行動は日本以上に責任が問われる可能性があるのでお気をつけて下さい。 端的にお伝えすると日本では合法であっても海外では違法な行いがございます。
ちなみに海外旅行につきものといえば、時差や外貨です。外貨はともかくとしても時差が存在しているから海外の現地時間で深夜においても食事をしている人々が多いのかもしれませんね。 

 これからも、ドリアン長野の海外旅行記をお楽しみ下さい。


以上、リターンズの、タイランド旅行記でした。来月に続く。

#9 スワニー(リターンズ)
2010-09-01 | Weblog

 君はスワニーを知っているか? もちろん、知っておろう。チャイナタウンにある、なぜか日本人パッカーに人気があって140バーツで泊れるが麻薬及び娼婦関係等のトラブルが多いので日本大使館の悩みの種の楽宮ホテルの一階にある日本料理が食べられる安食堂の北京飯店のことだ。なぜスワニーというかというと、切り盛りしているのがスワニーという女主人だからなのだ。そうだったらそうなのだ。なぜ日本料理なのに北京飯店なのかは、永遠の謎だ。
 私はチャイナタウンに行くたびに楽宮ホテルを探すのだが、なぜかいまだに見つけたことがない。公園を中心にして、7月22日ロータリーが6本の道となって放射線状に伸びているのだが、歩いているとこれも安宿である台北旅社にいつも行き着いてしまうのだ。もう一つの伝説のジュライ・ホテルは私がチャイナタウンに足を踏み入れた頃は閉鎖していたと思う。楽宮を一躍有名にした、谷恒生の「バンコク楽宮ホテル」は日本では絶版になっていて、私はバンコクの紀伊国屋書店で買った。文庫本が314バーツもしたので、買う時に迷ったぞ。バンコクの物価を考えると3日は食えるもんな。北京飯店のことはいろいろな本に書かれていて、私はスワニーさんに会って、カツ丼や焼そばを食ってみたい! と長らく熱望していたのだ。なにもバンコクまで行ってカツ丼食うこたあねえだろうとは思うが、それはほれ、気は心ってやつよ。(意味不明)
 ロータリー付近に行くといつも方向感覚が無くなって、記憶が途切れたような気がするのは、毎晩立っている娼婦の怨念か、ビンボー旅行者の呻吟する霊のせいに違いない。これは腰をすえてかからねばならない。というわけで、ファランポーン駅前のクルンカセム・シークルン・ホテル(京華大旅社)に泊まることにした。
 このホテルは名前は厳めしいが、一泊500バーツの中級ホテルだ。部屋は清潔で、何よりも駅まで3分で行けるのが嬉しい。駅はチケットがなくてもホームには自由に出入りできるので、夜になると長い長いホームを虫の鳴き声を聞きながらうろついたり、かまぼこ型の高い天井を見上げながらベンチに寝転んだりするのは気分がいい。
 ホテルの裏の通りには「旅社」とだけ書かれた看板が掛かっている、怪しい館がいくつかある。二階へ続く木造の階段の入口にはおねいさんがたむろしていて、前を通ると獲物を狙う猛獣のような眼でじろじろ見られたり、時には声をかけられたりするというナイスな環境だ。ラーマ4世通りを左に折れると、そこはもう、暑いバンコクの中でもさらに暑苦しいチャイナタウンだ。
 フカヒレスープやツバメの巣が安いので、私はここに来るたび、ここぞとばかりにガツガツと意地汚くむさぼり喰う。ヤワラー通りにあるホワイト・オーキッド・ホテルの前にはうなぎの寝床のようなラーメン屋があるのだが、ここの麺がうまい! クイッティオ(米麺)やバーミー(小麦粉麺)はコシがあるし、ルークチン(魚のつみれ)はコクがある。いつ行っても人でいっぱいだ。私なんか朝から3杯も喰っちゃったもんね。えっと、何の話だったっけ? そうだ、スワニーだ。その日の夕方、私は地図をぐっと睨み、ロータリーの右から2本目の通りに入って行った。少し歩くと、あれはまさしく北京飯店だ。やっと見つけたぞ。食堂に入ると客はおらず、女の人が一人でメシを喰っていた。空腹ではなかったので、お粥を注文した。食べながら聞いてみる。 「あの、スワニーさんは?.....」 「はい、わたしです」 
 そうか、あなたがあのスワニーか。私は本を読んで想像を膨らませていたので、やせこけて、引っ詰め髪でこめかみに梅干しを絆創膏で張り付けたようなおばちゃんだと思っていたのだ。(今どき、そんなおばちゃん、いるかーっ。しかもバンコクに)
