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田中橋の記事がありました

2020-03-11 09:06:13 | プロフィール
きょう開通する田中橋について地元のミニコミ紙、信州民報が記事を載せていました。それによれば昔の田中橋はつり橋だったこと、昭和45年にコンクリートの橋になったこと、完成したのはくしくも50年前の3月14日だったことがうかがわれます。あらためて田中橋の歴史がわかりました。



東日本大震災から9年になります

2020-03-10 22:25:23 | 雑感
明日は東日本大震災から9年になります。皆さんはあの日何をしていたでしょう。私は議員になって3年目。委員会室で予算審議を行っていました。突然大きな揺れを感じ、思わず机にしがみつきました。窓から見ると遠くの電線が揺れていました。

情報を得るため1階のロビーでテレビを見ると、ちょうど大津波が建物を飲み込んで行くのが見えました。走る車を追いかけるように一面のどす黒い津波が押し寄せていました。何か夢を見ているようで、まるで実感がありませんでした。

それから2か月後の5月中旬、私たちの会派「太陽と風の会」は2泊3日で被害の視察とボランティア活動で気仙沼市を訪れました。ただただ被害のものすごさを肌で感じてきました。テレビで画像としては見ていましたが、実際の現場はまるで違いました。高台から津波で町がそっくり海に持って行かれた南三陸町を見たときは身体が震え、涙が止まりませんでした。

全国から大勢の若者が駆けつけていました。私たちも登録をし、あるお宅の泥出し作業を行いました。泥は床下や仏壇の隙間など狭いところにまで侵入していました。シャベルで掻き出し、使えるようになった水道水で洗い流しました。一緒に手伝った若者は仕事をやめて駆けつけてきたそうです。「仕事辞めて大丈夫なの」と聞くと、「なんとかなるでしょう」との返事が返ってきました。仕事を辞めてまで駆けつけてくれた若者の思いに感動しました。

テレビで見てはいたのですがやはり現場は違います。本当に多くの事を学ぶことができました。返ってきてから会派主催で報告会を行いました。初めての取り組みでした。その後気仙沼には何度か訪れ、被災した仮設住宅の皆さんと交流してきました。

9年たってあらためてあの日のことを思い出しています。この被害で亡くなられた皆様のご冥福をお祈りするとともに、被災されたすべての皆様に心よりお見舞い申し上げます、あわせて被災地の一日も早い復興をお祈りします。

高台から見た南三陸町
船が打ち上げられた気仙沼市
全国から大勢のボランティアが訪れていました。
私達も若者のボランティアグループと一緒に民家の泥出しを行いました。


田中橋が通れるようになります

2020-03-10 22:06:57 | 雑感
今日は前日と打って変わって雨の一日でした。朝の辻立ちまではなんとかお天気も持ったのですが、その後終日氷雨が降り続きました。訪問活動にとって雨は大敵です。

さて、昨年10月12日の台風19号で落下した田中橋が、明日午後1時から5ヵ月ぶりに通行が解除になります。この間丸子方面の車は羽毛山橋を回るか、大屋経由、または境橋を迂回するかありませんでした。このため連日国道18号線で大渋滞が発生していました。

工事関係者の皆様に心より感謝申し上げます。田中橋の重要性を再認識しました。しかしまだ東御市が管轄している海野宿橋、切久保橋、布下橋などが残っています。さらなるご努力をお願いします。



今日はいいお天気でした

2020-03-09 22:16:05 | 湯の丸問題
今晩は。昨日と打って変わって今日はとてもいいお天気でした。日本晴れの青空に、遠くアルプスの山々が真っ白く輝いていました。今朝の朝立は牧家交差点でした。国道18号線と県道東御嬬恋線の交わるここは、通過する車と滋野駅への送迎の車が通ります。手を振っていると会釈をしてくれたり、クラクションを鳴らす車もあります。少しずつですが反応が出てきています。

午前と午後と後援会の会員募集のため、知り合いのお宅を訪問しました。やはりあの湯の丸のプールが大きな話題になっています。「なんであんなプールを造ったんだろう?」、「私たちには無縁だね」、「そんなお金があったら私たちのために使ってほしい」などなど率直なご意見をお聞きすることができました。その一方、「私はあのプールはあったほうがいいと思う」、「花岡さんに責任をとってもらわなければ」などというご意見もいただきました。

