朝日高校30年卒の談話室

朝日高校30年卒の皆さんの情報交換の場です。〔投稿はpj8t-ikd@asahi-net.or.jp池田迄〕

朝日高同期松井君の苦闘

2010-05-08 17:34:08 | 同級生の活動
些か遅くなってしまいましたがこの程帰国後ずっと多忙だった松井君からやっと原稿と写真が届いたのでアップしました。

アルペンスキーのパラリンピックは皆さんあまりなじみが無いと思うのでスキーの専門的な内容は外して書いて在ります。

 [2010バンクーバーパラリンピック、悪戦苦闘]     
 約40年を超える長い間のスキー連盟役員として、オリンピック、世界選手権、ワールドカップ監督等含め、勿論2004年からの障害者アルペンパラリンピック監督の経験も含めて、こんなに悪戦苦闘した競技会は経験ございません。
リーマンショックとか、100年に一度のと言われた経済不況等、何も日本チームの上だけに降って来た災いではありません。各国ナショナルチーム全チームと云って良い程ダメージを受けました。
 これを救ってくれ、励まして呉れたのは、岡山朝日の昭和30年卒の仲間や同志でした。
企業の社会貢献支援や、公的機関の助成機構等にも、確かに助成を頂きましたが、
仲間の励ましは、金銭には代えられない支えを頂きました。
それと云うのも、2008年11月、3000Mを超えるオーストリー氷河合宿から帰国後の定期健診で、長年連れ添ってきた、真性多血症が急性骨髄性白血病に変じて、長くて一年、早ければ2~3ヶ月、ウカウカすると2009年の2月世界選手権も指揮を取る事も困難な状態と宣告を受け、取敢えず、12月のヨーロッパカップはコーチに一任して、ワクチンと点滴と薬漬け、長男、次男の家族に、アメリカにいる長女も、それぞれ岡山へ大集合、無論7人の孫も勢揃い、老愛妻を中心に闘病対策を講じてくれました。
ナショナルチーム監督を、辞退させるべきでは無いのか?
好きなスキーや山を取り上げると、一気に萎れられては、大変等などと。
ところが同期生の医師から(然も皮膚科)、好きなようにさせてやれと、有難いお告げ。
2月には雪上に復活し、世界選手権とプレパラリンピックのワールドカップは、監督と再会
不能と思っていたコーチも選手も、大ブレーク。一気に世界の最強チームに浮上、2010年バンクーバー最強のチームと評価を受けるに至りました。
ところが、2009年12月ヨーロッパ合宿帰国後、又も入院、漸く2010年1月末に、現場復帰し、イタリーセストリエールの、ワールドカップへ駆けつけて、パラリンピック選手選考に臨みがっくり。
体調不良の選手、転倒による負傷者や、古傷の再発が出た者等、満身創痍のチームと
化して、調整に一苦労。
2月アスペンのファイナルワールドカップを調整レースとして、バンクーバーへ3月6日にバンクーバー選手村へ入る。此処からが天候異変で雨、ガス、吹雪に加えて、バタバタのスケジュール変更に練習計画も、マシンの調整も全てやり直し、スタッフが良くわがまま監督の指示に耐えてくれました。
お蔭様で、前回パラリンピックよりメダルの数は一つ増え、金銀含む7つのメダル獲得。
これは、愛妻篤世と孫と、娘の率いる孫応援団、日の丸応援隊の力強い軍団のお蔭でした。
目的のメダル10個に手が届かなかったのは、監督の老化による総合力の不足でした。
 命ある限り、2014年までシニアーディレクターとしてアルペンチームを支えます。
仲間と家族の声援が何より百薬の長です。今後とも宜しく。松井貞彦 筆

写真左は首相官邸へ帰国報告、右はバンクーバー選手村にて