 スワニーはにこやかで、美人といっても決して過言ではないような(微妙な言い方やな)人だった。私は街で、テレビに出ている有名人に出会うことよりも嬉しかった。たとえば、V6の森田剛に会うことよりも、嬉しい.....と思う。
 彼女は「あさりの味噌汁飲む?」と聞いてきた。必ず客にあさりの味噌汁か冬瓜のスープを薦めるようだ。これも本で読んだ通りだぜ。お粥も味噌汁もとてもうまかった。最後に食べた焼そばはちょっと塩辛かったけどな。(食べ過ぎやっ!)
 メニューに書いてある「豚丼」というのは、カツ丼のことだろーか? 今度来た時に試してみよう。自分が少食なのが悔やまれる。(一日、何回喰えば気が済むんだ、お前はっ!)
 メシを喰ってる時に入ってきた中年の男に、スワニーはお金を渡していたが、あれが旦那さんか? まさか悪い男に騙されてるんじゃないだろーな(とすっかり身内気分)。スワニー、バンコクに来た時はまた寄るよ。私は長い間たまっていたウンコを排泄したような清々しい気分で食堂を出た。
 その夜、ファランポーン駅前でソムタム売りのねーちゃんに声をかけられた。彼女たちはイサーン地方出身で、天秤棒を担ぎながらイサーン料理を売っているのだ。客はゴザに座って、彼女たちが石臼で作ったソムタム(パパイヤやトマト等を加えた辛いサラダ)を食しながら故郷に想いを馳せるのである。そうだな、日本でいえば京成上野線の日暮里駅界隈の安キャバレーで東北出身のおっちゃんが同じ東北出身のホステスにうだうだと愚痴をたれるようなもんだな。
 ソムタムを喰い終わると、おねいさんはもっと食べない? と言って、別の料理をもう一品作ってくれた。それも食べた。さすがに満腹だ。しかし、彼女はそれで許してはくれなかった。豚の絵が書かれた黄緑色のソーセージを取り出して、「これで作った料理はおいしいわよ」と私に迫るのである。こうなったら、イサーン料理を喰い尽くしてやろうじゃないかっ。私は苦しさに涙をこらえつつ、異国の星空を見上げながら食べた。ぜいぜい、もう勘弁しておくんなせえ。幸運にも料理はそれで終わりだった。
 「うえっぷ、もう帰りますう。おいくらですかあ~」 「一品50バーツだから、全部で150バーツね」 なにお~、ひゃくごじゅうばあつだとぉ~、げっぷ。私は久々にボラれたよ。最初に値段を聞いてなかった私も悪いんだけどな。気をつけろよ、夜のファランポーン駅前でおねいさんに声をかけられて、鼻の下を伸ばしているとボッタくられるぞ、この私のようになっ!(いばってんじゃねーっ!)
元(ハジメ)管理人の感想文と皆様への伝達事項
 個人的に、平成10年代には幾つかの出来事で驚いたがその中でも特筆すべきは、7月22日ロータリーですね。 やはり、日本では一般的には「7月22日にロータリーに赴いた。」と考えられるかもしれません。正式名称が7月22日ロータリーだそうです。 俗称は、ジュライロータリーと言われているそうです。 タイランド国内で第一次世界大戦の参戦を記念して命名されたそうです。
 強調しておきますが、タイランド国内には、「7月22日ロータリー。」が実在しているとお考えください。私は、平成10年代末期にこの点について、多少言及しましたね。(興味のある方はコチラをクリック)
 実際の所、幾つかのホームページ上で7月22日ロータリーが紹介されているので各自でお調べください。 ただ、時代の流れで少し色々な面で変わってきているそうです。
 最近の日本は、安くておいしい飲食店が増えてきましたね。 景品表示法が存在しているから、価格面で安心して食事がとれるようになっています。 法治国家万歳。 そういえば、日本国内であっても時価の御寿司屋が存在しているな・・・
 谷恒生先生は、2003年(平成15年)に亡くなられています。 昭和50年代と1980年代を兼ねた時期に、バンコク楽宮ホテル(1981年)を出版されました。
 北海道帯広市近辺では、豚丼が有名です。 実際に私は、スワニーさんに会って豚丼を注文していないので不明なのですが、もしかすると、スワニーさんは北海道料理を調理されるかもしれません。
参考にしていただければ幸いです。 
十勝地方で有名な豚丼に興味があれば、こちらをクリック
http://www.butadon.com/

