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【現代思想とジャーナリスト精神】

民主的立憲政権樹立の探求(上)    櫻井智志

構成
❶2014年の提言(上)・・・・・本稿
❷2020年の実態(中)
❸民主的立憲政権樹立の構想(下)


Ⅰ:2014年の提言~国民統一戦線への展望 

➀ 主題と拙著『座標―吉野源三郎・芝田進午・鈴木正』

  2014年1月。私は『座標―吉野源三郎・芝田進午・鈴木正』を、発行いりす・発売同時代社から出版した。そこでは古在由重と三人の思想家から、変革主体形成の在りかたをまなび、主体の生き方を土台として、「国民統一戦線への展望」を終章で明記した。

目次

序 章 歴史的現代と古在由重

第一章 私たちはどう生きるかー吉野源三郎
 第一節 吉野源三郎との邂逅
 第二節 継承者としての緑川亨と安江良介
 第三節 『追悼集 安江良介 その人と思想』を読む

第二章 人類生存哲学の思想―芝田進午
 第一節 たぐいまれな実践的知識人 芝田進午
 第二節 現代に対峙する〈芝田学〉のトルソ
 第三節 予研=感染研裁判闘争と「人類生存の思想」
 第四節 「人類生存の哲学」構築の礎

第三章 自立的精神への探求―鈴木 正
第一節 自由と抵抗の思想家たち
第二節 日本近代思想の水脈
第三節 自立性と独立心の思想史学

終 章 国民統一戦線への展望
(終章1~7の後半4~7を以下➁~➄に掲載)

➁ 1960年安保闘争

1960年安保闘争は、戦後日本の国際外交のありかたを問うとともに、戦前に臣民として社会的存在を規定されていた国民の主権者としての生き方を問う闘いであった。私が学んだ高校日本史教科書でも、明治維新いらいの民衆闘争史でも最大の規模の闘争として歴史に残る大規模な民衆闘争であると位置づけられていた。
 最近論壇に活発な民主的論議を促している論客である孫崎亨は、外務省の国際情報報局長や防衛大学校教授を歴任し、体制側の重要な位置を占めていたが、現在の問題提起は革新的で圧倒的である。孫崎は日米安保条約を遡る日米地位協定を改革することを唱えている。また、60年安保闘争についても、アメリカからの扇動がおこなわれたとする。私はこれらの新たな論点を留保しつつ、通説の安保闘争の経過を通して安保共闘の意義を述べたい。
 国会では圧倒的な議席数をほこる保守勢力に比べて、社会党共産党の議席は少ない。それがあれだけ大規模の国民的闘争を決行できたのは、まさしく草の根の国民的闘争としての闘争の質があったからである。当初はあまり闘争も盛りあがらず運動の側は、悲観的な見通しであったと聞く。それが何度もの統一行動をくり重ねて、アメリカ首脳部の来日をストップさせて、首相の退陣にまでおいこんだ。これだけの運動を遂行し得た共同闘争は大きな意義をもつ。
 同時に、戦後の変革で大きな勢力のひとつとして、「全学連」があげられる。「全学連」には日本共産党の指導がなされたが、日本共産党と対立して日本トロツキスト連盟が57年1月に結成され、10月に名前を変えて革命的共産主義者同盟となった。58年12月には日本共産党から除名された学生党員たちが共産主義者同盟(第一次ブント)をたちあげた。反共産党系の「全学連」運動についても丁寧な検証が必要である。島成郎、唐牛健太郎、森田実などの指導部は俗称代々木系全学連に対する反代々木系全学連のリーダー格だった。安保条約が自然承認を迎え、安保闘争は敗北感のなかで終わった。安保闘争の主導権争いや政治闘争は、決して単純には割り切れないものがあり、沖縄で地域精神医療に取り組み続けた島成郎やいまも青年たちを「森田塾」として指導している森田実らのその後の生き方には、敵のスパイ、跳ね上がりと決めつける安易さを否定するだけの重みがある。
それでも、たくさんの全国の学生運動を、共同と連帯のもとにどのように指導したかということにおいては、ブント全学連や革共同の中核派や革マル派などは、社会状態を認識しどう変革するかの構想力においてあまりに貧弱だった、と私は考える。彼らを「トロツキスト」と呼び批判する日本共産党の側が、すべて正しく誤謬がないとも思わない。国民的な大闘争であったから、勝利も敗北も、正義も誤謬も、すべてひっくるめて、この60年安保闘争からその後の民衆闘争が学ぶものは大きい。
 私はこの闘争の詳細な論述をこの終章でおこなうつもりでとりあげたいのではない。日本社会における統一戦線運動の今後の展望を見通すために、安保闘争に立ち返って問題点をまなぶ重要な闘争として考えている。

