エジプト入国(カイロ:エジプト)
エジプト
2004.12.18(土)
12月17日に日本を出国。目的地はエジプトのカイロ。
思い起こせば最後に海外に行ってからもう10年近く経過している。その時に周ったのはヨーロッパだけだ。
今回行くアフリカ大陸は私にとって全くの未知の場所だ。期待と不安、緊張と興奮、様々な感情が私の中を駆け巡っていたが、日本を出国して10時間、モスクワ空港に着くまでの間は準備の疲労もあって食事以外は殆ど寝てしまっていた。
利用している航空会社はアエロフロート、奇しくも以前日本に帰国する時に使用したのと同じ会社となる。
モスクワでのトランジット、おぼろげながら記憶が蘇る。
『またこの場所に足をつけているんだ・・・』
3時間のトランジット時間を経て飛行機は出発、カイロに到着した時には既に日付は18日に変わり、深夜0030時となっていた。
空港で簡単にビザが取得出来るのだが私はわざわざ日本で取得していた。
金額は7000円、マルチ(複数回入国可能)が欲しかったのだが発効日から有効になる1ヶ月ビザ。
これなら空港で15ドルだして一ヶ月ビザを取れば利口なのだが知らなかったのでしょうがない。
イミグレーションを通過して空港に出る。いよいよアフリカの第一歩が始まったのだ。
当座の金を空港の銀行で両替する。レートは良く分かってないが、取り敢えず額面通りにきっちりと渡される。
『さて・・・』
空港のロビーに出た時はもう0100時を回っていた。
私の姿を目にすると数人エジプト人がやってきて、タクシーやシェアバスの勧誘をしてきたがそのつもりは無かった。
深夜に見知らぬ、それも初めての地で動き回るのは得策とは思えない。朝一番のバスで市内に出てホテルを探すつもりだった。
私の出発した次期は学生の休みの次期と重なりまたカイロもメジャーな観光地である為、同じ様な考えをもった日本人の旅行者が3人いて彼らと一緒にロビーでそのままバスを待つことにする。最初の段階で仲間がいるのは心強い。
待つ時間は暇なので荷物の監視の事もあるから容易にお互い打ち解けあう事が出来た。
旅の初日からこうして仲間と巡り会えるとは幸運だ。
私はふと思う。
(人との出会いは不思議なものでこうして偶然であった年齢も経歴も違う4人が終生忘れえぬ友となっていくとは・・・)
やはり人生は不思議に満ちている・・・
4人で街まで始発のバスで行きタフリール広場のバスターミナルで降立った時、3人からこう問いかけられる。
「日本人宿で世界一有名なサファリホテルに行って情報を集めてから行こうと思うんですけどご一緒にどうですか?」
『そんなホテルがあるんですか・・・』
見知らぬ土地に降り立って情報収集は急務だ!
アフリカ周遊の第一歩にエジプトを選んだのもここなら色々と情報が取れるだろうと考えていた事もある。
渡りに舟といった提案だったが・・・
私には一つ引っかかることがあった。
『何故日本を離れた直後に日本社会に行かねばならんのか?』
という事である。
情報収集は確かに必要だが・・・この時はどうしても日本人宿に行く気が起きなかったのだ。
申し出を丁重に断り、私一人別のホテルへ向かう。
結局名前交換すらしないで別れたので我々は終生の友などにはなりようもなかった。
やはり人生は不思議には満ちていなかった・・・
ちなみにもう顔すらも覚えてませんごめんなさい。写真1枚皆で撮っていたのに・・・・
かくしてこれからの長いかもしれないが良く分からないアフリカでの旅路が始まったのだ・・・
エジプト
2004.12.18(土)
12月17日に日本を出国。目的地はエジプトのカイロ。
思い起こせば最後に海外に行ってからもう10年近く経過している。その時に周ったのはヨーロッパだけだ。
今回行くアフリカ大陸は私にとって全くの未知の場所だ。期待と不安、緊張と興奮、様々な感情が私の中を駆け巡っていたが、日本を出国して10時間、モスクワ空港に着くまでの間は準備の疲労もあって食事以外は殆ど寝てしまっていた。
利用している航空会社はアエロフロート、奇しくも以前日本に帰国する時に使用したのと同じ会社となる。
モスクワでのトランジット、おぼろげながら記憶が蘇る。
『またこの場所に足をつけているんだ・・・』
3時間のトランジット時間を経て飛行機は出発、カイロに到着した時には既に日付は18日に変わり、深夜0030時となっていた。
空港で簡単にビザが取得出来るのだが私はわざわざ日本で取得していた。
金額は7000円、マルチ(複数回入国可能)が欲しかったのだが発効日から有効になる1ヶ月ビザ。
これなら空港で15ドルだして一ヶ月ビザを取れば利口なのだが知らなかったのでしょうがない。
イミグレーションを通過して空港に出る。いよいよアフリカの第一歩が始まったのだ。
当座の金を空港の銀行で両替する。レートは良く分かってないが、取り敢えず額面通りにきっちりと渡される。
『さて・・・』
空港のロビーに出た時はもう0100時を回っていた。
私の姿を目にすると数人エジプト人がやってきて、タクシーやシェアバスの勧誘をしてきたがそのつもりは無かった。
深夜に見知らぬ、それも初めての地で動き回るのは得策とは思えない。朝一番のバスで市内に出てホテルを探すつもりだった。
私の出発した次期は学生の休みの次期と重なりまたカイロもメジャーな観光地である為、同じ様な考えをもった日本人の旅行者が3人いて彼らと一緒にロビーでそのままバスを待つことにする。最初の段階で仲間がいるのは心強い。
待つ時間は暇なので荷物の監視の事もあるから容易にお互い打ち解けあう事が出来た。
旅の初日からこうして仲間と巡り会えるとは幸運だ。
私はふと思う。
(人との出会いは不思議なものでこうして偶然であった年齢も経歴も違う4人が終生忘れえぬ友となっていくとは・・・)
やはり人生は不思議に満ちている・・・
4人で街まで始発のバスで行きタフリール広場のバスターミナルで降立った時、3人からこう問いかけられる。
「日本人宿で世界一有名なサファリホテルに行って情報を集めてから行こうと思うんですけどご一緒にどうですか?」
『そんなホテルがあるんですか・・・』
見知らぬ土地に降り立って情報収集は急務だ!
アフリカ周遊の第一歩にエジプトを選んだのもここなら色々と情報が取れるだろうと考えていた事もある。
渡りに舟といった提案だったが・・・
私には一つ引っかかることがあった。
『何故日本を離れた直後に日本社会に行かねばならんのか?』
という事である。
情報収集は確かに必要だが・・・この時はどうしても日本人宿に行く気が起きなかったのだ。
申し出を丁重に断り、私一人別のホテルへ向かう。
結局名前交換すらしないで別れたので我々は終生の友などにはなりようもなかった。
やはり人生は不思議には満ちていなかった・・・
ちなみにもう顔すらも覚えてませんごめんなさい。写真1枚皆で撮っていたのに・・・・
かくしてこれからの長いかもしれないが良く分からないアフリカでの旅路が始まったのだ・・・