 私、元(はじめ)は平成10年代に北海道に赴いた時に実際に食したから、お伝えできますが、おいしかったです。
 他にも色々とグルメリポート(?)というか、暴飲暴食のお話が平成10年代に発表されました。
 目的を持って、どこかに赴くのも幾つか存在する海外旅行の楽しみでもあるし、海外の町と地元(日本国内)を比較するのも幾つか存在する海外旅行の楽しみでもある。 これらの件は、読まれた方々がそれなりに解釈してください。
 

 それでは、皆様、来月のドリアン長野の海外旅行記(リターンズ)をお待ち下さい。


タイランド旅行記についてはコチラをクリック

#10 ドリアン(リターンズ)
2010-10-01 | Weblog
 人は非日常的な体験を求めて旅に出る。海外ならなおさらだ。しかし、それが食文化になると頑なに自国の食生活に固執する人がいる。たとえば、欧米人なんかがそうだ。彼らは外国においても朝はトーストとハムエッグ、昼はマクド(関東地方だったらマックよね。おされだわ)というスタイルを崩そうとしない。マーブンクロンのクーポン券式大食堂には欧米人の姿も見かけるけどな。大半は一、ニ度料理を食べてみて後はコーラとハンバーガーってとこだろう。君たち、それで満足なのか? 私はイギリスではフィッシュ・アンド・チップス、アメリカではステーキとハンバーガーを食い続けたぞ。まずかったけど、それでも我慢して食ったわい。(我慢して食うなよ)
 自国以外の食生活に興味を持たんから、鯨を食う日本人は野蛮だなんてぬかすんじゃい! 「美味しんぼ」の海原雄山も食はその国の文化だとゆうておろーが。私はある国に行ったら、その国の人間が食べている物を食い倒すぞ。フィリピンやベトナムでおやつがわりに食べてる、孵化寸前の鶏の卵は塩をかけて食うとうまいんだよっ! 海外番組のTVリポーター(女優)は「いや~ん、気持ちわるう~い」とか「やっだあ~、ざんこくう~」とかぬかしてんじゃねー! アラブ人街に行ったら、羊の脳みそのカレー煮込みが安く食えるぞ。ベトナムでは時間があれば、センザンコウでも犬でも食いたかったわい。イサーン地方では虫も食べる。カオサンやラーチャダムヌーン・スタジアムの前やナナ・エンターテイメント前の路上に行けば、屋台でいつでも売ってるぞ。メーンダーは黒くて一見するとゴキブリに似ているがタガメだ。羽と足を取り、歯で身をしごいて食べる。その他にはバッタのフライとかコオロギとかカイコのさなぎとか赤アリとか、全部スナック感覚だ。もちろん、私の口に合う物もあるし、合わん物もある。だが、口に入れてみなければ味は絶対にわから~ん! 食わず嫌いはいろんな事を損してると思うぞ。
 日曜日の夜の「世界ウルルン紀行」はタレントがいろんな国へ行って、一週間ホームステイするという番組だ。お世話になった家族と別れるシーンで私はいつも号泣してしまう。下條アトムのナレーションが泣かせるんだ、これがまた。ある日の番組では某男優がアフリカの某国に行った。その国では牛がとても重要な役割を担っているわけだよ。畑を耕したり、牛乳を飲んだりはもちろん、牛糞を燃料にしたり、家の壁にしたりな。それどころか、尿をシャンプーにもするし、飲んで胃に収めてから吐き出して胃腸を整えたりするのだ。その男優がそれに挑戦した。牛の泌尿器の下に容器を構え、おしっこを受ける。男優は容器になみなみとつがれたおしっこを眺めた。さあ、どうするんだ? 本当に飲むのか? 私は手に汗握って見つめたね。彼は一瞬ためらったが、ついにうぐうぐと飲み干し、そして吐いた。司会者に「どんな味でした?」と聞かれ、彼は苦いような、しょっぱいような、とにかくすごい味でした。その味が今でも口に残っています、と答えた。私は猛烈に感動したね。これが感動せずにおられよかってんだい。世の中には健康飲料だと称して己のおしっこを飲むやからがいるが、自分のでも躊躇すんのに、ましてや牛のおしっこだぜ。サムライだね。えらいもんだ。郷に入っては、リーに従えとはこのことだっ!(離婚したけど)さすがの私でもおしっこまでは飲めん。そこでドリアンだ。フリが長かったな。ドリアンを屁のにおいだとかウンコくさいとか言うやつは、牛のおしっこも飲めんくせにグタグタぬかすんじゃねー!(無茶苦茶)
 ドリアンは確かに強烈なにおいがする。バンコクの「ロビンソン」で買ったドリアンをリュックに隠し、日本に持って帰った。(見つかると税関で没収だからな)機内でもリュックを開けるとガスのにおいが漂うので、冷や汗もんだったさ。その密輸入したドリアンを会社の同僚が食べてみたいって言うので、親指大をアルミ箔で包み、ビニール袋に入れて会社に持って行った。ロッカー室で包みを開け、食べさせてやった。その後、会社の人が「ガスくさいぞ。ガス漏れしてるんちゃうか」と騒ぎ始めたのだ。本当のことを言うに言われず黙っていたら、誰かが電話したんだろうな。大阪ガスの車がやって来てガス漏れの点検をやり始めた。しばらく調べていたが、もちろん異常なしで帰っていった。恐るべし、ドリアン! 今でも会社の人には真実を伝えていない。でもさ、ドリアンアイスとかドリアンスナックとかドリアンキャンディーとかドリアン羊羹(がバンコクの伊勢丹で売っとるのだが、これはさすがに食したことはない)はうまいとは思わん。ドリアンの身上はにおいではなく、カスタードクリームを濃厚にしたような 、あのねっとりとした果実だ。これぞ、キング・オブ・フルーツ。ドリアンを食べるためだけに、タイに行く人の気持ちが私はよく分かるぞ。ドリアンを食べていると私は幸せになる。納豆やくさやの干物を好んで食べる日本人が、においだけで毛嫌いするのはどういうわけだ。
 マレーシアに行った時、屋台にドリアンを食べに行った。買ったその場で食べていると、「ドリアン、むっちゃ、うまいわ~」 「ほんま、最高やね~」という大阪弁が聞こえてきた。見ると、屋台のテーブルで女の子が二人、必死の形相でドリアンにむしゃぶりついていた。クアラルンプールは退屈な街だったが、その時の光景だけはよく覚えている。

元(ハジメ)管理人の感想文と皆様への伝達事項
 これは、どこというよりも複数の国々を旅行してきた思い出と食文化を混在させたお笑いエッセイの領域になるかもしれませんね。
 鯨の一件に限っては、すでに公表されている事柄もございますので、あえて割愛させていただきたます。 かなり、奇抜な情報が一部の識者によって発表されていますが、著作者の立場を尊重しますからあえて関与をいたしません。 言い換えると、有名なお話でもありますしね。 