来月行われる東御市長選挙は、市民の皆さんお一人おひとりがご自身の意思で、あの湯の丸プールの是非を決める住民投票です。これまで市民の皆さんが意思を表明する機会はありませんでした。私に任務はそのための資料を提供することです。ですからお一人おひとりとじっくり話し合うことを大切にしています。

明日は北御牧地区で朝立ちです。


湯の丸問題を考える④-プールができたけど払うお金がない

2020-03-07 23:48:40 | 湯の丸問題
プールはできたけど支払う金がない
「プールはできたけど支払う金がない」ということは自治体の事業としてはありえないことです。そんな異常事態がいま東御市で起きています。私たち庶民に振り返って考えてみましょう。たとえば住宅を建設する場合、まず貯金をして、足りない分は銀行から借りる算段をしてから始めます。ところが東御市はうわさによれば、億単位の寄付をしていただけるという篤志家の言葉だけをたよりにこれだけの事業を始めたのです。

寄付というのはそもそも篤志家の善意です。集まってみなければわかりません。そうしたお金をあてにして13億円の巨大事業をスタートしたのです。私たち庶民感覚からすればありえないことです。むろん自治体の事業としても異常です。

危機管理がまったく行われていなかった
当然議会では寄付が集まるかどうかが大問題になりました。しかし花岡市長は「もし集まらなかったらどうするのか」という議員の質問に対し「集めます、頑張ります」を繰り返すばかり。ことは公金であり、自治体財政にかかわります。やってみたら穴が開いたというのは通りません。

もしやるにしてもリスクを回避する算段を考えておくべきでした。これも庶民の金銭感覚から相当ずれています。花岡さんは経営者でもありますが、経営的な観点から考えてもこんな無責任なことはありません。地方財政法という財政運営の法律があります。それには財源を明確にすることが定められています

心配は現実のものに
そして心配は現実のものとなりました。昨年度は1億6000万円、今年度は6億円もの赤字が生じ、それぞれ借金することになりました。当初は「13億円すべて寄付で集める」という公約は果たされませんでした。総額9億円という巨額の借金が残されました。花岡市長は当初こんなことになるとは一言もおっしゃっていませんでした。花岡市長の失政のために市民はこれだけの借金を負うことになったのです。こんなことはとうてい許されるものではありません。

この事態に対し花岡市政はどのように対処するのでしょうか(続く)。

湯の丸問題を考える③ー高地トレーニングプール建設の経過

2020-03-07 23:48:40 | 湯の丸問題
4月5日告示、12日投票の東御市長選挙の最大の争点は湯の丸の高地トレーニングプールです。標高1750メートルの湯の丸高原にアスリート専用のプールをつくり、東京オリンピックでの金メダル獲得に貢献しようというのがそのねらいです。

高地トレーニングとは
高地トレーニングとは、標高の高いところでトレーニングを積むことで身体能力が高まり、競技力アップにつながり選手育成に有効だとされています。いまトップ級のアスリートは海外の高地でトレーニングしています。

日本には高地トレーニングの陸上施設がありますがプールはありません。そこで東御市は国に対してプールの誘致を働き掛けてきました。ところがオリンピック費用がかさむことから国はプール建設を断念。すでに東京都に味の素トレーニングプールがあります。

市単独事業へ踏み切る
しかし、花岡市長はこれに納得せず平成29年6月、国への誘致を断念し、東御市としての単独事業に踏み切りました。その際の市長の説明は「市民に迷惑はかけない、すべて寄付金でまかなう」という奇想天外なものでした。「寄付金で仮設プールを建設し、東京オリンピック・福岡国際大会が終わった後、体育館に改修する。そうすれば体育館がただで手に入る」と述べていました。

寄付は間違いない
問題は財源です。議会では大問題になり、寄付が集まるかどうか議論されました。平成29年12月議会ではプール建設にゴーサインを出す債務負担行為が上程されました。市長は議会に対し「間違いない」と自信を示し、これに対し議会は「そこまで市長が言うのなら間違いないのだろう」と市長の発言を信じ採択しました。

寄付が集まらず1億6000万円の借金
ところが平成31年3月議会に対し、市長は1億6000万円の借金を提案しました。寄付が予定通り集まらなかったのです。議会では大問題になりました。すべて寄付金でという約束は守られませんでした。うわさでは当初億単位の寄付を申し出た企業があり、様々な事情でそれが実現できなくなったそうです。しかし工事費の支払い期限が迫っていることもあり最終的に同意しました。

