朝日高校30年卒の談話室

朝日高校30年卒の皆さんの情報交換の場です。〔投稿はpj8t-ikd@asahi-net.or.jp池田迄〕

中国の婚礼(2)

2013-07-07 12:39:07 | 同級生の活動
もう一つの中国の結婚式

昨年8月に次いで今年も5月1日に河北省の省都の石家庄まで結婚式に出かけてきました。石家庄は北京から開業したばかりの新幹線で1時間と少々の所にあります。
新娘(新婦)は元私の中国語の先生で岡山大学大学院の留学生で現在博士課程後期在学中です。一方新郎は偶然ですが私の大学の若き後輩と云う二重の縁のある結婚式でした。
近時石家庄は大気汚染が酷く当時鳥インフルエンザが流行しており更に日中間は尖閣問題で対日感情が良くない時でしたが義理と好奇心に抗し切れず行ってきました。
臨空タウンに前泊して関空より新郎の一族と一緒に北京に向かいましたが北京が初めての彼らに頼りにされたのには些か面はゆいい感じでした。
我々は予定通り莫迦でかい北京空港に到着いて歩いたり動く歩道に乗ったり更にモノレールにも乗ってやっとバゲージを受け取り出口に向かった。そこで出口と思しき通路に「入り口」と云う立札が立っていたので一行皆首をかしげた。そこで私は丁度通りかかった飛行機のクルーと思しき人に入り口の立札を指さして聞いたら出口への通路の入り口だと教えてくれた。なんとややこしいことではある。こんな立札は無いほうが良いのではと思った次第です。
こうして我々一行は無事出口を出たが迎えに来ている筈の新娘(新婦)と新郎の姿が見えないのでやや焦ったが何と二人とも近くでのんびりコーヒーを飲んでいたと云って間もなく駆け付けて来た。
かくして一考13名は小型バスで石家庄へ向かったが新幹線なら1時間と少しのところ4時間を要して日暮真近にやっとホテルへ着いた。私は新娘にひつこく防塵マスクを携帯するよう云われていた大気汚染は運良く年に何日もない位の青空の見えるほど好天気で拍子抜けした。
この夜は前夜祭とかで新郎の一族と私は新娘一族との顔合わせの晩餐会がありお互いのプレゼントの交換があったので私は祝儀とは別に新娘の母親が熱心な仏教徒と聞いていたので用意していた玉の数珠を贈った。母親から私へは白、紅の2着のチャイナ服をプレゼントされた。
さて翌日の午前中は新郎、新娘は正装して婚礼後2人が過ごす部屋へ両家一行と私ともう一人彼女の好朋友(親友)で結婚式の通訳を勤める何曉麗(私と同郷)を招いて様々な中国の婚前の儀式があった。と云っても特に珍しいものではなかった。この時私は頂いた白いチャイナ服を着た。
この後はいよいよ婚礼が始まった。ホテルの大きな部屋を埋め尽くした招客は優に200名を超す賑やかさで3時間に及ぶやや長い婚礼の最後は新郎、新娘が20卓にも及ぶ招客のテーブルを廻って酒と煙草のサービスがあった。私は司会者の指示でまるでBGMの如く舞台に上がって吹口琴=ハーモニかを吹いた。吹いた曲は中国の御祝の曲である「大地回春」や中国で最も有名な日本の歌「北国之春」だった。私は少なからず恥ずかしいく思ったが新娘の母親のたっての希望で真紅の中国服を着て吹口琴した。総じて婚礼の様式は前回と大差なく日本の人前婚ともほぼ同様でした。
わざわざ日本から来てくれた私に対する向こうの関係者の気使いと好奇心は大変なものだったことが良く判った。石家庄は結構大都会だが日頃一般中国人は余り日本人に接する機会は無いようである。
かくして私は無事に昨年に次ぎ中国庶民の婚礼に参列する機会を得る事が出来た。