 BSデジタル放送等で全国的に有名な世界ウルルン滞在記リターンズに限っては、周知の事実でしょうが新作は1990年代から2010年以前の平成20年代初期迄(畳語では非ず)しか製作されていませんが、再放送が行われています。(少数ながら特別番組が2010年代に製作されました)
今となっては、地上波で放映されていなくても、BSデジタル放送で幾つものテレビ番組が全国的に視聴しやすくなりましたね。
 そういえば、1990年代から平成10年代の期間だけ製作された映像作品も存在していますね。 竹〇力版のミナ○の帝○等です。 
 牛は、色々ありますね。 牛肉がおいしいだけではなく鶏や豚と比較して水を大量に用いる必要があるといったお話しもございますね。 個人的な見解ですが、長野県民は昆虫食が一般的らしいですが鶏が昆虫を食べたら良いと考えています。 ドリアン長野は、兵庫の隣の鳥取県出身です。 そういえば、ある島根県の主張で鳥取県の左隣といった主張があったが、個人的には「島根県は、兵庫の隣の隣。」と考えた方が近畿では理解されやすいと思います。
 ドリアンに限っては、少なくとも平成10年代以降、果物店やタイ料理店やタイランド食品専門店等で普通に販売されている果物だと思います。 無論、過去にインターネットショッピング等でご購入された人々も多いでしょうね。
 私の場合、「臭いから外で食べろ。」と家族に言われ本当にそうしました。
味はおいしかったです。 ガス会社はやってきませんでしたけどもね。

 一応、今月も新規投稿が行えました。 とりあえず、がんばっていきます。
 以上、ハジメでした。
 オマケ 
 以前(2010年以前の平成20年代)だが本当にガス漏れがほぼ隣接しているアパートで発生していた。 お風呂掃除をしている時に、地味におかしな匂いがしたのと少し息苦しさを感じた。 結局の所、ガス会社の従業員さん達がそれなりの工事をしていただいたから、何とかなった。 実際の所、ドリアンとガス漏れは区別しやすいが両者を知らないと難しいかもしれない。
 我が家の隣のアパートは、時々、洗濯機が壊れて漏水を発生させたりと問題が時々発生する。
 

特別に再度紹介する記事 2010年11月八日
2010-11-08 | Weblog
特別に再度紹介したい記事がございます。 昨今、日中間はあまりよろしい状況ではありません。平成10年代に本日紹介する記事を読まれた読者も多いでしょうが、
コチラをクリックしていただければ、幸いです。
 あえて下記の短文を除外し現時点において今回の伝達事項や感想文は、発表せず皆様の心中のご判断を持って置き換えさせていただきます。
 
 管理人ハジメ個人の考えですが、中国製の商品が日本から販売されなくなるかもしれませんが、日本の領海内の悪事ですのでそれなりの対処が必要です。
 早急に改善していただきたいが中国人は行おうとしないようです。
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#11 バンコクの魅力 (リターンズ)
2010-11-01 | Weblog
 「なぜタイがそんなに好きなのか?」 とよく尋ねられる。そのたびに考えるのだが、自分でもよく分からん。タイに移住している日本人にインタビューするというテレビ番組を観たことがあるが、そのインタビュアーが元モー娘の中澤ねえさんだった。中澤ねえさんが 「なぜタイが好きなんですか?」 と私も何度ともなく聞かれた質問をある日本人にぶつけた。その人は「ここでは戦わなくてもいいですから」と答えていた。う~ん、そうかもしれんな。何かにしゃかりきになってるタイ人なんて見たことがないぞ、私は。タイ人に限らず東南アジア人というのは(日本人から見て)物事を深刻に受けとめる能力が欠けている人が多い。バーツが大暴落しようが、エイズが蔓延しようが社会全体が重苦しくなったりはしない。
 私はスコールの時に、傘を持つ習慣のないタイ人と一つの軒下で雨宿りしたり、中華街でトラックから荷物の積みおろしをしている半裸の労働者を眺めたり、屋台引きのフルーツ屋からスイカかパイナップルを10バーツで買って歩きながら食べたり、夜、通りを歩いていてふいに後ろを見ると象がいるのに気づき、象使いから20バーツで買ったエサをやったり、朝、セントラル・デパートの一階にある「スタバ」でホット・チョコレートを飲みながら通りを眺めたり、たまには豪華にインドラ・リージェントホテルでバイキングの朝食をとったり、ディスコの帰り、深夜2時にロビンソンで飲み物を買ったりするのが好きだが、中でも一番好きなのがドンムアン空港からバスで市内に向かう時間だ。これだけのためにもバンコクへ行く価値があると私は思う。市内までの交通手段としては空港の前に鉄道駅があるし、エアポート・バスやもちろんタクシーでも行ける。以前、タクシーに乗ったらドライバーがホテルの所在地を知らなかったので、50メートルも走らないうちに降りた。すぐ別のタクシーに乗ると、そのホテルまで遠いから1150バーツだとぬかしやがった。高いと文句を言うと、今度は500だと言う。怒ってタクシーを止めさせて降りた。相場はだいたい、250から300バーツだ。3台目でやっと目的地までたどり着くことができた。私は一度お金の節約のために市バスに乗ってみて大いに気に入り、それからは必ずこれに乗ることにしている。
 空港を出て、大通りの前のバス亭で24時間運行のファランポーン駅行きの29番バスを待つ。なかなか来ねえなと少しやきもきするのも趣がある。やっと来たバスに乗り込むと、すでに車内は学生や労働者や主婦といった風体の人で一杯で、旅行者は私一人だ。安い航空券で日本を発てば、バンコクには深夜に到着する。深夜なのになぜいろんな階層の人がバスに乗っているのか、日本からやって来た旅行者には不思議でしかたがない。どんなに混んでいても女性車掌は新しく乗り込んできた人を見逃さない。運賃を徴収し(普通バスは深夜料金で5バーツ。エアコン・バスなら16バーツ)、ブリキ製の筒をパカパカいわせ、ロール状のチケットに切り込みを入れ、ちぎって渡してくれる。なんで車掌は太った人が多いんだ? バスがかなり揺れるから重心が安定するためにそういった女性を優先的に採用するのか? 等と考えているうちにバスは停留所を五つ、六つ通過し、ようやく座れるようになる。車内は窓を開けていても、むっとするほど暑い。汗がにじみ出るのを感じながら車内灯をじっと見つめていると、ボーッとなってくる。アセチレン灯のようなそれが縁日を思い起こさせ、幼い頃の記憶があれやこれやと浮かんでくるのだ?信号でバスが停まる。車窓から古びたアパートやコンビニが見え、ソイからひょいっと人が出てくる。何でもない光景だが、ひどく懐かしい。ああ、またこの街に戻ってきた、と心の中でつぶやく。スカイトレインの駅が見えてくるとバスはやがてパヤタイ通りを南下する。アジア・ホテルの前を通るともうすぐだ。ラーマ一世通りを左折すれば左に終点のファランポーン駅が現われる。運河の側の停留所に降りると、私にとってもうここは外国だという意識はない。故郷に帰ってきた、そんな感じだ。
 到着第一日目はカオサンに泊まるのもずっと変わらない。ここはタイらしくないと敬遠する人もいるようだが、私は商店街で生まれ育ったせいか、いろんな人たちがうろうろしているのは好きだ。遅くまでやっている屋台でカオ・トム(おかゆ)を食べ、コンビニで雑誌や飲み物を買う。バンコクに来た時の儀式のようなものだ。これも私の楽しみのひとつである。
 ある国や地域が好きになるということは言うまでもなく、その人自身が何に反応するかという内面の問題だ。私のように瑣事に喜びを感じる人間は 「なぜタイが好きなのか?」 という質問には 「行ってみれば分かるよ」 としか答えられない。