借入れは9億円にも
そして昨年の令和元年12月議会において、市長は7億円の借金案を提出しました。令和2年3月がこの事業の最終年度であり、借金は最終的に9億円にもなります。予算説明では、「企業版ふるさと寄付5億円は確実」と言っていたのに集まったのは900万円にすぎませんでした。これまでの経過があるにもかかわらず7億円の借金は道理が通りません。その結果、賛成8、反対7の僅差での可決となりました。

こうした経過はほとんどの市民は知りません(続く)。

一斉休校の1週間が過ぎます

2020-03-07 00:48:00 | 雑感
今晩は。今日も忙しく過ごしました。午前中に産経新聞からの取材、午後は選挙ポスターについて印刷会社との打ち合わせでした。その後知人宅を訪問。夕方同僚議員の一般質問を録画で見ました。湯の丸のプールについての議員と市長の質疑がかみ合いません。市長が質問に真正面から答えていないという印象を持ちました。これについては後日書きたいと思います。

さて今日の信毎です。安倍首相のツルの一声で始まった一斉休校ですが、ここにきて見直す動きも出てきました。ツルの一声で現場は大混乱でしたが、1週間たって見直す動きが出てきたことは評価できます。

新聞報道によれば箕輪町、高森町、上田市で子供さんやご家庭への配慮する動きが出てきています。一斉休校で一番負担がかかるのは子どもたちとご家庭です。先日、一斉休校で児童館に子どもたちが集中するのではないかと思い、立ち寄って担当者の方にお聞きしました。いまのところ来館者は増えていないそうです。

たぶん最初の一週間は保護者の皆さんが休みをとったり、親にお願いしたり、精一杯頑張ったのではないでしょうか。問題は来週ではないかとのこと。ご家庭でできるのは1週間が限度であり、来週は児童館を利用するのではないかとのことでした。

それにしても科学的根拠もなく、安倍首相の政治判断で一斉休校するというやり方は、事情はわかるとしても少々乱暴でした。ここでこれまで取ってきたやり方が良かったかどうか検証すべきでしょう。



オレンジののぼり旗を掲げました

2020-03-06 00:37:19 | 湯の丸問題
昨日の朝は田中駅前で宣伝活動を行いました。以前に頼んであったオレンジの旗持参です。「湯の丸プールよりくらし第一に」、「子ども医療費無料化を18才まで広げよう」の2本です。遠くからもよく目立ちます。

誤算だったのは新型コロナウイルスによる一斉休校の影響で、駅の乗降客が少なかったことです。それでも通勤客がいると思ったのですが、時差出勤や自宅待機、休暇などのためなのか全体的に少ないという印象でした。結局駅前を通過する自動車へアピールしました。

それでもちょうど通りかかった紳士から声をかけられました。これから東京へ行くというその方は数年前に移住してこられた方で、今回の湯の丸プールについて怒っていました。「こんなことをすべきではない」とおっしゃっていました。

午後、大学時代の後輩からなつかしいお電話をいただきました。文筆業であった彼は何年か前にご家庭の事情もあり、郷里に戻り音信も途絶えていました。今回のことを耳にして電話をしてくれたとのこと。またゆっくりお話がしたいものです。




多くの方にご覧いただき感謝です

2020-03-05 03:53:02 | 雑感
おはようございます。今日も一日頑張ります。さて、新型コロナウィルスもあってなかなかミニ集会が開けないでいる中、インターネットでの情報発信に心掛けてきました。おかげさまで昨日は289人の方にご覧いただきました。ありがたいことです。いまブログとフェイスブックを使っています。これからもご覧いただければ幸いです。

私のパソコンとの出会いは30数年前にさかのぼります。当時のパソコンはおもちゃみたいなものでした。最初は電卓を大きくしたポケットコンピュータを使っていました。ディスプレイは1行しかありません。ソフトも自分で見よう見まねで作っていました。

当時私は銀行で得意先係を担当していました。係には10数人いて、お一人おひとりの毎月の成果を集計していました。管理項目は数十項目にも及び、電卓を使っても縦横計算が合わず苦労していました。今ならエクセルで一発で行うところですが、当時はそんな便利なものなどありませんでした。

そこで自分で縦横計算を行うプログラムをつくりました。集計作業が大幅に軽減され喜ばれました。その後、当時の人気のNEC9880シリーズのパソコンを大枚をはたいて購入し、のめり込んで行きました。それが今につながっています。



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