中国の結婚式に行って来ました
最近30会から投稿が無いので余り長期間開店休業はよろしくないので手前味噌ですが当ブログの家主である池田が昨年8月と今年5月に相次いで中国の結婚式に参列してきたので簡単にご紹介します。
何れも当地岡山大学大学院で博士号を取得した姑娘と現在修士で目下博士課程後期に在学中の姑娘の結婚式です。
1人は私の同郷(中国遼寧省丹東市=中鮮国境の街、朝鮮半島の付け根、鴨緑江の最下流)で他の1人は石家庄(河北省の省都で北京のすぐ南)出身でともに私の中国語の先生だった留学生です。
先ず最初は昨年8月に行った時の模様を簡単にご紹介しましょう。
結婚式は暑い最中の8月13日丹東の北隣街の本渓市恒仁と云う田舎で行われたのですが其の前日に新娘(新婦のこと)の実家(丹東市寛甸の一山超えた山中の村)で村人のほぼ全員の200名ほどを3交代で招待するガーデンパティーがありました。
翌日の本渓市恒仁での結婚式も、田舎の事なのでホテルが無い為道路沿いにある新郎の生家の前の急造のステージで行う青空結婚式でした。
式の模様は最近の日本の所謂人前婚と殆んど変わりはありませんでした。三三九度の様なシャンペンによる儀式や誓いの言葉、指輪の交換等があって最後はお互いの親への感謝の言葉と花束贈呈でした。違うところは神主ではなくプロの司会者が仕切っていたことでしょう。
私は式後の会食までの間に中国の御目出度い曲や民謡をハーモニカ演奏しました。此処でもお客は200名ほどが招かれていて何か所かに分かれて賑やかにご馳走をふるまわれていましたが新郎新婦は各卓を回るので暑い最中大変だったと思います。
最近30会から投稿が無いので余り長期間開店休業はよろしくないので手前味噌ですが当ブログの家主である池田が昨年8月と今年5月に相次いで中国の結婚式に参列してきたので簡単にご紹介します。
何れも当地岡山大学大学院で博士号を取得した姑娘と現在修士で目下博士課程後期に在学中の姑娘の結婚式です。
1人は私の同郷(中国遼寧省丹東市=中鮮国境の街、朝鮮半島の付け根、鴨緑江の最下流)で他の1人は石家庄(河北省の省都で北京のすぐ南)出身でともに私の中国語の先生だった留学生です。
先ず最初は昨年8月に行った時の模様を簡単にご紹介しましょう。
結婚式は暑い最中の8月13日丹東の北隣街の本渓市恒仁と云う田舎で行われたのですが其の前日に新娘(新婦のこと)の実家(丹東市寛甸の一山超えた山中の村)で村人のほぼ全員の200名ほどを3交代で招待するガーデンパティーがありました。
翌日の本渓市恒仁での結婚式も、田舎の事なのでホテルが無い為道路沿いにある新郎の生家の前の急造のステージで行う青空結婚式でした。
式の模様は最近の日本の所謂人前婚と殆んど変わりはありませんでした。三三九度の様なシャンペンによる儀式や誓いの言葉、指輪の交換等があって最後はお互いの親への感謝の言葉と花束贈呈でした。違うところは神主ではなくプロの司会者が仕切っていたことでしょう。
私は式後の会食までの間に中国の御目出度い曲や民謡をハーモニカ演奏しました。此処でもお客は200名ほどが招かれていて何か所かに分かれて賑やかにご馳走をふるまわれていましたが新郎新婦は各卓を回るので暑い最中大変だったと思います。