元(ハジメ)管理人の感想文と皆様への伝達事項
 この海外旅行記は、例のごとく1990年代から平成10年代にかけてのお話しだと言う点については、ご理解ください。 
 タイランドも、諸外国と同様に国境紛争は抱えています。 北部のカレン族(その中のパダウン族は首が長い女性達で有名)の難民や南部のマレー系の独立運動等深刻な社会問題は、存在しています。 バンコクに限っては、のんびり出来るようです。 
 バスとタクシーの料金に格差があるのは日本もタイランドも同様のようです。 但し、日本の場合法律が存在しているから不正請求は無いかもしれません。 遠回りはさせられるかもしれない。 
 また、通貨価値は暴落した場合輸出競争力が強まるから完全否定はし難いと思われます。 実際にタイランドからたくさんの食料品を日本は輸入しています。
無論、どこの会社が日本へ輸出するかの競争は少なからず存在していますから、国境紛争だけではなくて経営上の戦いも存在しています。
 平成20年代になって発生し激化している、タイランド国内の騒乱は2010年代に終結するか否かは誰にも分かりません。
 実際に机上の空論を支持するよりも、実行に移すのも肝要と感じさせる海外旅行記ですね。 可能であれば、タイランドに旅行されても構いませんが前述したばかりか半ば周知の事実ですが将来的に再度タイランド国内で混乱が発生しないとは言い切れないので自己責任でご決断ください。 今のところ、私自身の勝手な考えですが推奨は難しいです。 冒頭で述べたように、1990年代から平成10年代にかけてのタイランド旅行記なんです。 その時期は、最近と比較して、まだ平和でした。
 来月の、ドリアン長野の海外旅行記(リターンズ)もお楽しみに。