③ 地域自治体民主化闘争

 京都の蜷川府政は1950年から続いていた。これは社共統一というよでりも戦前のファシズムに反対し、戦後の民主化のエネルギーを活かした先駆的自治体だった。
 1963年からは社会党員飛鳥田一雄の横浜市長が続いた。1967年に「明るい革新都政をつくる会」のもとに美濃部亮吉が都知事となった。71年には、大阪府で黒田了一府知事が誕生し、川崎市、吹田市、高松市、小金井市、恵那市、立川市でそれぞれ革新統一自治体が生まれた。
 1972年には、沖縄県、埼玉県が革新統一自治体となった。73年には名古屋市、日野市で革新統一候補が勝利した。74年には、香川県、滋賀県で革新統一知事が誕生した。75年では東京、大阪、神奈川の革新知事が当選している。77年には名古屋市で社共統一が勝利を収めている。このようにして、全国の多くを革新自治体が占めた。

 これらの革新統一自治体はやがて次々に自民党や民社党、公明党、社会党右派が推す候補にやぶれていく。『社会資本論』などの創造的な学問で著名な宮本憲一は、革新自治体の成果とともになぜ退潮したのかについて、「革新自治体の退潮は、『シビルミニマム論には、重大な弱点がありました。基本的には産業政策と財政政策が抜け落ちており、経済的不況がくると弱さを露呈しました』」(『地方自治の歴史と展望』自治体研究社、1986年)と捉えている。
 宮本も含めて、多くの専門家は衰退の原因として内部的要素とともに、外部からの攻撃や社共関係の悪化、自民・公明・民社などの政党の動きにも触れている。
 私は、革新自治体がせっかく革新統一戦線を構築しながらも、革新統一戦線政府樹立という国政レベルでの共闘と政治主体確立が未完成に終わった結果、国政に取り組む革新政党の政治家たちが、国から自治体へ支援をおこなうことができなかったことに、革新統一自治体敗北の大きな原因があると思う。
 それでも、革新統一戦線によって太平洋メガロポリスと呼ばれる広範な地域を自治体選挙闘争に取り組み成就した運動の歴史は、戦後史におけるかなり意義の深い重要な成果と見る。

 ➃ 2014年における統一戦線の具体像探求

 現在(2014年当時)、日本社会は、東日本大震災が明らかにした地震列島にはりめぐらされた原子力発電所により、異常きわまりない人間と自然に及ぼす壊滅的危機にさらされている。同時に、世界史的に意義をもつ非戦不戦の憲法も、自民党政権とそれを支持する亜流政党とによって、解釈改憲・明文改憲の総体によって骨抜きにされる現実的事態に追い込まれている。さらに、唐突な「特定秘密保護法」の強行採決がなされた。それに対して、民主党から共産党までの野党が国民的闘いを土台に優れた共闘を国会内外で見せた。

 反動政治の危機を国民の側が意識しているのと同様に、この国の支配層は民衆がその危機を解決することを、可能な限りの策略や陰謀で阻止しようとしている。革新統一戦線による太平洋メガロポリスが燎原の火のように広がって、自治体から革新統一戦線政府へと国政の変革に及ぼうとするその瞬間に、日本の支配層は徹底的に日本共産党のウイークポイントを叩くとともに、社会党と公明党に政党合意を結ばせ、社会党が共産党とは政治共闘を組まないようにさせた。参院選東京選挙区で見事当選した山本太郎に、テレビ放送局は政府批判の発言におよぶと突然CMに切り替えるなど唖然とするような抑圧を行った。週刊誌はスキャンダルとして一斉に山本太郎の私的問題をあることないことスクープでセンセーショナルに取り上げた。彼が真剣に主張している正論を潰すために。

