朝日高校30年卒の談話室

朝日高校30年卒の皆さんの情報交換の場です。〔投稿はpj8t-ikd@asahi-net.or.jp池田迄〕

日本長春会刊行文集「新京・長春の記憶」

2010-03-31 13:56:38 | Weblog
些か旧聞に失するが去る3月10日だと思うが山陽新聞の文化部の記者より突然電話インタビューを受けた。何事かと思ったら昨年旧満州(現中国東北地部)の首都新京(現吉林省長春)からの引揚者らでつくる「日本長春会」が創立60周年記念事業の一端として「戦争の愚かさや多くの民衆が被った種々の悲しみを歴史に埋もれることなく子や孫に伝えよう」と会員に呼びかけ88人がその記憶を応募した。「新京・長春の記憶」がそれである。私も拙文を投稿した。本年に入って共同通信により全国にその記事が配信され山陽新聞にも3月13日の文化欄に関連記事が記載された。実はその記事にわずかに私に関する事も載っているので紹介したい。(記事全文はマイブログ3月13日に、投稿文は同ブログ=「鴨緑江の街丹東生まれのブログ」06年12月7日「自分史第2部」として記載してあるので興味ある方は見てください。尚文集をお読みになりたい方は私までお申し出くださればお貸しします。)池田武久記

同期の快挙 藤原清一郎君マラソン完走 

2010-03-05 12:23:28 | 同級生の活動
二月二十八日「東京マラソン2010」を完走した。朝から本降り、北風、気温5℃、スタート1時間前からスタートブロックに待機し雨に打たれ水浸しの路面に佇み、心身は冷え切る。スタート号砲聞こえど動かぬ。やっとスタートラインを越えたのは十分過ぎ、新宿目抜き通りを四谷、飯田橋から一橋、竹橋、皇居前、日比谷通りを品川で折り返し、日比谷から銀座、日本橋を経て浅草橋、浅草雷門前で折り返し再び銀座、歌舞伎座前通りを佃大橋、月島豊洲へ、お台場東京ビックサイトがゴールと都心の観光スポットを走って巡るコースは楽しみだったが雨では半減。足が滑らぬよう、水溜りを避けるため視線は路面に落ちる。
浅草折り返し後に水溜りを避けるため斜行したおり後続ランナーがぶっつかり転び、立ち止り足を点検し念のため足首にテーピング、以降は痛む足を庇いジョギングペースにスローダウン、佃大橋上り下りは歩く始末。月島、豊洲に入ると雨は上がり晴れ間が覗き、レインウエアーを脱ぎラストスパートにと気合入れるが足が思うようには動かぬ。そのままお台場に入る。フィニッシュ直線は陽光が燦々とさし明るい。仮設スタンドは人が一杯、まさにランナーの桧舞台、余力を振り絞り全力で走り優勝者のように両手を上げゴールした。
若い女性からフィニッシュタオルを肩に、完走メタルを首に掛けられると疲れは吹っ飛んだ。
マラソンは人生そのものと云われる。追い風に押されることもあれば、逆風に曝されることもある。上りあれば下りもある。思わず口笛が出る楽しい時もあれば涙が出るほど辛いときもある。天国も地獄も味わう。ただマラソンは挫けず頑張って前に進めば、必ず栄光のゴールが待っている。吾は確信する、マラソン愛好家は人生に挫折しても決して自殺などしないと。
”東京が一つになる日”大勢のボランティアに支えられ、飲物、バナナ、パン、飴にお菓子、救助所、トイレも各所に配置、三万五千人ランナーをスムースに捌く手際よさ、絶え間ないランナー応援の掛け声、最高のマラソンレースです。
目標の四時間三十分はアクシデントで大幅ロスタイムがあって終盤は放念して走るより雰囲気、風景をエンジョイする方に徹したこともあって五時間を超えた。四時間半オーバーはいままでにない。老いたりとは思わぬ、悔しい。
自分では過去二十回以上の完走に一つ加わったにすぎないと思っていたが、行きつけのスポーツクラブ仲間や高校、大学、会社同期仲間から「元気を貰った」「同期の誉れ」など思いほか賛辞が寄せられ恥じらう。七十三歳の挑戦と完走は「年の功」か。
今回の東京マラソンをフルマラソンのラストランと考えていたが、年齢別表彰があると聞き、七十五歳時にもう一度走り七十五歳以上部門の上位入賞を狙おうかと気持ちが湧く。
「与えられた個々人の限界の中で、少しでも有効に自分を燃焼させていくこと、それがランニングと云うものの本質だし、それはまた生きることのメタファーでもあるのだ」(村上春樹著『走ることについて語るときに僕の語ること』文芸春秋社)
藤原清一郎(水島ゴム工業用品㈱顧問、横浜ゴムOB,ゴム子年会会員)