タイランド旅行記についてはコチラをクリック

メリークリスマス 2010年
2010-12-25 | Weblog
 メリークリスマス2010
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#12 大都会バンコク (リターンズ)
2010-12-01 | Weblog
 友人をバンコクに連れていくと、必ずこう言う。 「バンコクがこんなに都会だとは知らなかった。」
(次にくる言葉は「タイ人がこんなにオシャレだとは思わなかった」だ)
 そんな時、私は内心思うのである。どうだっ、驚いたかっ。なめんじゃねーぞって、なにも私がムキになることはないんだけどさ。スカイトレインから景色を眺めていると、マンハッタンのセントラル・パークかと思っちゃうような場所もあるし、この前なんか世界一高いホテル、バイヨーク・スカイの展望台から夜景を見たら、さすがの私もびっくりしちゃったよ。
 「おおっ、すごい。私はこんな大都会をあっちに行ったり、こっちに来たり、うろうろしてたのか」
 バンコクの人口はスラムの住人や地方からの労働者を合わせると、1千万人を超えるといわれる。日本人は不法滞在者を入れると3万人が住んでいるそうだ。ある意味ではバンコクは東京やシンガポール(行ったことないけど)以上の大都市であり、欧米型の都市とはあきらかに違う。
 第一に、あの厳しい気候だ。ニューヨークや最近の日本の夏もかなり暑いが、タイの季節は雨期と乾期しかない。バンコクに限って言えば、ほとんど毎日が暑い。関西人がアホなのは小さい頃からお好み焼きやうどんやたこ焼きといった小麦粉食品を大量摂取しているので、全身のみならず、脳も炭水化物化しているからだという説があるが、東南アジア人がボーッとしているのも毎日暑いからである。昼過ぎになるとあちこちの店先では店員がだら~っと犬のように眠りこけている。シエスタなどというかわいいもんではないな、あれは。スコールになると、降水量が多いのか、水はけが悪いのか、街中が水浸しになる。そんな時、ここは東南アジアにできた都市であるということを実感するのである。
 第二に、なんといってもあのタイ人だ。バンコクにも、もちろん悪人はうじゃうじゃいる。コンビニで売られている「クライム・ニュース」という雑誌には殺人事件の被害者の惨殺死体がばんばん載っていて、これが微笑みの国の人間のやることか~っと思うのだが、大抵のタイ人というのは人がいいというのか、細かいことは気にしないというのか、早い話がぬけている人が多い。ファランポーン駅構内にコンビニがあるのだが、そこに野良犬が入り込み、奥で涼んでいた。警備員がやって来て、追い出すのかなと思っていたら、しゃがみこんで犬の頭をなでてやっていた。(日本では想像しにくい光景じゃありませんか、皆さん)
 発展途上国や中進国の警官は国民から賄賂を要求するのが公然となっているが(タイでも、もちろんそれは日常茶飯事だ)、バンコクで軽犯罪を犯した三人の大学生が罰金を持っていなかったので、その代わりに警官が彼らに腕立て伏せをやらせたという様子が新聞記事になったことがあった。(そういうことが記事になって、話題になるということ自体が中進国らしいね)
 先進国で同様な処置をしたら前近代的だとか、人権問題だとか姦しいだろう。私は西欧民主主義から観た、前近代的といわれることが間違っているとかは思わないけどね。
 先日、関空に行くためにタクシーに乗っていたら、運転手の奥さんと娘さん(名門タマサート大学を次席で卒業した才媛。日本人としては始めての快挙らしい)はバンコクに住んでいるという話になった。若い頃、建築作業員として海外を転々としていたが、タイが気に入り、住みついてしまったらしい。日本にはお金を稼ぐために単身帰国して、1日も休まずに働いているそうだ。
 「来年には仕事をやめて、タイに戻るつもりです。日本は嫌です。やっぱり私にはタイの水が合ってるんでしょうなあ。でもたった一つだけ、タイには悪い所があるんですよ。実は私、ドンムアン空港の近くに家を持っとたんですが、空港を拡張するっていうんで土地ごと没収されてしまったんですわ。弁護士を雇って国と争ったんですが、一銭の補償もなしです。あの時は参りました。それだけです、嫌な所は。タイ人はいい人間なんですけどね」
 今はバンコク市内にアパートを三軒持っているそうだ。タイ人はぬけている奴らばかりだが、国はぬけていなかったらしい。それよりも、そんな目に会ってもタイが好きだという彼の気持ちが私にはよ~く分かって、ちょっぴり感動しちゃったぞ。
元(ハジメ)管理人の感想文と皆様への伝達事項
 一応、関東が世界で最も多くの人が住む一帯らしいです。
 治安はやはり良くないでしょうね。 案外、バンコクだけではなくて南部の紛争を取り上げているかもしれません。
 やはり、カントリーリスクは存在していますね。 成田空港の時と同じような出来事がタイランドでも発生していたようです。 

 来年の、ドリアン長野の海外旅行記(リターンズ)もお楽しみに。


タイランド旅行記についてはコチラをクリック

1月27日(木)のつぶやき
2011-01-28 | Weblog
22:04 from goo
コメントは嬉しいが、内容は問います #goo_durian-nagano http://bit.ly/fGI2PZ
by duriannagano on Twitter
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コメントは嬉しいのですが 平成23年1月
2011-01-27 | Weblog
 コメントは嬉しいのですが見当違いの内容が書き込まれたから、発表は控えておきます。 ドリアン長野は、あーいった内容(不良社員の愚痴)を余り好みません。 以前は、良い感想文がメールされてきたそうです。 それとここのところ毎日新規投稿していますが恐らくはよほどの大きな変化が無い限りは以前のように月に一回以上の回数にしておきます。

 以上、元(ハジメ)管理人でした。
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1月26日(水)のつぶやき
2011-01-27 | Weblog
22:58 from goo
二者の変更 #goo_durian-nagano http://blog.goo.ne.jp/durian-nagano/e/71aef4e4929aeaf9019d68ef63ec7b76
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1月25日(火)のつぶやき
2011-01-26 | Weblog
23:41 from goo
万が一 #goo_durian-nagano http://blog.goo.ne.jp/durian-nagano/e/9420b0fe5f5eb0eb975eb2fab8da73b8
by duriannagano on Twitter
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万が一 平成23年1月
2011-01-25 | Weblog
 万が一の事態について表明しておきます。 ドリアン長野には、元気になったら返答を下さいと連絡しましたので元気になったら返答があるかとは思います。
世間一般では、故人の意思を引き継ぐホームページが幾つも存在し管理人の決断でホームページが継続するかどうかといった具合です。 
 当面は、このまま継続していきます。
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1月24日(月)のつぶやき
2011-01-25 | Weblog
18:10 from goo
ドリアン長野インフルエンザ、ナウ。 #goo_durian-nagano http://bit.ly/hhxacc
18:20 from goo
今後について #goo_durian-nagano http://blog.goo.ne.jp/durian-nagano/e/14ef6bbfd6640c351b8aa2d58da5978a
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ドリアン長野からの連絡 平成23年1月24日
2011-01-24 | Weblog
 インフルエンザでダウン。ツイッターについては今後も時間的余裕がなく、書き込みできない