 参院選東京地方区の日本共産党吉良よし子は、首都圏脱原発再稼働反対行動に、笠井亮衆院議員らとともに参加し続けた。大震災で東京から沖縄へ移住した三宅洋平は、音楽家であるが、音楽活動とともにスピーチし、緑の党比例区から参院選に出馬した。若者たちは彼の真剣なスピーチに耳を傾けた。緑の党総体の得票が少なかったので、当選にはならなかったが、得票そのものは自民党の下位当選者たちよりもはるかに多く15万票近く獲得した。新たな統一戦線運動は、このような草の根からわき出てきた民衆運動を視野にいれる必要がある。

 革新統一戦線は社会党と共産党が主になって結成した。いまは中曽根政権の謀略的政治支配によって、国労など公労協は完全に弱体化し、社会党の多くは民主党に移り、社会民主党はなかなか健闘しているが、2012年総選挙では社共ともに惨敗。参院選で共産党が躍進したのに、社民党は2議席確保にとどまった。
 元京都市長選候補者で京都府立大総長だった広原盛明や神戸の元教師佐藤三郎らの「護憲円卓会議」は、護憲勢力の活性化を心がけて健闘している。

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【2014年の提言~国民統一戦線への展望粗案】

 私は、日本共産党はまず日本共産党として結束し発展すればよいと考えるようになった。革新統一戦線の時は社会党と共産党がほぼ互角か共産党の議席が少ない状態だった。いま社会党にあたる勢力が、社民党、新社会党、緑の党、みどりの風、社会大衆党などの「護憲リベラル」結集勢力と思う。一党にまとまらなくとも、イタリア版オリーブの木形式でもよい。「護憲リベラル」として結集すること。そのうえで日本共産党と提携したらどうか。その提携に一緒に戦える保守政党人なども結集していく。
 政党政治が今の日本の議会制民主主義の根幹だが、「議会制独裁主義」が広がっているいま、国民的規模での統一戦線を3つの段階を考えて構築したらどうだろうか。

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➄ 統一戦線と変革主体形成

 ここで、統一戦線の主体をになう個々の個人の存在のありようについて付言したい。

 序章(『座標』序章 歴史的現代と古在由重)で見たように、古在由重から各節で論じた吉野源三郎、芝田進午、鈴木正らに共通する特徴がある。それは、どんな思想や教条が正しいかを言い張ることよりも、他者に開かれているという点である。小宮山量平は、「統一体質」と「分裂体質」とを表象した。20世紀に、中国で分裂し闘争していた国民党と中国共産党は、目前の侵略国家日本軍に対して「国共合作」を成し遂げて、ついに日本軍を破って中華人民共和国の建国にたどりついた。ヨーロッパでもコミンテルンのディミトロフが提案した「反ファシズム統一戦線」は、第二次世界大戦をはさんで、イタリアのファシズムやドイツのナチズム、日本の天皇制軍国主義に闘う集団的主体の形成に取り組んだ。

 21世紀の今日に、統一戦線を結成するためには、日本共産党においての組織論の民主集中制は継承され検証されてきたものであるけれども、国民ないし日本に定住する民衆全般にわたる組織論としては、「円卓の論理」「フォーラムの論理」がふさわしい。統一戦線のテーブルにつく全ての個人と集団が対等に意見を述べ、行動の決定においても、少数派の意見が行動に反映される必要がある。諸個人は自らの見解を披歴するとともに、他者の意見を十二分にわきまえて納得し、行動においてはそれぞれが他者の存在を認めながら、一致点を追求する必要がある。統一戦線が成立するためには、積極的に相手の存在と見解とを尊重して吸収できるだけの確固とした人格が、成員に形成されていなければならない。

<了>(近日中の『「民主的立憲政権樹立の探求」中』へ続く)

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