上記の連絡がありました。2010年代始めてのこの場での書き込みのようなものです。こちらでの更新が行われると、ツイッター上でも確認が行えるといった具合です。

 以上、元(ハジメ)管理人でした。
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ドリアン長野インフルエンザナウ
2011-01-24 | Weblog
 ドリアン長野インフルエンザナウ。本当に急病になったようです。メールで連絡がありました。皆様、体調不良にはお気をつけ下さい。
以上、管理人元でした。
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1月23日(日)のつぶやき
2011-01-24 | Weblog
23:51 from web
フォローしました。
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1月22日(土)のつぶやき
2011-01-23 | Weblog
16:03 from web
テスト
16:09 from goo
大丈夫かな? #goo_durian-nagano http://bit.ly/etVPlg
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これでどうにかなったかな? 平成23年1月22日
2011-01-22 | Weblog
これでどうにかなったかな? 平成23年1月22日から、一応、ツイッターが行えるようにしました。 これからは、連動していきます。
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今、ツイッターの手続きをしています 平成23年1月
2011-01-22 | Weblog
今、ツイッターの手続きをしています。 少し、面倒ですがやってみます。
これからは、ブログだけではなくて、ツイッターでドリアン長野の海外旅行記が読めるかもしれません。
以上、管理人ハジメでした。
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注目されている梶原一騎
2011-01-16 | Weblog
 最近、梶原一騎が注目されているので当ブログも注目されていました。
2011.01.14(金) 50 PV 37 IP - 位 / 1521134ブログ
2011.01.13(木) 45 PV 35 IP - 位 / 1520791ブログ
2011.01.12(水) 81 PV 48 IP - 位 / 1520292ブログ
2011.01.11(火) 139 PV 49 IP - 位 / 1519892ブログ
2011.01.10(月) 44 PV 40 IP - 位 / 1519498ブログ
今年の6月に少し衝撃的な海外旅行記のリターンズを公表します。実際には、平成10年代に公表している内容なので周知されているとは思います。
 強調しておきますが、やはり平和であるばかりか治安は良い状態を保持し継続しないといけません。
 又、当ブログは1990年代から平成10年代(*1)にかけてドリアン長野が実体験した海外旅行記のブログです。平成20年代の海外旅行記は残念ながら新規投稿が行えない状態です。 代わりに、感想文を追加し代筆しているような状態です。
 以上 元(ハジメ)でした。

 *1 西暦1998年から2007年の期間が平成10年代です。 2000年以降の平成10年代は、8年間。1990年代末期と平成10年代を兼ねた(平成10年代初頭)時期は、二年間。 色々とありましたね。
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#13ネパール(リターンズ)
2011-01-01 | Weblog
 カトマンズの朝は早い。そして寒い。ここ、バサンタプルの広場でも早朝から何することもなく人々がたむろしている。オーストラリアから来たという女の子が物乞いをする少年に仏心を出し、パンケーキを買ってやった。それを他のガキどもが見逃すわけはない。「僕にも、僕にも」と彼女を取り囲む。困惑顔の彼女はしかし、近くにいた大人がたしなめたおかげで事なきを得た。ああくわばら、くわばら、桑原和男(吉本のギャグどぇす)。寒いのでギャグも寒い。それにしても遅い。さっきから誰も来ない。なぜ私がこんな所で待ちぼうけを食っているかというと、今からさかのぼること昨日のことだ。
タメルで一泊した私はジョッチェンに投宿しようと昼前にここにたどり着いた。そして広場の入口にある貸し自転車屋の前の絵看板に目が釘付けになってしまったのだ。こっ、この一見ヘタだがよく見るとやっぱりヘタな絵は極真会館の松井館長ではないかっ。ほれっ、その証拠に極真マークもちゃんと描いてあるぞ。なにを隠そう、私は極真空手家だ。夢はムエタイ・ボクサーとルンピニー・スタジアムで戦うことだ。ちなみに子安慎悟?(あれっ?)のファンだ。ここってもしかしなくてもネパール支部じゃん。これも何かのお導き、天国の大山総裁、ありがとうございます、押忍っ。カラテ道場を知らないかとそこら辺の人に聞いてまわったが、誰も知らん。そうしている内に60歳くらいのお爺が出て来て言った。 「道場なら閉鎖して去年ニューヨークに引っ越したよ」
 何でネパールの道場がニューヨークに引っ越すんじゃい! と今ならつっこむところだが、生憎その時の私は冷静さを失っていたので心底、落胆した。せめて閉鎖した道場でも見たいと所在地を聞くと、このじっさま知らんとぬかしよる。何でやねん! 筋が通らへんやないけ! と今ならつっこむところだが、私はあせって平常心を失っていた。しばらくすると、じっさまはまわりの人に何ごとかを尋ね、郵便局に行こうと促すのだ。何でやぁ~~っっ?! しかし、頼みの綱はこのじっさましかおらん。大人しくついて行くと、うしろからガタイのいい男が追っかけて来た。 「僕の弟は黒帯で指導員をしてたんだ。僕自身は結婚して忙しくなったので茶帯でやめてしまったけど」 そうか、そうか。君がそうなのか。会いたかったぞ。我々は再会を約束し、そこで別れた。聞きたい話はたくさんあるが、まずホテルを確保しとかんとな。ホテルにチェックインする時もなぜかじっさまはついて来て街を案内してくれた(とはいっても広場とショッピング・センターだけだがな)。バサンタプルに戻り、さきほどの男と話をしていると彼の弟の黒帯空手男(クマルという名前)と奥さんがやって来た。奥さんは台湾人で、ネパール旅行中にクマルと知り合ったそうだ。二人はこの広場で露店商として土産物を売っているのだ。私とクマルはカラテについて飽くことなく、何時間も語り合った。奥さんは傍らに座っていて時おり会話に加わった。クマルの影響でカラテに詳しくなっているらしい。
 じっさまが再び現われて、「あっちで待ってるから」 と言った。このたわけた子泣きじじいめ。わしが何のために世界中で何度も何度も何度も(泣)騙され続け、何回も何回も何回も(号泣)金をまきあげられたと思うてけつかんねん! てめえの悪だくみなんぞ、こちとらお見通しでい!(我ながら気づくのが遅いっちゅうねん) 無視するとじっさまはいつの間にかいなくなった。あまりクマルの商売の邪魔をしては悪い。 「またあとでね」 と腰を上げ、近くのガキんちょたちにババぬきを教えて遊んでいたら、今度は見るからに怪しそうな男に肩を叩かれ、ついてこいと声をかけられた。てめえ、じじいの仲間か、と警戒心を抱きながらもついていった。それにしても人相悪いぞ、この男。私は5、6人の男女がたむろしている場所へつれてこられた。なによっ、あんたたち、変なことしたら大声だすわよっ。 
 「私たちはキョクシンカラテのメンバーです。オス!」 なんだ~、びっくりさせんじゃないわよ~。でも良かったわ、会えて。みんなに、すぐ近くにある彼らの先生(三段)のアパートまで案内してもらった。先生は8畳ほどの部屋に妻子と住んでいるのだが、壁の到る所にカラテの賞状が飾られている。何冊もあるアルバムは稽古や試合の写真ばかりだ。私(長野)は猛烈に感動した! この地でこんなにも極真カラテを愛している男がいたことに!! (梶原一騎調でお読みください)
 一週間後に試合があるからビザを4日間延長してカラテを教えてくれと懇願されたが、私は真面目なリーマン・パッカーだ。帰国して職を失ったら家賃が払えん。残念ながら断ると、それじゃあ、明日道場生とピクニックに行くから一緒に行きましょうと誘われたのだ。
 7時の予定が結局8時半に出発した(ネパールタイムだそうです)。8人が幌付きのトラックの荷台に乗って。みんなの顔を見ると何だかヤクザの出入りか自衛隊の演習って感じぃ~。着いたダクシンカリはヒンズー教の寺院で神サマに捧げるためにヤギの首をはねるそうだが本当にはねていた。ピクニックといってもネパール人は弁当なんぞ持っていかん。材料を持参して現地で料理する(もちろんカレーっす)。トラックに積んでいたバカでかいインド製のカセットでダンス大会をするつもりだったらしいが、シャイなネパール人は誰も踊ろうとしないのだ。ここでも私が得意のダンスを披露して、皆の尊敬を一身に集めたのはいうまでもない。
  翌朝、バサンタプルを歩いていると誰かに聞いたのか、「僕もキョクシンカイです」と佃煮にできるほどのガキんちょ、いや少年たちに声をかけられた。そういうわけで朝からこの広場にはあっちこっちで気合いがこだまするのであった。オッ~~ス!
元(ハジメ)管理人の感想文と皆様への伝達事項
 明けまして、おめでとうございます。
 ドリアン長野は、本当に空手家です。 ネパールでも価値観を分かち合ってきたそうです。 何かの共通点があると人は仲良くなりやすいですね。
 ただ、ネパールと言えば、政変がありました。 平成10年代は、王政でしたが平成20年からはそうではなくなりました。 我々は、内政干渉は行えないであろう。 実際にネパールに詳しい日本人に話を聞きましたが、そういった返答でした。 
 これは、実体験のお話しだが確か90年代のある日だったと思うが宅配ピザを発注した所、ご近所のお子様達がピザを一枚くれと叫び始めたのを連想する。
2000年以降の平成10年代のある日以降、日本の治安が悪化しているからなのか、したからなのか、私を理解したからか、彼等が大人になったからなのかは全く分からないが、馬鹿げた質問をされることは無くなったから良かった。 最近の日本人は、罪悪感が欠落した悪人が増加してきて社会問題になっているが元々は馬鹿げた発言をする人間に問題がある。
 何らかの国際的な団体に自分自身が所属していて、諸外国に赴き同じ志を持つ人々に出会うと嬉しい気持ちになると思います。 確かに色々と生活習慣等で違う点は多いが共通点が存在すると話しが合うんでしょうね。 皆様は、どうですか? 来月のドリアン長野の海外旅行記(リターンズ)をお楽しみにお待ちください。

ネパール旅行記についてはコチラ
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